アカデミー賞作品賞の最有力候補

映画「ノマドランド」年を重ねてからの孤独と向き合う

公開日:2021.04.10

コラムニストの矢部万紀子さんによる、カルチャー連載。今回は、アカデミー賞の最有力候補と言われている映画「ノマドランド」を鑑賞。主人公の61歳女性ファーン(Fern)とほぼ同い歳の著者から見た、放浪するシニア女性の姿とは?

映画「ノマドランド」年を重ねてからの孤独と向き合う
(C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved

ノンフィクション作品を映画化した「ノマドランド」

ノンフィクション作品を映画化した「ノマドランド」
(C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved

2021年アカデミー賞の授賞式が4月26日(日本時間)に開かれます。作品賞の最有力候補と言われているのが「ノマドランド」です。3月末に日本でも公開されたので、すぐ見に行きました。

主人公のファーンは61歳、夫を亡くし一人で生きています。演じているのは、アカデミー賞主演女優賞を2度受賞している名優、フランシス・マクドーマンドです。彼女が制作者の一人でもあると知り、すごみに満ちた演技に得心がいきました。『ノマド 漂流する高齢労働者たち』(J・ブルーダー著)というノンフィクションを読み、映画化を思いたち、クロエ・ジャオという北京生まれの女性監督を推薦したのも彼女だそうです。

原作通り「漂流する」高齢の男女の現実が描かれます。現実とは、何か。それをガツンと知らせるシーンが、始まってすぐにありました。ファーンが荒野で放尿するのです。暮らすとは排泄すること。それがノマド暮らしだとわかります。

ファーンの仲間になるノマドたちは、実際のノマドの男女だそうです。リーダー的な存在の男性がこう言っていました。「経済というタイタニックは沈みかけています」。ノマドという存在は社会への警告でもありますが、彼らは声高に叫ぶことはせず、穏やかにたくましく生きています。
 

60代、家を失い孤独を引き受けて生きる女性

ノマドランドには排泄するシーンも
(C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved

ファーンは、亡くなった夫とネバダ州エンパイアという街で暮らしていました。街を支えていた石膏採掘工場が閉鎖され、彼女の住んでいた社宅どころか、街そのものが消滅します。だから思い出の品をキャンピングカーに積み、ノマド暮らしを始めます。教師をしていたこともあるファーン。かつての教え子に「先生はホームレスになったの?」と聞かれ、こう答えます。「ホームレスでなくハウスレスよ」。

負け惜しみではなく、誇りだとマクドーマンドの演技が訴えます。そしてファーンは変わっていきます。仲間と交流し、プロのノマドへと変貌していくのです。車の改造や道具選びなど生きる知恵を身につけ、仕事も食料も融通し合います。それが、ノマドとして生きる覚悟を堅固にしていきます。

61歳のファーンがたくましくなっていく姿は、60歳の私には痛快です。が、それだけでは済まない重さもありました。彼女の孤独が全編に通底していて、心がヒリヒリしたのです。

ファーンは2度、ノマドはやめて一緒に暮らそう、と誘われます。最初は姉からでした。姉には成功した夫がいて、裕福な暮らしをしています。夫とその友人が、「不動産での儲け話」をするシーンがあります。ファーンはそれを黙って聞き流すことができず、「誰かをだまして儲けるのはおかしい」と声を荒げます。その興奮が冷めて、姉としみじみ語り合うファーンですが、誘いは断ります。

儲かる人ばかり儲かり、取り残される人は徹底的に取り残される。それがアメリカの現実だとしたら、姉からの誘いは現実と折り合いをつけるチャンスでした。が、ファーンは拒否します。ノマド暮らしが彼女に強い意志を与え、その強さが彼女に孤独を選ばせた。そういうシーンだと思いました。

(C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved
(C) 2021 20th Century Studios. All rights reserved

次に誘ったのは、元ノマド仲間で、今は息子と暮らす男性(デヴィッド・ストラザーンが演じています)でした。家を訪ねて来たファーンに、彼は愛を告白します。でも、彼女は黙って出ていくのです。彼の家のベッドで寝つかれず、自分のキャンピングカーで眠るファーンが描かれました。もうベッドでは眠れない。そういう体になってしまったから、愛を受け入れることはできない。それが彼女の答えだとしたら、あまりにも深い、強さゆえの孤独ではないか。そんな思いがして、苦しくなりました。

人間は誰しも孤独です。ですが、若い頃の孤独は忙しく働いたり、恋人や親しい友人ができたり、そういう波に乗っていればやり過ごせました。癒やされもし、傷つきもしたけれど、とにかくやり過ごせたのです。

年齢を重ねての孤独は、それとは違うと感じました。自分の強さが連れてくるものだから、他人との関係ではやり過ごせない。つまり、引き受けるしかない。ファーンという女性の生きる姿から、そんな思いが胸いっぱいに広がり、苦しくなったのです。

「ノマドランド」は、とても重たい映画でした。その中で唯一、明るさに満ちた、とてもきれいなシーンがありました。それは、広大な渓谷の雄大な水の流れを上から映したシーン。そこには、一糸纏わぬファーンが浮かんでいました。カメラが近づいていくと、彼女は目をつぶり、ただただ水に身を委ねていました。贅肉のないファーンの肉体が、孤独はかくも美しいと訴えているようでもありました。

孤独との闘いは一生続きます。ファーンも私も、道半ばなのかもしれません。

 

ノマドランドポスターイメージ


2021年3月26日(金)より全国公開
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原作:「ノマド:漂流する高齢労働者たち」(ジェシカ・ブルーダー著/春秋社刊)
 

矢部万紀子(やべ・まきこ)
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)、『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(ともに幻冬舎新書)

 

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矢部 万紀子

1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)

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