死別の悲しみを抱いてどう生きていくか#1

50代で夫を亡くした記者が始めた「喪の旅」死別の悲しみと向き合う日々

50代で夫を亡くした記者が始めた「喪の旅」死別の悲しみと向き合う日々

公開日:2026年03月22日

50代で夫を亡くした記者が始めた「喪の旅」死別の悲しみと向き合う日々

50代で夫を亡くした新聞記者が始めた連載「喪の旅」。大切な人との死別の悲しみにどう向き合うのか――朝日新聞の人気連載をまとめた書籍『喪の旅 愛しい人に出会い直す』より、原点となる体験を抜粋して紹介します。

お話を聞いたのは、河合真美江(かわい・まみえ)さん

お話を聞いたのは、河合真美江(かわい・まみえ)さん

1986年に朝日新聞社入社。松江支局や大阪本社整理部、文化部、金沢総局などに勤務し、文芸やジェンダー、死別と向き合う生き方などを取材してきた。2025年6月に退社。「ベルサイユのばら」で宝塚歌劇と出会い、記者として歌劇100周年のころを担当。

50代で夫を亡くした私が始めた「喪の旅」

50代で夫を亡くした私が始めた「喪の旅」
にしやひさ / PIXTA

50代で夫を亡くし、犬も死に、ひとりになって60代を生きている。人生、何が起こるかわからないと口では言っても、こんな毎日になるとは思ってもみなかった。会社を卒業したら家族であちこちに行こうと思い描いていたのに……予定は大幅変更だ。

夫とは、コロナ禍のなかの面会制限で、おしまいの入院では3週間ほど会えなかった。最後は自宅に帰って6日目、トイレで倒れて逝ってしまった。なんで……。そんなに急いで、アホやなあ。

介護休業を終え、職場に復帰した。平気な顔をして暮らしていた。マスクの下、後悔にフタをして。でも、ふいに涙がわき出してくる。

大切な人を亡くした多くの人がそうなのでは。書いて話して読んで、痛みをともにする場があれば。そう考えて「喪の旅」という連載を新聞で始めることにした。亡き人を思う読者のみなさんと道連れに、という企画。さまざまな方にお話をうかがった。

大切な人との死別後、その悲しみを抱いてどう生きていくか。それをテーマに話を聞き、記事を書き続けた。

連載は20年末から25年春まで4年あまり、朝日新聞の朝刊とデジタル版に掲載した。本シリーズの第2回第3回で一部ご紹介している。みなさんの心からの言葉に耳を澄ませていただけたら、とてもうれしい。

死別のあと、止まらなかった後悔。何気ない言葉にも傷つく日々

死別のあと、止まらなかった後悔。何気ない言葉にも傷つく日々
shige hattori / PIXTA

第1回は私自身の話。夫が亡くなった直後、自分がどのように暮らしていたのか思い出せない。食べて、寝ていたのだろうが。

死後のさまざまな手続きのなか、かかっていた大阪の病院に書類をとりにいく用事があった。病院に向かって歩く足元が不思議にふわふわし、前へなかなか進まない。遠く感じた。

病院の入り口に立つと夫の残像が見えて、苦しくてしゃがみこみそうになった。入院していた病室に夫が寝て待っているような気がしてならなかった。二度とこの病院には来られないなと思いながら、書類を手に帰った。

愛犬らんの散歩をしなくては。そうして坂道を歩いていると、自然と空を見上げていた。風のそよぎを感じる。

あ、この風のなかに夫の魂はとけているのかな。何かを私に伝えようとしているのかな。そんなことを思ったり、家の障子がカタカタと揺れると夫の気配を感じたり。なにか感覚が敏感になった気がした。

眠りはしばらく浅かった。きまったように朝4時には目が覚めた。もう、夫はいないんだ。朝がくると、思った。

そして繰り返し同じことを考えた。医療が進み、がんとつきあって生きる時代だといわれるだけに、なぜ夫はもう少しでも生きられなかったのかとくよくよしてしまう。
違う病院にかかっていたら? 別の治療をしていれば? 治療していなければ穏やかに過ごせたのか? 

