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- 親を失った被災地の子どもたちに届け!絵本と想う心
これまで数々の絵本の出版を手がけ、皇后美智子さまの本も出版してきた末盛千枝子さん。震災の前年に移住した故郷・岩手で「3・11絵本プロジェクトいわて」を立ち上げました。被災地の子どもたちに絵本を届ける活動を追った2011初夏のレポートです。
末盛千枝子(すえもり・ちえこ)さんってどんな人?
末盛千枝子
1941年、父・彫刻家・舟越保武と母・道子の長女として東京に生まれる。
4歳から10歳まで岩手県盛岡市で過ごす。慶應義塾大学卒業後、絵本の出版社・至光社に入社。83年、夫の突然死のあと、ジー・シー・プレスで絵本出版を手がける。
最初に出版した本のうちの1冊、『あさ・One morning』が86年、ボローニャ国際児童図書店グランプリを受賞。ニューヨーク・タイムズ年間最優秀絵本に選ばれる。
88年、株式会社すえもりブックスを設立。
以後、まど・みちおの詩を、皇后美智子様が選・英訳された『どうぶつたち・THE ANIMALS』と『ふしぎなポケットTHE MAGIC POCKET』、98年には皇后美智子様のご講演をまとめた『橋をかける・子供時代の読書の思い出』の他、国内外の絵本等を出版。
2010年、69歳のときに住み慣れた東京を離れ、60年暮らした東京から、故郷・岩手に移住。
2011年の東日本大震災後、「3・11絵本プロジェクトいわて」を立ち上げ、被災地の子どもたちに絵本を届ける活動を開始(プロジェクトは2021年に終了)。
小さなうれしいが重なって、気付いたら元気に、が理想
※この記事は2011年6月の取材をもとに構成しています。
上の写真は、2011年5月24日、"えほんカー"第一号が岩手県野田村の保育所を訪問した様子。絵本の読み聞かせをした後、30人の園児が600冊の中から思い思いに好きな一冊を選んだところです。
末盛千枝子さんの呼びかけに、全国・海外からも集まった絵本は何と20万冊。延べ1400名のボランティアスタッフが開梱・仕分け作業をし、4月4日から宮古市、山田町、大船渡市、野田村、釜石市など5か所の被災地を巡り、3万冊を届けました。
「IBBY(国際児童図書評議会)という組織で理事をしていたとき、空襲のある戦地や被災地で、子どもたちを膝に乗せて絵本を読んであげると、そのときだけは少し恐怖心を忘れ、落ち着きを取り戻す、と友人たちに聞かされてきました。
一冊の絵本を見たからといって急に元気になるわけでは ないけれど、そういう小さいうれしいことが少しずつ重なっていって、気が付いたら元気になっていたということになるといい、と思っています」と末盛さん。
「何かしたいと考えていたとき、このプロジェクトを知り、これだ!と思いました」という手紙とともに届く絵本の数々や、2~5歳の子どもたちが「これは僕がとても好きな本です。楽しんでください」、「僕はこの怪獣が好きです」といった絵手紙を添えて送ってくれた本もたくさんあるそうです。
「被災地の子どもたちに宛てた、子どもたちの絵本”というのができそうなくらいですよ。娘や息子が結婚して孫ができたらと、とっておいた本を、どうやらその気配がないので送ります、という方も多かったです(笑)。絵本に対するみなさんの信頼の大きさに、驚きました」
一人一人、背負う悲しみも、表現の仕方も違うから
最初に向かった岩手県宮古市の赤前保育園では、3歳くらいの女の子がひとり、読み聞かせの輪に入らずに、じっと下を向いていたそうです。避難所で、帰ってこない母親を待っている子でした。
その一方で、「陸前高田市の小学校高学年の子どもたちは楽しそうに本を手にしていましたが、実は車や家が流れていったり、フェンスにつかまっていた人がついに手を放してしまった光景を、全部見てしまった子どもたちだったのです。
子どもって大人に対しての思いやりもあって、なかなか口には出さないのですが、その子その子が違う悲しみを背負っていて、表現のしかたも違うんだと思います」
末盛さんご自身も、前の夫が亡くなったとき、長男、次男の様子から、それを感じ取ったそうです。
「二人ともしばらくパパのパの字も言わなかったんです。よその父親と息子が歩いていて、パパ~、と話しかけたりするのを見かけると、長男が私の顔を見上げて、ニーっと笑って。仕方がないねって私をいたわってくれているようでした。
夫の死から2か月後、洗いものをしている私の隣に長男がやってきて『パパが最初に気持ちが悪いと言ったとき、すぐ救急車を呼べば助かったかもしれないね』って。ということは、それまでの間、彼はずっと心の中にそれをしまっていたんです。
次男のほうは、夫がつくった最後のテレビ番組をいくら言っても絶対に見なかった。見れば死を認めることになると思ったのでしょうか」
