007:小林理香さん(60歳)
52歳で決意!国際線CAが情熱のタンゴで難病患者を癒やすセラピストに
52歳で決意!国際線CAが情熱のタンゴで難病患者を癒やすセラピストに
更新日:2025年06月14日
公開日:2025年02月14日
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あなたの“リスタートのヒント”が、きっと見つかるはず。
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小林理香さんのリスタート・ストーリー
JALで32年間、客室乗務員として世界中をフライトしてきた小林理香さん。タンゴに出合ったのは47歳のとき。さらにタンゴの師を通して「タンゴセラピー」の存在を知った。
50代に入ると睡眠障害の症状が悪化し、勤務中のあることがきっかけで退職を決意。
楽天でTOEICの講師や都内の大学病院の研究課で医療翻訳・通訳者を務めながら、米国ワシントン大学でアルツハイマー患者のためのタンゴセラピー・プログラムを学ぶ。
2015年には、日本タンゴセラピー協会の初代タンゴセラピストとして、都内のさまざまな高齢者施設にて活動をスタート。同時に全国パーキンソン病友の会ともつながり、タンゴセラピーの活動を広げている。(活動内容はコチラから)
タンゴは「3分間の恋」高揚感とトキメキに夢中になって

――タンゴに出合ったきっかけは?
45歳の頃、何か習い事を始めようと思ったのがきっかけ。日本橋にあるアルゼンチンタンゴ教室に通い始めました。
タンゴは「3分間のオペラ」ともいわれていて、1曲を踊る間、現実とは違う世界に入り込むことができるんです。一瞬で自己陶酔や現実逃避できるドラマティックな感覚は初体験。
発表会となると、それこそ華やかなドレス、メイクで着飾って、観客に注目されて舞台で踊るときの高揚感……。非日常すぎる世界にどハマりして、発表会や師匠の興行があるたびに「タンゴ休暇」を取っていたほどです(笑)
――ただ習うのではなく、タンゴセラピストになろうと思ったきっかけは?
タンゴの師匠であるエンリケモラレス&カロリーナアリベリシ先生は日本で初めてタンゴセラピーを広めた第一人者で、活動のお手伝いをするようになったこと。
タンゴセラピーとは、アルゼンチンタンゴの特徴を生かして心身の両面をケアすることのできるセラピーです。タンゴの独特のステップは、加齢とともに弱くなりがちな脚の筋力やバランス感覚を鍛える効果があります。
タンゴは男女ペアで、パートナーとバランスをとりながらハグして踊るスタイル。触れ合い、支え合いペアで踊ることで、自信や安心感にもつながります。
高齢者施設などでタンゴセラピーを行うと、ステップを踏むうちにみなさんの表情が明るくなったり、男性であれば自信を取り戻した表情になったり。前向きな変化を目の当たりにして、胸が熱くなることが何度もありました。
自分が躍って楽しむだけではない、こういう世界もあるのだと知りましたね。
ただ、さすがに当時は会社を辞めてタンゴで食べて行こうとは思っていませんでした。
睡眠障害になり、52歳で退職。タンゴセラピストの道へ
――「あの過去があるから今がある」と思えることは?
52歳での退職です。
結婚して子どもが生まれてからもフルタイムで勤務し続けてきた私にとって、退職は大きな決断でした。
初めて退職を意識したのは、47歳のとき。
JALの経営再建のための大規模なリストラがあり、1つ上の48歳以上の先輩方がリストラされることになりました。私はギリギリ会社に残れたものの、女性が多く、経験が必要な職場なのに年齢で切る会社のやり方に複雑な思いがありました。
また、国際線の客室乗務員で時間が不規則な上ハードワークなこともあり、体にはだいぶガタがきて、睡眠障害を抱えていました。
最初はただの時差ボケかと思っていましたが、ある日、飛行機が離陸する瞬間に眠くなり、あくびをしてしまったんです。離陸の瞬間は一番事故が起きやすい「魔の3分間」と呼ばれ、何より集中力を必要とする場面。
「乗務員失格」の烙印を押された気がしてショックで……。30年以上フライトを重ねてきてこんなことは初めてで、自分の中の限界を感じました。
当時、私は52歳。息子の大学時代の後輩が入社する年代になっていて、さすがに「もういいかな」という思いもありましたね。
――お金や仕事の不安はありましたか?
ずっと働き続けてきたこともあり、当面の生活費の心配はありませんでした。それよりも、これからのために、自分の体調を整えるのが先決。
体調が改善してから、これまでのスキルを生かしてできることはないか考え始めました。
英会話はある程度できたので、もう少し英語力を高めようとTOEICの資格を取ることに。
思い立ったら何事も集中、徹底、猪突猛進タイプなので(笑)、半年ほど真剣に勉強したら900点以上が取れ、社会的に仕事に生かせる資格ができました。
その資格とこれまでの人脈を生かして、起業でのTOEIC講師や医療翻訳・通訳者として働いたりと、生活する程度の収入は得られています。
――「チャレンジするなら今だ」と思ったタイミングは?
