娘達の帰省―待ちわびる気持ちが一転―恐怖のどん底に

あらゆる困難を乗り越えて迎えた2022年のお正月

公開日:2022.01.13

コロナ禍のために2年半叶わなかったアメリカ在住の娘達の帰省。2021年秋頃、日本の感染者もグンと減り国を跨いでの行き来もかなり自由になったのを見計らって、家族をアメリカに残して娘達だけ帰省することに……。そこに吹き荒れたのがオミクロンの嵐。

あらゆる困難を乗り越えて迎えた2022年のお正月
ハルメクのお節を5人で囲んで迎えた「夢」のお正月

「元の5人家族」で迎えた夢のお正月

娘達がアメリカから関西空港に到着して、この日を迎えるまでの長かったこと。

それでも何とか2021年大晦日には、娘達が結婚するまでの「元の5人家族」(つまり、夫、娘2人、息子、私)で、紅白歌合戦を見ながらの我家流無礼講を楽しむことができました。

翌1月1日には、「ハルメク」お節を囲んで2022年の幕開けを祝うことができました。ここまでの困難を思うと、まるで「夢」のようなお正月でした。

「夢のお正月」を迎えるまでの恐怖の日々

12月19日の夜、ニューヨークに住む次女が関空に到着しました。夏に帰国しようと買っておいた航空券を延長して使えました。今後新規での航空券は買えないとのこと。セーフ!

12月20日以降ニューヨーク出発の人達は、到着後5日間のホテル強制隔離になるというニュース。娘はそれ以前の出発なので、着後の強制隔離は3日間。ラッキー!

ブースター接種(3回目のワクチン接種)も済ませていた娘は、大船に乗った気持ちで出発。3日間の強制隔離が終われば、公共交通機関を使えない、登録しておいた場所以外には行けないなどの制約はあるものの、2年半振りに会えるのですから、娘も私もその日を待ちわびていました。

これから何がどうなるのか、説明もないままに列に並ぶ
「夢のお正月」を迎えるまでの恐怖の日々
滞在先ホテル毎にタグの紐の色分け……この時点ではホテル名は知らされずただ待つのみ

空港でのPCR検査結果は陰性。(そりゃそうでしょう)と強気の娘も私も、3日後には会えると信じていました。

りんくうタウンにあるWホテル 広い部屋、お弁当は機内食。新鮮野菜とホカホカご飯にご満悦

ホテル強制隔離2日目、事態は一変!! 「同じ飛行機に乗っていた中にオミクロン株陽性者が出た」と娘から電話が!! まだ感染が始まったばかりで正体不明のオミクロン株。1人でも感染者が出たら、同乗者は全員濃厚接触者となり、さらに11日間ホテルを移っての強制隔離となります。

娘が11日間を過ごす予定になったホテルをネットで調べてみると、狭い部屋、派手な壁紙、窓がない部屋もありそうです。

すぐに自宅の地域を管轄する保健所に電話で、「11日間自宅隔離も可能なのか」と尋ねてみました。家の間取りを聞かれた上で、部屋はもちろん、トイレや洗面所を家族と分けて使えるか、家族と直接顔を合わせずに過ごせるか等聞かれました。

突然の事態に緊張が走りました。もし、娘がオミクロン株に感染していたら、家庭内感染を防げるのか。もし夫や私にも感染してしまったら、「老人ホーム」に帰れなくなってしまう。

2年半振りに帰国した娘を早く自宅に迎え入れてやりたい気持ちとの狭間で押しつぶされそうになりながら、夫、息子と3人で話し合い、万全の体制をとって自宅で隔離する決意を固めました。

一旦「老人ホーム」へ戻ると、抗菌効果の高いマスク、除菌スプレー、除菌ウエットシートなどを大量に買いこみ、長期滞在の準備をして自宅へと向かいました。

3日間のホテル強制隔離を2回目のPCR検査陰性を以て終えると、保健所が手配してくれた大型ハイヤーで娘は自宅に帰ってきました。

保健所の要請でホテルから自宅まで完全装備のハイヤーが

自宅での厳格な隔離生活を乗り越えて

全員がマスクをしっかりして、玄関で「お帰りなさい」と迎えると、脇目も振らずに2階の1番広い部屋へと娘は入っていきました。

自宅での厳格な隔離生活を乗り越えて
自宅での隔離生活のため2階へ向かう次女

2階のトイレ、洗面所は娘専用。食事は部屋の外に置いた椅子の上に配・下膳。入浴は全員が出かけている間に開け放したリビングを通って。入浴後は自分で洗剤で洗い開け放しておく。娘が通った後は、夫が除菌スプレーを使って殺菌。

そんな厳しい隔離生活の中でも、娘から楽しむための提案が。「食事はLINEビデオを通しておしやべりしながらすることにしない?」

夫の田舎から届いた14kgもの天然鰤を夫が捌いて作った、刺身や鰤シャブ、ハルメク通販で用意しておいたホタテや牡蠣のバターガーリック焼き―2年半振りの海の幸に娘も舌鼓。LINEビデオを通してその喜びが広がります。

少し遅れて同じ経過を経て自宅に戻ってきた長女共々、保健所から届く2回のPCR検査も陰性でクリアーして、晴れて迎えた大晦日・お正月。

帰国前日には、帰国後4回にわたるPCR検査を陰性で経過した娘達に、私たちの「終の棲家」を見てもらうこともできたのでした。
 

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harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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