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- 矢部太郎さん漫画に見る自分なりの価値観で生きる幸せ
コラムニストの矢部万紀子さんのカルチャー連載。今回はお笑い芸人ながら、漫画家としても活躍するカラテカ矢部太郎さんの2年ぶりの単行本『ぼくのお父さん』をご紹介。矢部太郎さんの生い立ちと価値観には、幸せのヒントがありました。
『大家さんと僕』の大家さんには長生きエッセンスが詰まっている
カラテカ矢部太郎さんの『大家さんと僕』(新潮社刊)のことは、ご存じの方も多いことでしょう。
2017年に出版されベストセラーになり、手塚治虫文化賞短編賞を受賞した漫画です。「終戦の時が17歳」という大家さん、終戦から32年たって生まれたお笑い芸人の矢部さん。1階と2階に住む2人の交流がとても温かく描かれています。
この本を読んで、「大家さんには、元気で長生きのエッセンスがすべてある」と思いました。シニア女性誌の編集長を6年務めていた経験からの感想です。大家さんは親切で、好奇心とユーモアがありました。
「親切」は思いやる心。「好奇心」は心の広さ。「ユーモア」は独自の視点。この3つが揃うと、心も体も若さを保てる。そう整理できたのです。
最近、矢部さんの新しい漫画が発売されました。『ぼくのお父さん』(新潮社刊)です。矢部さんのお父さんは絵本作家のやべみつのりさん。まだ小学校に上がってない矢部さんとお父さんの日々が描かれています。
お父さんは、「会社」に行きません。その代わり矢部さんやその友達と遊んだり、野菜を作ったり、取り壊しになるお風呂屋さんの煙突を日がな一日スケッチしたりしています。
だから誕生日のプレゼントは、矢部さんが期待したテレビゲームではなく、手作りのびっくり箱。スランプなのか考えあってのことなのか、絵本の仕事は進めず、編集者を待たせるばかりです。
ゆったりして、クスッと笑えて、ちょっと哀しい。そんな漫画を読み終えて思いました。こういうお父さんに育てられたから、矢部さんは大家さんと出会え、あの漫画が描けたんだなあ、と。
人に勝ち社会的地位を得るより自分なりの生き方を選ぶ
矢部さんが育ったのは、高度成長の時代です。ひたすら働き、物を買い、それが幸せ。そんな時代にお父さんは乗りません。つかもうと思えばつかめるお金より、自分なりの生き方を選ぶ。そういうお父さんに育てられた矢部さんは高校の同級生に誘われてお笑いの世界に入りますが、私の知る限り、お笑いの世界ではすごく珍しいタイプです。
取材者として見ただけではありますが、お笑いの世界は競争のとても激しい世界です。毎日が勝負ですから、残っていくのは負けず嫌いで強気の人たち。早く売れて、いい家に住みたい。彼らには、家だって、勝負の証です。
『大家さんと僕』の最初に、不動産屋さんにいる矢部さんが描かれています。かつては二世帯住宅だった部屋で、大家さんはすごく上品な女性ですよ、とアパートをすすめる不動産屋さん。「ただ、かなりのご高齢なので、何かあったらよろしくお願いします」と付け足します。矢部さんは、「は、はい」と返事をするのです。
顔に斜めの線で、あせる矢部さんが描かれています。漫画のオチではあるのですが、本当にこういう会話があったように思えます。
それでも入居を決めたのは、矢部さんだから。一刻も早く売れたいと先を急ぐ人だったら、この後は「は、はい」ではなく、「それは無理です」だったのではないでしょうか。
そうして始まった大家さんとの交流も、矢部さんの辞書に「序列」とか「先入観」とか「えっへん」とかがなかったからだと思います。ああいうお父さんだったから、矢部さんには他人の価値観に合わせるという発想がなく、その意味で自由だと思うのです。
だから大家さんと自然体で付き合える。そして大家さんを愛し、尊敬し、できたのが『大家さんと僕』。多様性の時代にとてもフィットする価値観だから、大ヒットしたのだとも思います。
さりげなくスゴイ矢部太郎さん。すっかりファンに
矢部さんのことは20年以上前、「進ぬ!電波少年」というバラエティー番組に出ていた時から注目していました。「矢部」同士というのもあります。珍しい苗字なので、それだけで超親近感。しかもいかにも優しいお笑い芸人さんだったので、応援したい気持ちになりました。
番組で矢部さんはスワヒリ語とかモンゴル語とか外国の言葉を次々覚え、母国語とする人たちとコミュニケーションをとっていました。「何て賢いんだ、すごい!」と思いましたが、本人に「どうだ!」という感じが一切ないのも好感度大でした。
その番組を卒業した後、気象予報士試験に合格したことを知り、さすが!と心で拍手しました。私が大好きなつかこうへいさんの芝居に出演している矢部さんに遭遇、本当の拍手を送りました。『大家さんと僕』の出版記念トークショーに行き、並んでサインをもらいました。
ここまで書いてわかりました。私は矢部太郎さんのファンなのですね。どうぞみなさん、矢部さんを今後ともどうぞよろしくお願いします。
矢部万紀子(やべ・まきこ)
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)、『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(ともに幻冬舎新書)
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