死のうと思い詰めた苦悩の日々 女優人生を掛けた挑戦
2024.06.012024年06月01日
シリーズ彼女の生き様|草笛光子 #2
短かった結婚生活のこと 悲しみや後悔を残さない智恵
正々堂々とやり切ったなら 完全燃焼して悔いは残らない。 中途半端にくすぶっているより ずっとよかった
写真提供=草笛光子さん
母との合言葉は
「きれいに生きましょうね」
松竹歌劇団に在籍しながら映画やラジオの仕事が増えると、母が送り迎えをしてくれるようになり、退団後はマネージャーになってくれました。
母はもともと普通の主婦でしたが、とても社交的で誰からも好かれる人でした。東宝の取締役をしていた劇作家の菊田一夫先生から「かあちゃん、かあちゃん」と慕われたり、市川崑監督に「ママ、麻雀しようよ」と誘われて朝まで付き合ったり。私よりも人気があったくらいでした。
芸能界とは縁がなく、まったくの素人だった母は、親心から私のマネージャーになったことで、映画関係者や舞台関係者にもまれ、とても苦労したはずです。芸能界の裏も見てしまった母はよく「光子ちゃん、きれいに生きましょうね」と言い、それは二人の合言葉になりました。
きれいに生きるとは、外見のことじゃありません。人に嘘をついたり、人を押しのけたり、汚いことはせず、心をきれいに生きるということ。それは90歳になった今も私の生き方の軸であり続けています。
大恋愛から結婚へ
2年と持たず別れることに
大恋愛の末に、私が芥川さんと結婚したのは26歳のとき。ただ好きだから結婚する、と私はシンプルに考えていましたが、親からもまわりからも反対されましたね。彼には前の結婚でできた子どもが2人いましたから。
お世話になっていた菊田一夫先生に「結婚したい」と報告したときも、先生の顔色が変わっちゃって。「これから君をちゃんとした女優に育てたいと思っていたのに」と、うんと怒られました。
私も悩んだけれど、大恋愛だったから結婚するしかないと思ったんです。最後は「しょうがないな」と認めてくださった菊田先生ご夫妻に仲人になっていただいて、1960年に結婚式を挙げました。
だけど、結婚生活は2年と持ちませんでした。生活も仕事のし方もどこか合わなくて、ギクシャクしてしまったんですね。結婚後、私は女優の仕事をお休みして、彼のお子さんやお義母さんと一緒に暮らすようになり、肩身が狭くなってしまったというのもありました。
私にとって結婚生活も離婚をすることも、とてもつらい経験でした。
写真提供=草笛光子さん
たった一夜の公演で
貯金が全部なくなって
あれは離婚して間もない頃、飛行機の中で偶然、芥川さんの作曲家仲間の黛敏郎さんとお会いしたんです。そのとき「草笛さん、ミュージカルみたいな舞台をやってみたいでしょう?」と黛さんに聞かれて、思わず「やりたいです」と答えたら、「僕が力になりますよ」って。
離婚した仲間の元妻に手を差し伸べてくださった黛さんのおかげで、1963年、「コンサート型式によるミュージカルの夕べ」を開くことになりました。
三島由紀夫さんが監修、黛敏郎さんが音楽監督で、会場は上野にできたばかりの東京文化会館。出演者は、私とフランキー堺さん、藤木孝さん、それにダンサーやクラシックの方々。スポンサーはなしで、経費はすべて私が自腹を切って、東京フィルハーモニーや大きなバンドに演奏をお願いして、なんともぜいたくな舞台をやったんです。
東京文化会館は一日しか借りられなかったので、たった一夜の公演のために大金を支払って、私の貯金は全部なくなりました。フランキー堺さんに「こんなバカなことをするもんじゃないよ。スポンサーなしで、こんな一流の出演者やスタッフを入れて、お金がなくなるのは当然だ。二度とするな!」って、一緒に出演しているのに怒られたの。
マネージャーをしていた母に「お母さん、すってんてんになっちゃった」とこぼしたら、「当たり前よ。全部使っちゃったわよ。でもいいじゃないの、食べていければ」と明るく言ってくれて、救われましたね。そのあと母はすぐ東宝のプロデューサーのところへ飛んでいって、映画の仕事をとってきました。本当に腹の据わった母でした。
今思えば、離婚したとたんに舞台でお金を全部使い果たして、私は大変なことをドドーンと連続でやったわけです。我ながらバカよねと思います。でも正々堂々と別れて、正々堂々と舞台をやったから、後悔はしていません。
何でも正々堂々とやり切ったなら、完全燃焼して悔いは残らない。中途半端にくすぶっているよりずっとよかったと思っています。
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 写真=中西裕人
構成=長倉志乃(ハルメク365編集部)
【シリーズ|彼女の生き様】
草笛光子《全5回》
草笛光子
くさぶえみつこ
1933(昭和8)年、神奈川県生まれ。50年松竹歌劇団に入団。53年に映画デビュー。日本のミュージカル界の草分け的存在で「ラ・マンチャの男」「シカゴ」などの日本初演に参加。その後数々の舞台・映画・テレビドラマに出演。その演技が認められ、芸術祭賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀女優賞・芸術栄誉賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞・会長功労賞など受賞多数。連載コラムをまとめた著書「きれいに生きましょうね」(文藝春秋刊)が5月28日に発売。作家・佐藤愛子さんのベストセラー『九十歳。何がめでたい』を原作にした映画で(2024年6月21日公開)で主演。
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©2024『九⼗歳。何がめでたい』製作委員会
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