夫の死後、「実は私も小さいときに親に死なれたんです」と、末盛さんに声をかける人が多くいました。「こんなにたくさんの人がそうだったのか、そしてこんなに立派な大人になったのか、と胸がいっぱいになりました。それは本当にありがたいことでしたね」
東日本大震災で、両親ともに亡くなったり、行方不明になった18歳未満の震災孤児は、岩手、宮城、福島の3県で200人以上に上ると報道されています(2011年6月取材当時)。
「絵本プロジェクトは、長い仕事になると思います。宮城や青森などからも要請があり、いろいろな地域をまわるためにも、えほんカーを増やしたい。戦後私たちが、紙芝居屋さんが巡って来るのを楽しみにしていたように、えほんカーも、そんな存在になれたらいいと思います」
「3・11絵本プロジェクトいわて」の活動
えほんカーを被災地の子どもたちへ!小さな避難所や仮設住宅にも絵本を届けるプロジェクト(10年間の活動を経て、2021年3月26日、活動終了)
http://www.ehonproject.org/iwate/index.html
子どもにも大人にも読んでほしい4冊の絵本
絵本は子どもだけのものではありません。子どもも、そして大人にも読んでほしい、末盛さんが選んだおすすめの4冊をご紹介します。
『おやすみなさいのほん』
眠りにつくとき、みんなを安心させる本。えほんカーに、必ず入れたい1冊。
マーガレット・ワイズ・ブラウン=文 ジャン・シャロー=絵 石井桃子=訳 福音館書店1155円(税込)
『100万回生きたねこ』
愛することと死ぬことが見事に描かれている本。これを1冊だけ贈ってくれた方も。
佐野洋子作・絵 講談社1470円(税込)
『フレデリック』
みんなが寒いとき、太陽の光を思い出させるフレデリック。今の絵本の必要性は、ここに込められていると思います。
レオ・レオニ=作・絵 谷川俊太郎=訳 好学社1529円(税込)
『ラチとらいおん』
弱虫なラチが、ポケットにいるライオンのおかげで強くなれる。たわいのない話でも、大好きな本。
マレーク・ベロニカ=文・絵 徳永康元=訳 福音館書店1155円(税込)
取材・文=野田有香(ハルメク編集部) 写真=堀内孝
※この記事は、雑誌「ハルメク」2011年8月号を再掲載しています。
末盛千枝子さんの展覧会が開催されます
さまざまな人々との出会いと協働によって生みだした珠玉の絵本の原画や資料とともに、末盛さんを育んだ舟越家の人々――彫刻家の父・舟越保武、弟・舟越桂、舟越直木、そして自らの文才を捨てて彫刻家の妻として生きた母・道子の作品を展覧。末盛さんの人生と仕事の全容に光を当てた展示会です。
「3.11絵本プロジェクト」の活動の全容も、写真、IBBYロンドン大会でのスピーチ映像、国内外から寄せられたメッセージ等を通して紹介します。
会期:2023年4月15日(土)- 6月25日(日)
会場:市原湖畔美術館
〒290-0554 千葉県市原市不入75-1
https://lsm-ichihara.jp/exhibition/chieko_suemori_and_funakoshi_family/
「苦難を受け入れ今を生きる」気付きがここに
東日本大震災から12年。忘れてほしくない、編集部員が取材してきた「人」と「希望」の記録。
2011年:釜石:自分の今いる場所で、前に進む力を取り戻したい
2011年:親を失った被災地の子どもたちに届け!絵本と想う心
2011年:写真の力:何があっても大丈夫。いつか、そう思える時がくるから
2012年:旅館再開。海鮮漬け復活。奥さんパワーで地元を元気に(3下旬公開予定)
2013年:福島から今、伝えたいこと――原発事故後も暮らし続けて
2018年:7年経っても消えない思い、新たに生まれた出会い(3月下旬公開予定)
2019年:8年越しの夢。人と夢と故郷をつなぐ、三陸・喜びの一本道
2021年:希望の詩「開き直って、もう一度、生きてみるすか」
東日本大震災体験談と役立つ防災情報まとめ
大地震や、台風による水害といった災害が起きたとき、自分と大切な人の命を守るために――。地震や豪雨に被災した女性たちが考える、本当に必要だった災害への備えと防災の知恵を集めました。
雑誌「ハルメク」
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40歳で終活
いやいやまだまだ人生半ばですよ。一方不意の事故など ゼロではないですからね。病気とかならある程度 覚悟は出来ますけど、事故とか突然ですから。 40歳で終活って早くないですか。自分史とか 半分も書けないです。 https://syukatsulabo.jp/article/6277
締切済み ベストアンサー2020.02.21 -
終活ってどれくらいかかりますか
それこそ生活保護レベルの葬式なら20万を切ります。 高額医療費制度も上限は8万くらいです。 身元保証だって数十万です。 厚生年金の範疇で入れる老人ホームだってあります。 100万あれば御の字じゃないですか。 https://www.osohshiki.jp/
