内気だった子ども時代。
女学校を中退し歌劇団へ
――「舞台に立って、お客様に何かを差しあげるのが私の仕事」と話す草笛さんですが、もともとは引っ込み思案な性格で、人前に出るのは大の苦手だったそうです。
子どもの頃、内気でおとなしかった私は、家族以外の人と関わるのがつらくて。人前に出ると口もきけないし、目も合わせられない。心配した母が近所の子どもたちを家に呼んだことがありました。食べ物とおもちゃを用意して『さあ、みんなで遊びなさい』と言ってしばらくして母が様子を見にくると、みんな楽しそうに遊んでいるのに、私は一人ぽつんと背中を向けておもちゃをいじくっている。そんな子だったの。たぶん今も、そういう性分は私の根っこにあると思います。
父のすすめで女学校を受験し、神奈川県立横浜第一高等女学校(現・横浜平沼高校)に入学すると、通学のためにたった一駅電車に乗るのもドキドキして、片道4キロの道のりを毎日歩いて通いました。おかげで足腰が鍛えられ、体が丈夫になりましたね。放課後は創作舞踊のサークルで活動し、自分を表現することの楽しさを知りました。
高校3年生のある日、松竹歌劇団に憧れていた友人が、入団試験の記事を私のところに持ってきて「自分は無理だから代わりに受けてみてよ」と言うんです。私は歌劇団がどういうものかもよくわかっていなかったけど、友人に説得されて受けたら受かっちゃったわけです。
将来、私が医者になることを期待していた母をはじめ家族は猛反対。そうなると反発心から“自分の道は自分で決めたい”という思いが湧いてきて、女学校を1か月休学し、歌劇団に通うことに。結局、卒業まで3か月を残して女学校を中退し、歌劇団に専念することにしたんです。
母には申し訳ないなと思いましたが、自分で選んだ道だから責任を持ってしっかり歩いていこうと覚悟を決めました。
――松竹歌劇団でダンスや歌のレッスンに必死で励んだ草笛さんは、研究生時代から舞台に抜擢され、「10年の一度の新人」と呼ばれるようになります。次回は、歌劇団を出てからの活躍、そして短かった結婚生活についても伺います。