年を重ねて気付いた山口百恵さんの葛藤

山口百恵さんの引退コンサートは40年ぶりなのに新鮮

公開日:2021.02.16

コラムニストの矢部万紀子さんによる、カルチャー連載です。2021年1月30日にNHKで放送された山口百恵さんの引退コンサートをレビューします。40年来のファンである矢部さんが、今自分が年を重ねたからこそ感じた山口百恵さんの心情とは。

1月に放送された山口百恵さんの引退コンサート


私は、山口百恵さんと誕生日が一緒です。百恵さんは1959年1月17日生まれ、私は1961年1月17日生まれです。だから、だけではないですが、百恵さんのファンです。アルバムやDVDもたくさん持っています。80年10月5日、日本武道館で開かれたラストコンサートはテレビで見ましたし、もちろんDVDも持っています。

そんな百恵さんに最近、再会しました。2021年1月30日、NHKが放送した「伝説のコンサート“山口百恵1980.10.5日本武道館”」を見たのです。

引退から40年たった20年10月、BSプレミアムで放送された番組の特別再放送。最新技術でリマスターされた鮮やかな映像は若い世代も圧倒したようで、放送中に「百恵ちゃん」がツイッターのトレンドランキングを独占、視聴率も8.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と高く、どちらもニュースになりました。

 

記憶とは違う山口百恵さんの印象

記憶とは違う山口百恵さんの印象
山口百恵さんの600曲以上におよぶ楽曲は主要ストリーミングサービスで聞けます。(C)ソニー・ミュージックダイレクト

私はと言えば、しばらくぶりに会った百恵さんが新鮮で、別な百恵さんを見たような気がしました。というのも、私はずっと百恵さんを「きっぱりと選択した人」だと思っていたのです。人気絶頂の21歳で引退、結婚、以後は決して表舞台には立たない。その生き方を形容するのに「きっぱり」こそがふさわしいと。

引退コンサートはDVDで何度も見ました。最後に見たのは、長男の祐太朗さんが母・百恵さんの歌をカバーしたアルバムを出した4年前でした。4年ぶりに再会した百恵さんは、葛藤していました。ラストコンサートで「働く自分、スターである自分」を捨て、「お嫁さんになる自分」にスイッチさせた。そんなふうに見えたのです。

最初の歌は「This is my trial(私の試練)」でした。サビが繰り返されます。「This is my trial 私のゴールは 数えきれない人達の胸じゃない」。大勢に愛される自分を捨て、一人の男性にゴールする。そういう宣言から入るのです。観客への宣言だけでなく、自分への宣言でもある。最初にそう思わされました。

衣装は全部で4着、パンツは1着でした。赤いジャンプスーツでヒットメドレーを軽快に歌い、最後は「ロックンロール・ウィドウ」です。「いい加減にして、あたし、あなたのママじゃーない」と絶叫する百恵さんのうまさとすごみに見惚れました。

青いドレスに着替え、「いい日旅立ち」を歌うと空気が一転しました。百恵さんは「女」という文字、「一期一会」という言葉が好きだと語ります。名前の話になりました。「(百恵という)多くの幸せに恵まれるようにつけてくれた名前、私は好きです。でも心は、たくさんの幸せを望むより、たった一つ、その幸せを自分でつかみたい」と百恵さんは言い、自ら作詞した「一恵」という歌を熱唱しました。

ああ百恵さんの中には、二人の自分がいるのだな、と思いました。「働く自分」と「お嫁に行く自分」です。前者は強さにあふれ、頂点が「ロックンロール・ウィドウ」。歌う自分を捨てるのは、簡単ではなかったのだと思いました。歌いたい思いを振り切り、すべてを捨ててお嫁に行くには、自分を説得する必要があったのです。「一恵」には、こうあります。「あなたへの愛を両手に、つぶやいた。あたしは、女」。

 

「わがまま」は誰にとっての「わがまま」か?

山口百恵さんの引退コンサートの感想


「お嫁に行く」という表現は、語りの中で百恵さんが使ったものです。最近はめったに聞きません。青いドレスの後、百恵さんは真っ白なドレスで登場しました。ラスト2曲を歌うにあたり、こう言いました。

「私が選んだ結論、とてもわがままな生き方だと思いながら、押し通してしまいます」。涙ぐみ、前を見つめ直しました。最後の台詞(せりふ)はこうでした。

「私のわがままを許してくれてありがとう。幸せになります」

誰にとっての「わがまま」なのでしょうか。まずはファン。ですが、それだけではないと思いました。「お嫁に行く百恵さん」が決めた引退は、「働く百恵さん」にとってはわがまま。見終えて、そう確信しました。

素晴らしいコンサートでした。才能に加え、並外れた努力をしたことが伝わってきました。そのことを一番わかっていたのは、百恵さん自身に違いありません。それを断ち切るのは、身を削られるに等しいことだったと思うのです。

でも百恵さんの中には、温かい家庭を築きたいと強く望む自分もいた。そちらを取ると決めるまで、どれほど葛藤したことでしょう。その大変さが見えた再会でした。

年を重ねるとは、こんなことかも。そんなふうに感じます。私の頭の中にいた百恵さんは、私と一緒に年をとっています。60歳になったからかどうかはわかりません。でも4年ぶりに見たラストコンサートでテレビに映っていたのは、一人の21歳の女性でした。

「引退の決断、大変でしたね。素敵なコンサートをありがとう」。百恵さんにそう声をかけたくなりました。
 

矢部万紀子(やべ・まきこ)
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)、『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(ともに幻冬舎新書)

イラストレーション=吉田美潮
 

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矢部 万紀子

1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)

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