正々堂々とやり切ったなら
完全燃焼して悔いは残らない。
中途半端にくすぶっているより
ずっとよかった

70年以上にわたり舞台、映画、ドラマの第一線で活躍を続けている草笛光子さん。第2回は、松竹歌劇団を退団し、マネージャーである母と二人三脚で芸能界を歩み出した頃のこと、そして、これまであまり語られることのなかった結婚生活についても伺いました。

写真提供=草笛光子さん

母との合言葉は
「きれいに生きましょうね」


――1950年に松竹歌劇団に入団した草笛さんは、早くから舞台で注目され、53年には松竹から映画デビュー。NHKのラジオに出演するなど仕事の幅をどんどん広げていきました。そして約4年間在籍した歌劇団を退団後は、母・冨田登美恵さんがマネージャーとなり、芸能界を二人三脚で歩んでいきます。
 

松竹歌劇団に在籍しながら映画やラジオの仕事が増えると、母が送り迎えをしてくれるようになり、退団後はマネージャーになってくれました。

母はもともと普通の主婦でしたが、とても社交的で誰からも好かれる人でした。東宝の取締役をしていた劇作家の菊田一夫先生から「かあちゃん、かあちゃん」と慕われたり、市川崑監督に「ママ、麻雀しようよ」と誘われて朝まで付き合ったり。私よりも人気があったくらいでした。

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