八十路を歩く(6)

続・女の一生

公開日:2023.04.24

戦国時代は「人生50年」、今や「人生100年」時代になった、と言われています。母は90歳で他界し、母方の祖母は93歳で他界しました。長命の家系でしょうか。

続・女の一生
わが人生の始まりです

はじめて論語を学ぶ

高校一年生の時、必修科目で週1回の漢文の授業があり、論語を学びました。「不惑」「古希」など、今まで耳にしていた語が論語の言葉だと、あの時初めて知りました。

「温故知新」や、時代劇でよく耳にする「義を見てせざるは勇無きなり」など、あげればきりがないくらい日本語の中にしっかり根を下ろしている名言の数々は、論語に由来するものなのです。

はじめて論語を学ぶ

論語は孔子と弟子たちの言行を記録したものと言われています。修身の教科書のようであり、内容も簡潔で人生の指針のようでもあります。

論語で振り返る私の人生

論語で振り返る私の人生
小学校入学を控えて、どこへ行くにもこの絵本を持っていたとか

吾十有五而志乎学(吾、15にして学に志し)
三十而立 四十而不惑(30にして立ち、40にして惑わず)
五十而知天命 六十而耳順(50にして天命を知り、60にして耳従う)
七十而従心所欲不踰矩(70にして心の欲するところに従い、則を越えず)

論語で振り返る私の人生

15歳で学に志す? とんでもない、偏差値判断で志望校を決めて受験しました。

30歳で精神的自立? とんでもない、ああでもない、こうでもない、と悩みながらの子育て真っ最中でした。迷うことが多く、早く不惑の年になりたい、と思っていました。

40歳で惑わず? とんでもない、相変わらず迷ってばかりで優柔不断の性格だと悩んでいました。

50歳で自分の宿命を自覚した? まあ、そうですね。いい意味で諦観でしょうか。

60歳で素直に他人の意見に耳を傾けられるようになった? この頃から地域活動で、いろいろな人たちと関わりを持つようになりました。人との関わりも、悩んだり、慰められたり、といつも心が平穏無事というわけではありませんでした。

70歳、まだまだ60歳代の延長でした。

論語で振り返る私の人生

80歳近くなって、ようやく孔子のいう「70歳にして心の欲するところに従えども矩を踰えず」の域に近づいた、と思うようになりました。行きたいところに行き、食べたいものを食べるなど、我慢をしないで心の思うままに行動してもいいじゃないか、という心境です。

80歳からはどう生きる?

論語は「七十而」で終わっているのです。調べてみると、孔子は74歳で亡くなっています。ですから、80歳以降の生き方について孔子は語ることはなかったのです。

そこで、浄土宗の中西玄禮和尚なるお坊様の言葉を見つけました。

80歳からはどう生きる?

我八十にして深く我が生を愛し 
九十にして仏恩に報謝し
百にして仏の来迎を待つ…

私は、今、孔子のいう「従心」の年頃だと思っています。また、玄禮和尚のいう「我が生を愛す」の精神で、他人がどう思うかを、自分がどう見えるか気にしない。元気に生きていることに感謝して、自分の好きなこと、楽しいことをやっていきたい。

ということで、私の人生はもう少し続きそうで、我が人生の総括は娘に託します。

■もっと知りたい■

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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