死別の悲しみを抱いてどう生きていくか#2
夫の死、父との別れ。喪失の戸惑いや後悔・孤独にどう向き合う?
夫の死、父との別れ。喪失の戸惑いや後悔・孤独にどう向き合う?
更新日:2026年03月29日
公開日:2026年03月19日
取材者:河合真美江(かわい・まみえ)さん
1986年に朝日新聞社入社。松江支局や大阪本社整理部、文化部、金沢総局などに勤務し、文芸やジェンダー、死別と向き合う生き方などを取材してきた。2025年6月に退社。「ベルサイユのばら」で宝塚歌劇と出会い、記者として歌劇100周年のころを担当。
【体験談1】45歳で夫を亡くし、巡礼路を歩いた女性
異国の街で心が少し軽くなった理由
夫との最後の旅になったのは10年前の夏休み。スペインへの旅だった。旅行中に1度だけ、夫がおなかが痛いと言った時があった。「食べ過ぎだな」と笑っていた。
2カ月後、夫は膵臓がんだとわかった。抗がん剤治療をした。転院して手術を受け、一時は退院した。だが2015年5月、夫は亡くなった。42歳だった。
尾崎文子さん(54歳)と三つ下の夫、泰之さんは公務員で、同じ仕事をしていた。ふたりで建てた都内の家に文子さんは暮らし、働き続ける。「小さい家だけれど、ひとりだと広いんですよね」
職場の研修で出会い、1998年に結婚した。出歩くのが好きな夫だった。飛行機が苦手だった文子さんも旅行するようになった。ずっと一緒にいたかったから。ヨーロッパや台湾へ。
20カ国以上に行った。
45歳で夫を亡くし、ひとりになった。まわりにはなかなか気持ちを話せなかった。自分と結婚しなければ夫は今も生きているのではないか。そんなことも考えてしまう。
ふたり並んで同じ方向を見ている。そんな夫婦だったと思う。仕事で迷って相談すると、自分が考えたことと同じ答えが返ってきた。これでいいんだ。心強かったのに……。
夫の2度目の命日がめぐってくるころだった。日本語を話しているのに、まわりと言葉が通じ合わない感覚。この現実から逃げられないのなら、せめて心を逃避させたい― そう思った。
最後の旅行でスペインの街を夫と車でめぐった。世界遺産の「カミーノ・デ・サンティアゴ」。キリスト教の聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路だ。
ひとりで歩いてみよう。17年5月、スペインのパンプローナからスタート。西へ、西へ。1日20~30キロペースで歩く。
さまざまな国から来た巡礼者に出会う。「どこから来たの? なぜ、歩いているの?」。あいさつのように聞かれる。
「夫が死んだから」英語だとこまかい表現が難しくて、ストレートに話してしまえる。
そんな道中をブログにつづってきた。たとえば、こんなふうに。
バルでサングリアを飲んでいたら、初老のオーストラリア人男性に声をかけられました。どうしてカミーノに来たの? ひとりかい?
今日が夫の命日なのよ、って。
仕事以外何をしているの?って聞かれて
夫がいなくなってから何もしたくないのよと言ったら
今、君はここに来てるじゃないかって。
巡礼路は約800キロ。仕事があるので、途中で切り上げ、次の休暇に歩きつないで18年に1度目の巡礼を終えた。翌年に2度目の巡礼を始めたがコロナ禍のため中断。23年、巡礼路に戻った。
亡き夫と訪れた街をひとり歩き思うこと
ひとりで歩いていても、夫と一緒のつもり。だけど、やっぱりひとりだとあらためて実感してしまうのも現実だ。
1度目の巡礼では、教会や宿でスタンプを押す巡礼手帳を夫の分と二つ持って歩いた。そして、巡礼証明書には夫の名前も書き添えてもらった。一緒に歩き通したのだ。
夫が生きることを許されなかった時間を、自分が生きていることに違和感が募る。けれども、巡礼路で道連れになる人も、宿も街も優しくて、そんな気持ちが薄れる。
「Buen Camino(よい巡礼を)!」巡礼者はこうあいさつを交わし、地元の人もそう声をかけてくれる。自分のために祈ってくれて、自分も相手のために祈る。人の幸せを心から願える。そんな自分になれることに救われる。少しだけ夫に近い場所にいるんだと感じる。
日本に戻ると、日々の暮らしは淡々として変わらない。ただ、千年の歴史ある巡礼路を多くの人がさまざまな思いで歩いてきて、いまもそこにあると思うと、安心する。また歩こう。そう思う。
【体験談2】コロナ禍で84歳の父と面会できぬままの別れ
「あと何回会えるだろう」別れが迫るなかで見た景色
2022年の秋、埼玉県の老人介護施設で平野順子さんの父親は亡くなった。新型コロナのクラスターが起きて感染。翌日に旅立った。84歳だった。
面会が制限される中、2週間に1度、10歳になる息子を連れて会いに通った。15分だけの窓越しの面会。孫の顔を見て父はうれしそうだった。
父と息子は窓越しにじゃんけんで遊んだ。近ごろは、息子が手加減しておじいちゃんに勝たせているなと感じた。
お父さん、年をとっていくなあ。あと何回会えるだろう――。そう案じていた。口数が少なく、厳格な父だった。自分の父親を早くに亡くし、きょうだいのために進学をあきらめて働いたと聞いた。
「先生になりたかったんだよ、お父さんは」と母は言っていた。それもあった。順子さんは小学校教諭を目指した。「小学校の先生になるよ」。そう伝えた時も「うん、わかった」。一言だけ。けれども、「女の子は短大を出ればいい」と言っていた父が4年制大学に通わせてくれた。
採用が厳しい時代だったが、順子さんは試験に挑んで夢をかなえた。経験を積み、いま40代になった。
親にしてもらったことは返せない。それでも今できること
父は介護施設に入る前、肺や心臓が弱り、入退院を繰り返した。順子さんはよく実家に帰っては、父の足の爪を切った。体調をみるためでもあった。触れると体温がわかる。「冷たい」と気づき、急いで病院に行ったこともある。
コロナ禍の下、施設ではじかに会えず、爪を切ってあげられない。寂しかった。でも、外とのふれあいがほぼない場所なので感染の心配は少ないと安心していた。
なのに感染。まさか……。連絡がきた時、ショックで声も出なかった。さらに翌日、容体が急変したと授業中に連絡がきた。職員室の電話をとると、受話器の向こうに重篤な父がいた。
「お父さん、お父さん、しっかりしてよ」「お父さん、私のお父さんでいてくれてありがとう」。せいいっぱいの声は届いていたと思う。その日夕方、亡くなった。
火葬はあわただしく翌日。納体袋の中の父に一目、会うことができた。眠っているようだった。いまも施設に行けば、待っていてくれる気がする。もっともっと、会いたかった。話したかった。孫の成長を見ていてほしかった。
親にしてもらったことは返せないな。でも、この仕事は何があっても続けよう。そう思っている。
第3回では、40代の夫を大けがで亡くした女性と、40代の息子を難病で亡くした女性の体験談に加え、取材した記者が「喪の旅」を終えて思うことを紹介します。
※本記事は、書籍『喪の旅 愛しい人に出会い直す』より一部抜粋して構成しています。
もっと詳しく知りたい人は
2020年〜2025年に取材・掲載された朝日新聞の人気連載「喪の旅」。そこで話を聞いた30人それぞれの喪失の物語と、取材した記者自身の夫を亡くした経験をまとめた一冊。




