随筆家・山本ふみこの「だから、好きな先輩」04

世界の児童文学を日本に広めた石井桃子さんの魅力とは

公開日:2023.02.28

更新日:2023.03.08

「ハルメク」でエッセイ講座などを担当する随筆家・山本ふみこさんが、心に残った先輩女性を紹介する連載企画。今回は、児童文学作家・翻訳家として活躍された石井桃子さん。戦後の険しい時代に、子どもの本のために心を砕き続けた石井さんの魅力に迫ります。

世界の児童文学を日本に広めた石井桃子さんの魅力とは
イラスト=サイトウマサミツ

好きな先輩「石井桃子(いしい・ももこ)」さん

1907-2008年 児童文学作家・翻訳家
編集者として『ドリトル先生アフリカゆき』などを出版。自身も『クマのプーさん』『ちいさいおうち』をはじめ多くの訳書を刊行し、『ノンちゃん雲に乗る』などを執筆。家庭文庫活動にも尽力した。

険しい時代にもあきらめずこころを砕き続ける

険しい時代にもあきらめずこころを砕き続ける

動物と話のできるドリトル先生。その名を見て、ぱっとあなたの目が輝きましたね。

この愛すべき人物の物語を創りあげたのはイギリスの作家ヒュー・ロフティング。シリーズ全12巻を日本語に置き換えたのは、井伏鱒二(いぶせ・ますじ/1898-1993)です。

そしてドリトル先生を日本に紹介した石井桃子の情熱も、わたしは決して忘れたくありません。

「御近所に住んでいらっしゃる作家、井伏鱒二さんのところにうかがっては、ドリトル先生の筋書をお話ししたものでした」と石井桃子は書いて残しています。その後、井伏鱒二に翻訳を頼むのですが、忙しい作家のことですから作業は進まず、石井桃子は下訳をして、届けました。

シリーズの第一作『ドリトル先生アフリカゆき』が世に出た1941(昭和16)年のおわり、太平洋戦争がはじまります。そうです、険しい時代に生きていた子どもたちをドリトル先生は勇気づけることになったのでした。

翻訳者、児童文学作家として語られることの多い石井桃子ですが、険しい時代にもあきらめず、子どもの本のためにこころを砕きつづけた編集者としてのはたらきは、多くの日本人に精神的財産をもたらしたといえましょう。

今の時代にも通じる「差別」と「葛藤」

今の時代にも通じる「差別」と「葛藤」

戦争中日本は、外国で生まれた優れたもの、うつくしいものを受け入れなかった……。そして戦後も、外国の作品、ことに子どもの本とめぐりあうことが並大抵でない時期がつづいたそうです。

ここに、『百まいのきもの』(エレナー・エスティス作/1944年)という本があります。日本では太平洋戦争のあと、1954年に出版されます。これも、石井桃子とその仲間によってやっとのことでみつけ出された本でした。

50年の時を隔てて石井桃子(2006年当時、じき100歳に手が届く年齢でした)がこれを改訳し、書名も『百まいのドレス』となりました。

ドレスを百枚持っていると云(い)い張る、ワンダという貧しいポーランド移民の女の子をめぐるしみじみとした物語。何処にでも起こり得る差別と、そこに生じる葛藤が見事に描かれています。

ワンダの級友マデラインの決意を、あらためて日本の子どもたちに伝えたいのです。

「(差別を)だまって見てなんかいないこと」

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
撮影=安部まゆみ

1958(昭和33)年、北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。ハルメク365では、ラジオエッセイのほか、動画「おしゃべりな本棚」、エッセイ講座の講師として活躍。

※この記事は雑誌「ハルメク」2016年8月号を再編集し、掲載しています。


>>「石井桃子」さんのエッセイ作成時の裏話を音声で聞くにはコチラから

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山本ふみこ

出版社勤務を経て独立。特技は何気ない日々の中に面白みを見つけること。雑誌「ハルメク」の連載やエッセー講座でも活躍。

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