正解はどこにあったのか。あれこれ考えてしまった。でも夫自身が治療を選び、全うしたのは大切なことだったと思う。

60歳を前にして死にゆくことを受けいれるのはどんなにか難しかっただろう。夫はどんなことを考えていたのか。どんな思いで日々過ごしていたのか。

もっと話をすればよかった。でも、話すことでこの世の別れを認めてしまうようで怖かったのかもしれない。

「この若さで亡くなるとは……」とよく言われた。傷つく言葉だ。夫はぎゅっと濃密な時間を生きたのだ。

でも、私が単身赴任していなければ。あんなにけんかしなければ。いや、私たちが結婚していなければ、彼はいまも元気でいるのではないか。出会わなければ、いまも彼は幸せにしているのではないか。私が大切な人を死なせてしまったんだ。

時をさかのぼって後悔が積もり、止まらなくなる。私はこれからの生涯ずっと悲しみのなかにいよう。それでいいと思った。

再起のきっかけになったのは、先に夫を亡くした、いとこの一言

再起のきっかけになったのは、先に夫を亡くした、いとこの一言
Graphs / PIXTA

ひとつ下のいとこは50代で夫を亡くした。現役の会社員でがんだった。その人の三回忌が過ぎたころだったが、私の夫が亡くなったことで初めていとことじっくり話すことができた。

「伴侶を亡くすとこんなにつらいんだって、経験して知ったんだよね。この気持ちはこれまでわからなかった。でもこういう人は世の中にいっぱいいて、ひとりひとりが悲しみのなかにいるんだとしたら、私も何かできないかなって思う。遺族会のお手伝いとか。だけど親の介護もあって、なかなか実際にはできなくて」

そう悔しそうに話し、いとこは続けた。「まみえちゃんはお仕事のなかで何かできるでしょ」この一言で私の心に小さな火がついた。

ちょうどそのころ、尊敬する詩人の詩語りの会におもむくと、その方から言われた。「まみえちゃん、竹久さんの死から花を咲かせてね。きっと咲かせることができる」

死から花を咲かせる。そんなことができるのか。私にはどんなふうに花を咲かせることができるだろうか。考えた。

思いついたのはひとつだった。それは取材して書くこと、伝えること。私たち夫婦は新聞記者なのだから。

「喪の旅」へ。別離と悲しみを抱えた人の物語を聞く

「喪の旅」へ。別離と悲しみを抱えた人の物語を聞く
buritora / PIXTA

大切な人を亡くすということ。生きていれば、だれしも向き合うことになるだろう。私自身、そのただなかに身を置くことになり、初めて味わう感情に右往左往していた。みなさんはどうなのだろう。知りたいと思った。

死別の悲しみを抱いて、どう生きていくか。これをテーマにさまざまなかたに話をうかがい、記事で届けていく。読者に経験を語ってもらい、読んでくださった方が今度は自分の経験を語ってくれたら、つながっていくかもしれない。

私の悲しみはこれからどう続いていくのか。みなさんはどのように悲しみとともに生きているのか。私にどこまでそれを聞くことができるか不安だった。

いま思えば、どうしようもない闇のなかの手さぐりだった。けれども何かをしないと、ここに立っていられなかった。切迫した思いのなか、私は「喪の旅」に出た。 

第2回では、40代で大切な人を亡くした2人の女性の体験談を通して、死別の悲しみを抱えて生きるヒントを探ります。

※本記事は、書籍『喪の旅 愛しい人に出会い直す』より一部抜粋して構成しています。

もっと詳しく知りたい人は

もっと詳しく知りたい人は
『喪の旅 愛しい人に出会い直す』河合真美江著(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)

2020年〜2025年に取材・掲載された朝日新聞の人気連載「喪の旅」。そこで話を聞いた30人それぞれの喪失の物語と、取材した記者自身の夫を亡くした経験をまとめた一冊。

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HALMEK up編集部
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