私の選択「小さな暮らし」で「豊かな人生」を(3)

「終の棲家」選び、3つの選択肢から残ったのは?

公開日:2022.03.10

更新日:2022.03.10

琵琶湖岸に位置する「介護付き有料老人ホーム」を「終の棲家」に選んだのはなぜか。目の前にあった2つの選択肢に潜むデメリットを考えたとき、残ったのは3つ目の選択肢「介護付き有料老人ホーム」でした。

「終の棲家」選び、3つの選択肢から残ったのは?
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」 枕草子の世界をほうふつさせる自室ベランダから眺める夜明け前の空

なぜ「介護付き有料老人ホーム」が?

実は、私が身障者になる前から「介護付き有料老人ホーム」も視野に入れて「終の棲家」について考えていました。

これからも「豊かな人生」を歩み続けたい、「家族がいてくれて本当に幸せだった」と思いながら最期を迎えたい。夫と3人の子どもたちとで築いてきた「家族」は私にとって何よりの宝物です。

「終わりが見えない介護」とはよく言われる言葉です。その介護の負担の大きさ故に、宝物であったはずの家族関係にひびが入ってしまう……これもよく聞く話です。

それならば、「介護」はプロに頼ることにして、子どもたちには会いたいときに会い、楽しい時間を共に過ごす……そんな「終の棲家」も有りなのではと考えるようになっていました。

大切にしたいのは「豊かな人生」「温かい家族の存在」。これを2本柱にして「終の棲家」を探すことにしました。

初めての「介護付き有料老人ホーム」体験

「終の棲家」について漠然と考え始めた頃―つまり60歳代前半―2人の娘はそれぞれに家庭を持ってアメリカで暮らしていました。

私たちはと言えば、「夏休みの娘母子とのプチ同居」「秋の大学生漁業体験コーディネーターのボランティア活動」「海外旅行」を3本柱にした悠々自適のリタイア生活を送っていました。

そんな時に舞い込んできた「介護付き有料老人ホーム」体験のお知らせ。同業の退職者を対象にした小冊子に同封されて届きました。

あれこれ考え始めてはいたものの何も行動を起こしていなかった私たち。良い機会をもらったと、参加してみることにしました。自宅からいくつものジャンクションで高速道路を乗り換えながら、最後は大阪市内の高速道路を通っておよそ1時間半の伊丹市の住宅街にある施設でした。

1回目の体験は、夫婦だけで施設を案内してもらって説明を受け、その後昼食を頂くというものでした。まだ完成から間もないそこは、スッキリと明るく設備はすべて最新。ゴージャスな雰囲気でまるでハイエンドホテルのよう。

初めての「介護付き有料老人ホーム」体験
※イメージ

大阪国際空港に比較的近い立地も私たちにとっては魅力でした。アメリカ在住の娘たちに来てもらいやすいし、毎年海外旅行に行っていた私たちにとっても利便性が良いからです。

営業担当者の説明によると、日本の代表的な企業約100社が共同出資しており借入金なしの経営を維持しているとのこと。経営母体が安定しているのも大きな安心材料でした。脳出血発症前に検討した「終の棲家」第1候補として、その後違った形で2回の体験をすることになります。

豊かさを増してきた「終の棲家」での暮らし

2021年11月から始まった「終の棲家」での生活にもすっかり慣れ、機能訓練室、ティーラウンジ、レストラン、温泉大浴場の他に、ビリヤードルームや2階のラウンジにも行くようになりました。

豊かさを増してきた「終の棲家」での暮らし
行事やサークル活動が中止になっているので、規模を小さくしての映画鑑賞会が週4回2階のラウンジで開かれる

脳出血発症以来「できない」とあきらめていた、麻痺した右手に針を持っての手仕事にも挑戦する意欲が出てきました。こうしてここでの暮らしも少しずつ豊かさを増してきました。

豊かさを増してきた「終の棲家」での暮らし
もう使わない厚手ショールでクッションの滑り止めを作ったり、長過ぎるまま着ていたワンピースの袖を修理したり

 

■もっと知りたい■

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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