母との合言葉は
「きれいに生きましょうね」
松竹歌劇団に在籍しながら映画やラジオの仕事が増えると、母が送り迎えをしてくれるようになり、退団後はマネージャーになってくれました。
母はもともと普通の主婦でしたが、とても社交的で誰からも好かれる人でした。東宝の取締役をしていた劇作家の菊田一夫先生から「かあちゃん、かあちゃん」と慕われたり、市川崑監督に「ママ、麻雀しようよ」と誘われて朝まで付き合ったり。私よりも人気があったくらいでした。
正々堂々とやり切ったなら
完全燃焼して悔いは残らない。
中途半端にくすぶっているより
ずっとよかった
70年以上にわたり舞台、映画、ドラマの第一線で活躍を続けている草笛光子さん。第2回は、松竹歌劇団を退団し、マネージャーである母と二人三脚で芸能界を歩み出した頃のこと、そして、これまであまり語られることのなかった結婚生活についても伺いました。
写真提供=草笛光子さん
松竹歌劇団に在籍しながら映画やラジオの仕事が増えると、母が送り迎えをしてくれるようになり、退団後はマネージャーになってくれました。
母はもともと普通の主婦でしたが、とても社交的で誰からも好かれる人でした。東宝の取締役をしていた劇作家の菊田一夫先生から「かあちゃん、かあちゃん」と慕われたり、市川崑監督に「ママ、麻雀しようよ」と誘われて朝まで付き合ったり。私よりも人気があったくらいでした。
芸能界とは縁がなく、まったくの素人だった母は、親心から私のマネージャーになったことで、映画関係者や舞台関係者にもまれ、とても苦労したはずです。芸能界の裏も見てしまった母はよく「光子ちゃん、きれいに生きましょうね」と言い、それは二人の合言葉になりました。
きれいに生きるとは、外見のことじゃありません。人に嘘をついたり、人を押しのけたり、汚いことはせず、心をきれいに生きるということ。それは90歳になった今も私の生き方の軸であり続けています。