締切済み ベストアンサー2019.05.06 -
親の面倒
ごめんなさい。長文です。 私の両親はまだ元気で経済的にも、身体的にも自立しています。父もとある会社の会社役員として未だに子供達よりも沢山の年収があります。しかしもう70代で、段々と家の事が回らなくなってきました。 2人姉妹の姉は婿養子を取るということで実家の近くに住み、私は高速で3時間位離れた所に住んでいます。私は年に数回しか実家に帰省出来ませんが、その度に(昔の家なのでかなり広いです)家の中や倉庫やプレハブの物置、ベランダに建てられた物置(バーベキュースペースを潰してまで建てたので広いです。)地下の物置と整理していますが追いつきません…。今は掃除や庭の手入れは業者に入ってもらっていますが、一時はワックス掛け等も私がやっていました。しかも両親は私が帰省したら、色んな所に昼夜問わず食事や飲みに連れて行く事を楽しみにしていて、無下に断れません。勿論両親の奢りですし、帰省の毎に私にも子供にもお小遣いをくれます。だから変な話損は無いです。ただ私はそんなもの欲しくてやっている訳ではありません。母が終活の事等、気にしているし、昔の人だから物を捨てられないので、私がやってあげています。ただとても時間が足りないし、その後2、3日何とも言われぬ疲れで私は寝込んでしまいます。 先日母は週に1~2度はお手伝いさんに入ってもらう事を受け入れました。勿論全く要介護等ついてないので、お金は掛かりますが。ただやっぱり常に他人が入る事が嫌で、知り合いの人が今やってる仕事が終わったら、家に来てもらう。て事で何時のことやら分かりません。そこで私は少しは姉にもやって欲しいのですが、全くやらないどころか実家に顔も見せません。子供か小さい頃はしょっちゅう預けに来ていましたがもう大きくなったので、実家には2~3ヶ月に1回電話してくるくらいです。両親は「あの子はそんな子だから。子供を見てもらう時しか実家には用事の無い子だから。」と諦めていますが、それなら私はこんなに遠くにお嫁に来なかったし、財産を放棄して姉に養子を取らせる必要も無かったようにも思うのです。 1度姉に「お母さんも最近年取ってきたよ。たまには帰ってあげて欲しい。面倒見るて言っても、寝たきりになった時だけでは無いよ。」て言ったら、激怒されて、その後何年も私が電話をしない限り向こうから連絡は有りませんし、こちらの名物や季節の物を送っても、母を通して「もう、送って要らない。迷惑なんだって。」て言われました。私は姉と喧嘩する気は有りません。もし私が病気になったら、両親を見てあげる事が出来なくなるから、両親が死ぬまでは姉の機嫌を取っておきたいです。ただ今からどんどん年老いていく両親をどうしたら良いのか?姉にどうやったら上手く伝わるのか分かりません。 今すぐに介護が必要では無い両親、死ぬまで経済的なお世話をする事は絶対に有りません。しかしより穏やかな不自由の無い老後を送る為に、姉にどういう風に伝えれば上手くいくでしょうか?教えてください。
締切済み ベストアンサー2019.04.17 -
父親の身の始末
父親の身の始末をどうすべきか、悩んでいます。このように書くと親不孝者のようですが、今から親の終活に備え準備しておくのは、重要な事だと思っています。 現在、男性の平均寿命は80.98歳、男性の健康寿命は72.14歳、平均介護期間は8.84年だそうです。あくまで概算です。 父方の祖父は、当時の平均寿命より11年ほど長生きしていますが、介護施設で6年ほど過ごしてこの世を去りました。父も祖父と同じように長生きしてくれるのであれば、90歳近くあるいはそれ以上まで生きるようになりますが、人の寿命や先々の事は分かりません。 父親には幾つかの持病はありますが、比較的元気です。しかし、ここ最近は体力の低下と若干の痴呆傾向が出てきており、年齢的な衰えを感じています。 現在健康寿命は男女とも70代で、その後約10年は、誰しも体の不調を抱えながら生活していると言います。という事は、亡くなる10年ほど前から体に不調が出てくるという話になります。 私は父親と一緒に生活していますが、以前よりも明らかに出来ない事が増え、出来ない事への不満を周囲に当たり散らすようになりました。痴呆も進んでおり、認識力、判断力、思考力のいずれも低下しています。 そうした事を鑑みた場合、父親の介護施設入所は幾つくらいが妥当だと判断できますか? 父方の祖父は、80歳をだいぶ過ぎてからの入所でした。90歳を過ぎてからや100歳近くになってから入所する人もいるようですが、人それぞれ介護度や家庭の事情も違ってくるでしょうから、一概には言えません。 父親の場合、幾つくらいが妥当なのか判断が付きかね悩んでいます。 長くなりましたが、介護経験者の皆様、どうかお知恵をお貸し下さい。お願い致します。
締切済み ベストアンサー2019.03.18
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