老親の断捨離、疲れた…。人生の有限性、身に染みる
2024.01.27
公開日:2025年03月15日
100点満点の旅立ちでした
【父の認知症・その後】自宅で、おだやかに看取りました その2
父が86歳で亡くなりました。認知症と診断されてから2年弱、母が自宅介護を続けてきました。“死に立ち会う”という貴重な経験を2回に分けて綴っていきたいと思います。今回はその2回目です。
あわてて実家に帰ったが、あれ、意外と元気?
翌朝実家に帰ると、父はベッドの背中を起こして元気そうにしていました。そしてなぜか食欲旺盛。少々拍子抜けでした。
私が買ってきた缶詰のみかんを母に食べさせてもらうと、次は「ラーメンが食べたい」。
ずっとペースト状の食べものしか口にしていなかったのに、熱々のラーメンをフォークを使って自分で食べました。
また、動きたい気持ちが強く、ベッド脇にある椅子に座りたいと熱望。それはさすがに無理だと思いながらも、父の気持ちを尊重することに。
私と母、妹の3人がかりで父を支え、何とか椅子に座らせました。座ったとたんに父は息切れしたためすぐにベッドに戻しましたが、「自分でできた」という満足感にあふれていました。
もりもり食べる!そして歌う……“ラストラリー現象”
夕方になっても、父のアクティブさは衰えません。
入れ歯を入れて「せんべいが食べたい」と言い、バリバリ音を立てて食べました。誤嚥が心配でしたが、「よく噛んでね」と言いながら見守ります。
無事食べ終わると、お次は「手のひらを太陽に」や軍歌を歌い始めました。もう、"やりたいこと全部のせ"状態!

この日は、何かを私たちに話しかけてくれるものの聞き取れないことが多く、また、天井に向かって突然に何かを話したり、「あれ? 変だな」と感じることもありましたが、全体的には穏やかな一日でした。
すべてやり切って、満足した様子で、すやすやと眠りの世界へ入っていきました。
あとから友人に聞いたのですが、亡くなる前に急に元気になるのは「ラストラリー現象(中治り現象)」と呼ばれる現象で、ドーパミンやセロトニン、オキシトシンなどの物質にアドレナリンの作用が加わり起こるのではないかと言われているそうです。
贅沢なほどの幸せな旅立ち
満足して眠りの世界に入り、日付が変わる頃。
母は寝ている父の様子を見にベッドに行き、布団をかけ直していると、
父は大きな息をひとつして、
母に手を握ってもらって、
亡くなりました。
まるでドラマのような旅立ちでした。
半分開いた父の目の力のなさを見た私は、その瞬間「もうこの世にはいないな」と感じました。
悲しいとかさみしいとかいう気持ちより、「86年楽しかったね。お疲れさま」という思いがあふれました。
訪問看護師さんに連絡し、10分後に到着。
父の様子を確認して先生を呼んでくださり、死亡確認をしていただいたのは約1時間後のことでした。
先生が来るまでの間、看護師さんと母、妹、私の4人でいろんな話をしました。
看護師さんが初めて父に会ったときの話、これから何をしなくてはならないかの話(看護師さんは昨年親御さんを亡くしたそうで、葬儀の話もざっくばらんに教えてくれました)など、穏やかな時間を過ごしました。
病院での看取りではこうはいかなかったでしょう。危篤になればバタバタとお医者さんや看護師さんが来て、それはありがたいけれど、蘇生措置などもするのかもしれません。
特に大きな持病もなく、老衰で亡くなった父にとっては、自宅で看取れてよかったなぁと感じました。

介護生活を振り返って
長いようで短かった介護生活。日常的なケアは母がほとんど一人で担ってきて、私は母のケア(という名の話し相手)が中心でした。もう少し物理的な手伝いもするべきだったかなと反省しています。
が、結果的には母自身が納得のいく時間を過ごし、父の「家にいたい」という希望を叶えることができました。
結局、介護には”正解”などないのだと思います。逆に言えばどんな介護も正解なんだなと。
介護される側とする側双方が、フェーズが変わるタイミングごとに「どうしたいか、どうしてあげたいか」を話し合い(話せないときは察し)、少しでもお互いが自分らしくいられる方を探していくことが大切だな、と両親を見て感じました。
介護に限らず、「自分がどうしたいか」を都度考えて歩んでいくのは人生の基本かもしれません。
介護を通して感じたこの思いを、私のこれからの人生に生かしていきたいと思っています。
■もっと知りたい■