012:冨永彩心さん(58歳)

子育て・看取り…15年のブランクを経て52歳でパーソナルスタイリストに!

子育て・看取り…15年のブランクを経て52歳でパーソナルスタイリストに!

更新日:2025年03月25日

公開日:2025年03月18日

50代以上の女性に寄り添う
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50代から新しい一歩を踏み出して、第二の人生を歩み始めた人たちに転機や成功の秘訣を聞く「わたしリスタート」。子どもの頃から夢見ていたスタイリストとして独立したものの、育児での軋轢から仕事を続けることを断念。52歳でパーソナルスタイリストとして返り咲いた冨永さんにチャレンジの軌跡を伺いました。

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あなたの“リスタートのヒント”が、きっと見つかるはず。
 → 他のエピソードも読む!(毎月更新)

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冨永彩心さんのリスタート・ストーリー

洋裁が得意な母の影響で、幼少の頃から服が大好きだった、冨永彩心さん。

スタイリストになることを夢見て、文化服装学院を経て、20代の頃、念願のスタイリストとして独立。雑誌「ELLE」や「MORE」などでも活躍した後、結婚。紆余曲折あり、出産後は家事や育児に専念することに。 

自分の夢も希望も諦めて、販売員の仕事を続けながら、家事や育児、介護をこなしてきた。そして離婚後、50代で予約のとれないパーソナルスタイリストとして返り咲く。

現在は、パーソナルスタイリスト養成講座を主宰しながら、大手企業の研修を手掛ける。

2024年に初の著書『45歳からの「似合う」が見つかるおしゃれ塾』(主婦の友社刊)を上梓。7.3万人(2025年2月現在)のフォロワーがいるインスタグラムで、「好きな服だけ着て生きる」のメッセージを発信し、多くの女性から指示されている。

30代で夢を諦め、子育て、介護に追われて

30代で夢を諦め、子育て、介護に追われて

――スタイリストを目指した理由は?

子どもの頃、母が洋裁が得意でよく服を作ってくれたんです。ぶっ飛んだ人だったので、デザインが洒落ていて、着て歩いていると、周囲の人に「かわいいわね」とよく褒められました。

利発な妹と比べて、私は気管支喘息を患い、体が弱くてパッとしない子どもだったので、母の作ってくれる洋服を着て褒められることが、子ども心にうれしかったし自信になっていたんでしょうね。

中高生になるとファッション雑誌のとりこになり、スタイリストが夢になりました。

ーースタイリストの仕事を辞めた理由は?

30歳で結婚、31歳で出産。当時、夢だった「ELLE」や「MORE」など雑誌の仕事をしていて、世代的に出産後も「聖子ちゃんのように自分の好きな仕事をするんだ!」と思っていました。

ですが、娘を幼稚園に通わせ、近くに住む義母に娘を預けてスタイリストの仕事を再開すると、お迎えに行くたびに「ママがいなくてかわいそうだったね〜」「さみしかったね〜」などと義母から浴びせられる言葉が、負担になってきて。

仕事に行っても早く家に帰りたい……なんて思うようになり、次第に罪悪感を抱くように。仕事が楽しくなくなり、心が折れてついに辞める決断をしました。

ーー仕事を辞めて家庭に入ることに、どんな思いがありましたか?

専業主婦として育児に専念するも、「本当にこれでいいの?」という葛藤が消えませんでした。

私のようにバブル期をかじった世代って、『普通で終わりたくない』『何者かになりたい』という思いが強い人、多いんじゃないかしら。でも、気付けば私はただの“パートのおばさん”。本当はこんなことをやりたいんじゃないのに……と悩み続けていました。

何も考えずに日々淡々と同じことのくり返し。義母の介護が本格化する頃には「もう何者にもならなくていいや」とあきらめの境地でしたね。

30代で夢を諦め、子育て、介護に追われて
左から2つは40代、右は57歳当時の冨永さん

――おしゃれへの意欲は?

30代、40代は、育児や介護が中心でおしゃれどころではありませんでした。

45歳のときは、義父が亡くなり、義母と同居して自宅介護がスタート。合わないパートの仕事に神経をすり減らして帰宅したら、娘を塾に送り、義母と二人で黙々とご飯を食べる……ああ思い出したくない!(笑)

しんどい家と息苦しい職場の往復の日々のような、暗い色の服ばかり着ていたように思います。娘にはよく「ママは笑っていても目が笑っていない」と指摘されていました。

やっぱりファッションの仕事がしたい!

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この春のおすすめコーデ。ユニクロのデニムやシャツを取り入れながら、冨永さんらしいスタイルに。ユニクロを取り入れるコツは「サイズ選びよ!」

――もう一度、ファッションの仕事をしようと思ったきっかけは?

このままではいけない、そう思って48歳のときに一念発起して百貨店のセレクトショップで販売員として働き始めました。

お店にあるパリコレに出ているようなブランドのきれいな洋服を見ているだけで、気持ちが晴れていったのを覚えています。介護との両立は大変でしたが、素敵な服に囲まれて働いているあいだだけは、本当の自分を取り戻せる時間でした。

通勤路を駆け足で直行直帰でも、街中をゆくだけで刺激的。着る洋服も変わっていきましたね。

――人生、休みたくなったことは?

義母が亡くなり、7年半の介護から解放されたとき。

あれほどやりたいことに思いを巡らせていたのに、いざとなると何をしたらいいかわからなくなっちゃって。子どもも大学生になると弁当を作る必要もなくなり、しばらくぼーっとしていましたね。

それに同僚と夜飲みに行くなんて、何年ぶりだろう。すごく楽しかった。

その後、2019年、51歳のときに勤めていたショップの方針に違和感を感じるようになり、退職を決意。これからは雇われる形ではなく、再びスタイリストとして「起業しよう」と思うようになりました。

そこから1年くらいは離婚や家庭の事情が重なり、再出発のための下準備のような期間になってしまいました。同僚が通っていたパーソナルカラー診断や骨格診断の話を思い出して、やっぱり学んでみたいと思い、スクールに通ったり。心理学を学んだり。

とにかく時間だけはあったので、いろんな場に出掛けて新しいことを吸収しながら「自分のために何かをする」という感覚を取り戻す大事な時間だったと思います。

――起業後は順調でしたか?

全然!どうすれば集客できるかわからなかったので、とりあえず...

雑誌「ハルメク」
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