若年性パーキンソン病の存在を知ったとき。
私の睡眠障害はかなり重く、眠れないだけではなく、家で寝ているときに奇声を発することがありました。それを家族に指摘され、産業医に相談すると、パーキンソン病の疑いがあると。ショックでした。
それで治療法を調べると、タンゴセラピーが効果ありというワシントン大学の研究発表を見つけたんです。アメリカでは、アメリカンフットボールの選手などが外傷によって若年で罹るケースが多くて、病気の研究が進んでいるのだそうです。
いてもたってもいられず、ワシントン大学の博士宛てにお手紙を出し、アメリカに個人レッスンを受けに行きました。さらに毎年講習を受けたいと伝え、例外的に2回目の講習も実現。
受診の結果、問題はなくホッとしたのですが、パーキンソン病患者のためにタンゴセラピーを広めたいという気持ちに火がつきました。
――今までの経験で役立ったことはありますか?
行動力と熱意。
師匠とともにしていた日本タンゴセラピー協会での活動では、老人介護施設が中心で、必ずしもパーキンソン病の方がいるとは限りません。そこで自ら東京・中野にある全国パーキンソン病友の会にコンタクトをとり、フライト終わりに関係者に会いに行きました。
そこで、日本でも実は40代・50代の若年性パーキンソン病の人がいることを知りました。
これまでタンゴセラピーの活動をしてきた経緯、そして熱意が通じたのか、まだ何の実績もなかった私を信用いただけたのはありがたかったです。
いろんなことが繋がっているんだなあと実感しましたね。
指定難病患者に「命を燃やしている?」と問われながら

――どのように活動の幅を広げていったのですか?
毎年主催されるパーキンソン病の方たちのための旅行にタンゴセラピストとして同行させていただきました。
パーキンソン病の方は薬が効いているときは体が動いても、切れるとまったく動けなくなったり、坂道は歩けても平らなところは歩けず、よちよち歩きになってしまったりします。リアルな現場を見ることができたのは大きかったですね。
現在は、日本各地のパーキンソン病団体に出向き、定期的にタンゴセラピーの会を開催しています。
インストラクターとして、医師にも相談し、さまざまな症状に合った体のサポートの仕方を学んでいる最中です。
そんな活動を少し認めてもらえたのか、今年はこれまでの活動のご縁で、アジア太平洋パーキンソン病国際学会でも日本の代表として登壇することになりました。
――活動費はどう工面していますか?
最初は移動費用など自己負担していましたが、ありがたいことに今では活動先でお礼代をいただけるようになりました。
各地にタンゴセラピストの輪が広がり、サポートしてくれる仲間もいて心強いです。
――タンゴセラピーの活動でのやりがいは?
自分の愛する分野、タンゴダンスで沢山の方々と繋がり、社会貢献できること。
病気で不安だったり、できることが減って自信がなくなったりすると、人は内にこもりやすくなるもの。若年性パーキンソン病の方には家族や職場に病気のことを隠しながら過ごす人も多いんです。
だから、タンゴセラピーを通して、人と触れ合い、ステップを踏んで「まだ私もやれるじゃん」と勇気と笑顔が生まれる瞬間を見るのが本当にうれしい。
次のレッスンで会ったときに患者さんの表情が明るく変わっていたり、老齢の方でも、若い頃に着ていたドレスや靴を張り切って持って来てくださったりする方もいます。私が振り付けをつくると、みなさん本当にまじめでよく練習してくるんですよ。逆に「先生、そこ間違えてるよ」なんていわれることも(笑)
かっこよく踊る必要なんてないんです。ペアの2人で音楽を聴きながら自分たちの味を出して、楽しんでいる姿を見ると、ボランティアのつもりのようで、実は自分が癒やされて帰っている。
それに、不治の病といわれるパーキンソン病と闘い、日々生きている方々と向き合うと、「健康体の自分は、ちゃんと命を燃やして生きているのか?」と自分自身に問われている気がします。
病気や障害を一人、抱え込まなくていい社会を目指して
――活動する上での悩みや葛藤はありますか?
タンゴセラピーの認知度が低いこと。
日本では、男女ペアで踊ることに気恥ずかしさがあるのか、タンゴ自体がマイナーな存在。今は、まずはタンゴを知ってもらい、地域活性化につなげていく必要があると感じています。
最近は、元名古屋大学の南米音楽研究家の西村秀人先生をゲストに、音楽や料理を楽しみ、ダンスをするイベントなどを開催しました。
タンゴにはアルゼンチンという移民の国で、いろんな人種が混ざり合った多様な音楽やダンスから生まれた背景があります。ダンスに興味を持ってもらわなくても、アルゼンチンの生活や文化、タンゴの音楽や楽器など、何かに興味を持ってもらうだけでもいいんです。
タンゴやパーキンソン病に関わりのない人にいかに知ってもらい、理解や協力を得られる社会にしていくか、私はそのガイド役になれたらと思っています。
――活動に対して家族の反応はどうですか?
