ここまで年を重ねてきた喜びも、
悲しみも、寂しさも、誇らしさも、
すべて受け入れて
自分を明るくリードしていく

女優として70年以上にわたり第一線で活躍を続け、2023年に90歳を迎えた草笛光子さん。これまでの歩みを振り返りながら、90歳となった今の思い、そして年を重ねてなお輝き続ける秘訣をお聞きしました。

“90歳はおばあちゃん”という
イメージをひっくり返す


――草笛さんは2023年10月22日に90歳の誕生日を迎えました。

あっという間に90という数字が私の目の前にやってきて、まさに“90歳、何がめでたい”ですよ。もう人生の終わりが近付いているわけで、夜中にふっと“私、あとどのくらいであの世に行くのかな”なんて思いが頭をよぎることもあります。

だけど暗くなるような考え方はしたくないから、どうやったら90歳を楽しく生きられるか、面白がっている自分もいるんです。みんな、90歳はおばあちゃんだと思っているでしょう。だから普通なら絶対やらないようなことをやって、90歳のイメージをひっくり返しちゃおう、なんて考えてみたり(笑)

ここまで年を重ねてきた喜びも、悲しみも、寂しさも、誇らしさも、すべて受け入れて自分を明るくリードしていく力が大事なんじゃないかしら。

人を感動させられる
女優になって死にたい

――90歳のイメージをひっくり返すための第一歩として、草笛さんはジャズダンススタジオのレッスンに参加してみたといいます。

草笛さんが訪れたのは、かつて「光子の窓」(1958~60年、日本テレビ系で放映された日本初の音楽バラエティ)で一緒に踊っていたこともあるダンサー、名倉加代子さんが主宰する名倉ジャズダンススタジオです。

最初は見学のつもりで、30~40人の生徒さんが踊っているのを眺めていたら、ウズウズしてきて「私も入れて」とお願いしました。名倉さんが「どうぞ」と言ってくれたので、後先を考えずレッスンに参加したわけです。

私より若い生徒さんに混じって1時間40分。ストレッチから始まり、振付けをしてもらって時間内に完成させるというハードなレッスンです。みなさんと同じ振付けで汗水たらして踊っていると、昔のように足が伸びなかったり、動きを間違ってしまったり。

だけど、恥ずかしいなんて絶対に思わないで、平気で踊っちゃうの。“この年齢でみっともない”なんて弱い気持ちは捨てて、若いみんなと一緒に楽しく踊っていられる、その精神がうれしいんです。

私は20代の頃から20年以上、借金をしてでもブロードウェイに通ってミュージカルを観てきました。あちらでは80代のスターも決して珍しくはなく、楽しそうに歌って踊っているんですね。だから私も堂々とステージに立って歌って踊って、90代なりの舞台を作ってみたい。ただ年をとったから大御所女優だとか、そういうことじゃなくて、人を感動させられる女優になって死にたい。それが今の願いです。

内気だった子ども時代。
女学校を中退し歌劇団へ

――「舞台に立って、お客様に何かを差しあげるのが私の仕事」と話す草笛さんですが、もともとは引っ込み思案な性格で、人前に出るのは大の苦手だったそうです。

子どもの頃、内気でおとなしかった私は、家族以外の人と関わるのがつらくて。人前に出ると口もきけないし、目も合わせられない。心配した母が近所の子どもたちを家に呼んだことがありました。食べ物とおもちゃを用意して『さあ、みんなで遊びなさい』と言ってしばらくして母が様子を見にくると、みんな楽しそうに遊んでいるのに、私は一人ぽつんと背中を向けておもちゃをいじくっている。そんな子だったの。たぶん今も、そういう性分は私の根っこにあると思います。

父のすすめで女学校を受験し、神奈川県立横浜第一高等女学校(現・横浜平沼高校)に入学すると、通学のためにたった一駅電車に乗るのもドキドキして、片道4キロの道のりを毎日歩いて通いました。おかげで足腰が鍛えられ、体が丈夫になりましたね。放課後は創作舞踊のサークルで活動し、自分を表現することの楽しさを知りました。

高校3年生のある日、松竹歌劇団に憧れていた友人が、入団試験の記事を私のところに持ってきて「自分は無理だから代わりに受けてみてよ」と言うんです。私は歌劇団がどういうものかもよくわかっていなかったけど、友人に説得されて受けたら受かっちゃったわけです。

将来、私が医者になることを期待していた母をはじめ家族は猛反対。そうなると反発心から“自分の道は自分で決めたい”という思いが湧いてきて、女学校を1か月休学し、歌劇団に通うことに。結局、卒業まで3か月を残して女学校を中退し、歌劇団に専念することにしたんです。

母には申し訳ないなと思いましたが、自分で選んだ道だから責任を持ってしっかり歩いていこうと覚悟を決めました。

――松竹歌劇団でダンスや歌のレッスンに必死で励んだ草笛さんは、研究生時代から舞台に抜擢され、「10年の一度の新人」と呼ばれるようになります。次回は、歌劇団を出てからの活躍、そして短かった結婚生活についても伺います。

取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 写真=中西裕人
構成=長倉志乃(ハルメク365編集部)

草笛光子

くさぶえみつこ

 

1933(昭和8)年、神奈川県生まれ。50年松竹歌劇団に入団。53年に映画デビュー。日本のミュージカル界の草分け的存在で「ラ・マンチャの男」「シカゴ」などの日本初演に参加。その後数々の舞台・映画・テレビドラマに出演。その演技が認められ、芸術祭賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀女優賞・芸術栄誉賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞・会長功労賞など受賞多数。連載コラムをまとめた著書「きれいに生きましょうね」(文藝春秋刊)が5月28日に発売。作家・佐藤愛子さんのベストセラー『九十歳。何がめでたい』を原作にした映画で(2024年6月21日公開)で主演。

プロフィール写真
©2024『九⼗歳。何がめでたい』製作委員会
©佐藤愛⼦/⼩学館

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