私の選択「小さな暮らし」で「豊かな人生」を(6)

再開!「終の棲家」探し。身障者となり新たな視点で

公開日:2022/04/22

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琵琶湖岸に位置する「介護付き有料老人ホーム」を「終の棲家」に選んだのはなぜか。「介護付き有料老人ホーム」探しを始めた頃―つまり60歳代前半―とは、イメージする老後が大きく変わった60歳代後半。「終の棲家」探しも新たな視点で。

再開!「終の棲家」探し。身障者となり新たな視点で
久し振りに訪れたログハウスには春らしさが満ち満ちて

いつも温かく迎えてくれる手作りログハウス

2022年3月25日全国一斉に「蔓延防止」が解除されると、私たちは早速ログハウスへ出かけました。およそ4か月ぶりのことでした。ほったらかしにしていたにもかかわらず、ログの庭には着実に春が訪れていて私たちを和ませてくれました。

夫は早速、強い日差しを浴び続けていた南と東面の丸太に防腐剤を塗って手入れを始めました。それから、木々の剪定をしました。仕事が終わると、夫の右手は筋肉が張り分厚くなっていました。

いつも温かく迎えてくれる手作りログハウス

夜は義姉たちが、鰤の刺身・太刀魚の煮付けと唐揚げ、蛸とキュウリの酢の物を持ってきてくれて、4人で久し振りの会食です。お礼に持って帰ってもらったのは、庭に伸び放題になって花を咲かせていたローズマリー。

2時間半でログハウスに来られる「終の棲家」を選んで本当に良かった。

「終の棲家」探しどころではなかった4年間

退職後、私が描いていた老後のイメージはこうでした―いずれ肝硬変となり、やがて肝がんへと進み、入退院を繰り返して家族に迷惑をかけながらも永らえる―。

そんなつらい老後を少しでも明るく、長引く闘病生活で子どもたちに迷惑をかけないようにと、始めていた「介護付き有料老人ホーム」探しでした。

45歳から66歳までをC型慢性肝炎患者として生きた私に、奇跡とも思える出来事が起こりました。2016年、新薬の登場でC型慢性肝炎が完治したのです。楽しく有意義な老後生活に心弾ませました。

が、それは束の間の夢。完治から21日後、何の前触れもなく脳出血を発症。右半身麻痺、言語機能の喪失などの後遺症が残り、2016年から2020年までは「終の棲家」探しどころではなくなってしまったのでした。

発語・思考を取り戻すための「言語療法」、立ち・座り・歩行ができるように「理学療法」、自分で食事ができ・文字が書けるように「作業療法」。3か月にわたる入院でのリハビリから通院リハビリ、さらには訪問リハビリ、デイサービス、通所リハビリへ。

不自由なりにも自分は自分として生きていけると思えるようになるまでに4年を費やしました。

2021年、再開した「介護付き有料老人ホーム」探し

2021年コロナ禍の中で「介護付き有料老人ホーム」探しを再開しました。身障者となった私にとって「小さな暮らし」は必須となりました。「坂道がない」という新たな条件も加わりました。

温暖な気候に定評のある「熱海」、住み慣れた京都の「嵐山」、そしてここ「琵琶湖岸」3つの施設からパンフレットを取り寄せると、「蔓延防止」期間の間を縫って、自宅に一番近い「琵琶湖岸」の施設から見学を始めることにしました。

玄関から吹き抜けのロビーに入ると、正面の大きなガラス戸いっぱいに蘆(あし)の林を通して広がる琵琶湖。まさに一目惚れ!!「ここから外へ出ると、約1kmの遊歩道になっているのですよ」と、支配人さん。検討しようとしていた他の施設が、一気に霞んでしまいました。

旧友たちとの小旅行も再開で心も春爛漫

旧友たちとの小旅行も再開で心も春爛漫

京都府知事選挙不在者投票のため自宅に帰りました。川沿いは例年通り満開の桜。なじみのお茶屋さんに立ち寄って、3年間延期になっていた小旅行の時に渡そうと小袋に入ったお茶を買いました。3年間気をもみながら幹事役を続けてくれた友には、「お疲れさま」のメッセージを添えて。

「終の棲家」決定のいきさつは次回に続きます。
 

もっと知りたい■

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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