一人息子がいますが、CA時代、産休を1年間とった後は海外へのフライトが多くて、義母に協力してもらいながらどうにか育児をしていました。だから、息子はさみしい思いをしたかもしれません。仕事が忙しくてきょうだいをつくってあげられなかったことも、ときどき申し訳ないと思います。
そんな息子も今や31歳。自分の好きなことを仕事にして、ジャズベーシストになりました。つかず離れずの関係ですが、そのうちタンゴセラピーのイベントをやるときに演奏してくれたらいいなと密かに目論んでいます(笑)
――これがあるから、がんばれるモノや儀式は?
歩くのが好き。
普段から、頭が活性化されるので、なるべく歩くようにしています。
ふと新しいアイデアがわいたり、たまたま見つけたお店やギャラリーで新しい人とのつながりができたり。何気ない時間のように思えて、ふらりと入ってみたら素敵な出会いがあるなど、お散歩の収穫は大きいですね。季節の花を見るのも元気がもらえます。
以前、散歩中に見つけた花屋で一輪の芍薬を買い、ラテン系にアレンジしたらとても素敵で。花を飾るだけでそこがパワースポットになるような気がします。
アルゼンチンで春先に咲くジャカランダというきれいな紫色の花があるのですが、不思議と私が心惹かれるのも、紫色や藤色。発表会でダンスを踊るときに着るドレスも紫が多いんですよ。

――座右の銘は?
一期一会、和顔愛語(わがんあいご)、和顔施(わがんせ)、言伏(いいふ)
「一期一会」は、500名超えのジャンボ旅客機の客室乗務員時代に培った多くの経験、出会いから。「この瞬間は、二度と同じ経験は恵まれない」「常に今日出会えたことに感謝する」一期一会の人生を大切にしています。
「和顔愛語」「和顔施」を念頭に、なごやかな笑顔と思いやりのある話し方を心掛けています。
それから相手を論破するという意味の「言伏」については、私は割と口が早く、若い頃はそれで失敗したこともあって、禁忌としています。
――世の中にもっとあってほしいものは?減ってほしいものは?
気軽にダンスができる場所。
ダンスができる場所となると、床のコーティングなどの都合でできる場所がかなり限られます。タンゴに限らず、街中にダンスができる場所がもっと増えてほしい。
人のぬくもり、情熱、音や動きを生身で感じられる機会が増えたらいいなと思います。
逆に減ってほしいものは、世間の偏見。
若年性パーキンソン病の患者さんの中には、なかなかカミングアウトできず「なぜそんなに動きが緩慢なの?」などと周囲の理解を得られなくなり、仕事を失って路頭に迷う方もいます。
どんな病気も、明日は我が身。世の中の病気への偏見がなくなり、もっとインクルージョンな社会になるといいなと願って活動を続けています。
50代のリスタートに必要な3つの備え
私はありがたいことに、愛して止まないタンゴを通して人と人をつなぐ架け橋のようなことができるようになりました。年を重ねていく上で自分のことは半分くらいに抑えて、人のために尽くすことで、精神的により深く豊かな時間が得られています。
1.タイミングを逃さない
これまでを振り返ると、「今やらなくて、いつやるの?」と自分に問うことが多々ある人生でした。タイミングを逃せば、次は一生ないかもしれません。女性の場合、育児期間などなかなか動きにくい時期もありますが、もしやりたいことがあるなら、ここぞ!というときに決断や行動する勇気は大事。
2.人に自ら会いに行く
人との出会いを、偶然や自然に、に任せない。もっと知りたい、学びたい、何かをやってみたいと思ったら、自らその道の人に出会いに行くことがいちばんの近道です。その人より知識がないことに引け目を感じず、熱意と礼儀、その後の行動で道を開いていきましょう。
3.命を燃やす
やりたいことがあるなら、情熱をもってそれにかけて、とことん命を燃やしましょう。やりたいことがなければ、人のお手伝いやボランティアから始めてみるのもおすすめ。人と関わって尽くしたり社会貢献したり、できることを探してみると意外と身近にあるものです。
取材・文:庄司真美 写真:菅井淳子、小林理香さん提供 撮影協力:カフェ「RADIO PLANT」(東京都・世田谷区)、ウェルケアガーデン深沢(東京都・世田谷区)構成:長倉志乃(HALMEK up編集部)
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