怒られて、悪態をついてそれでも足腰を鍛え続ける理由
2024.06.012024年06月01日
シリーズ彼女の生き様|草笛光子 #3
死のうと思い詰めた苦悩の日々 女優人生を掛けた挑戦
「バカ!」と母に叱られて がんばり過ぎている自分に ようやく気が付きました
いきなり役を降ろされ
失意のどん底でニューヨークへ
私は、菊田先生から声をかけられて、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の日本版に出ることになっていたんです。ところが、本場の舞台を見て勉強してこようと張り切っていた矢先、菊田先生から「あれは別の女優に決まったから」と、いきなり役を降ろされて……。悔しくてショックなんてものじゃありませんでした。
失意のどん底でニューヨークへ行った私は、ブロードウェイでミュージカル「ラ・マンチャの男」を見て、“こんな舞台があったとは!”と大きな衝撃を受けました。この作品を日本でも絶対にやらなきゃダメだと思い、帰国後すぐ東宝へ。「上演権を獲ってください」と菊田先生にお願いしたんです。
そして“この作品こそ絶対に私がやりたい”と思って、体力づくりのために毎朝自宅のまわりを走って体を鍛えるようになりました。
心身ともに傷だらけになり
“死んじゃおうかな”と
私が演じるアンドンサは、強姦シーンで荒くれ男に髪をつかまれて体ごと振り回されたり、肉体的にすごく馬力のいる役でした。さらにきつかったのは、アンドンサ役が私ひとりではなく、女優3人が交代で演じるトリプルキャストになったこと。
稽古時間も出演回数も他の役の人の3分の1で、3人のうち誰がうまいか、出来栄えを比べられてしまうという試練の中、必死で演じて心身ともに傷だらけでした。
公演が進んでいくうちに、私は自分がうまくできているのか、できていなのかわからなくなり、何もかも嫌になってしまったんですね。ある日、明け方4時頃に目が覚めると、ふと“死んじゃおうかな”という思いが浮かびました。
家を出てふらふらと幹線道路まで歩いて行き、“このまま車に飛び込めば、もう舞台に立たなくてすむな”と思って……。目をつぶり「お父さん、お母さん、ごめんなさい。お先に失礼します」とつぶやいてパッと目を開けると、やってきたのはカタカタ走る小さなトラック。私はかなり体を鍛えていたから“ぶつかったら向こうが転がっちゃうわ”と思ったら、何だかおかしくてなって心の中で吹き出してしまいました。
それから電話ボックスに入り「お母さん、今黙って死のうとしたけど、死に損なっちゃった」と電話したんです。そしたら母は「アハハハ」と大笑いしたの。“なんで笑うの?”と思いながら一人で家に帰ると、また死にたくなってきて……。
目についた刃物で手首を切ろうとしたとき、またカタカタと音がして玄関の外の箱に牛乳瓶が配達されたの。極度の緊張感からのどが渇いていた私は、配達されたばかりの牛乳をごくごく飲んで、そのまま眠くなって寝ちゃったわけね。
しばらくすると、ドアを激しく開ける音がして「光子ちゃん、どうしたの!」って、横浜から母が飛んできたんです。真っ青な母の顔を見て、“ああ、本当は心配してくれていたんだな”と思いました。そして「バカ!」と母に叱られて、がんばり過ぎていた自分にようやく気が付いたんです。
その後、他の二人の女優さんが体調を崩し、結局、アンドンサ役は千穐楽まで私ひとりで演じることになりました。
50歳を前に挑戦する気持ちは
ますます大きく
40代の頃は、ドラマ「熱中時代」で水谷豊さんと共演したり、映画「犬神家の一族」に出演したり、舞台以外の仕事も多かったですね。でも撮影の合間を縫ってはブロードウェイの新作を見にニューヨークへ通い、“何か舞台で新しいことをしたい”という思いを持ち続けていました。
そして48歳のとき、実現したのがミュージカル「光の彼方に ONLY ONE」。舞台に立つのは私ひとり、スポンサーをつけず、お金は全部自腹で自由にやろうと決めました。
衣装デザイナーのワダエミさんをはじめ、作詞家の岩谷時子さん、作曲家の加古隆さんら錚々たる方々に協力をお願いして、パルコ西武劇場で8日間10公演。冒険的なひとり舞台は話題となり、私とスタッフ一同は芸術祭優秀賞をいただきました。
でも実は、予想以上に費用がかかって、私の貯金はまたすっからかんに。借金までこしらえてしまったんです。それでも、あのときやりたいことを気持ちよくやって心からよかったと思っています。50歳を前に挑戦する気持ちはますます大きくなりました。
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 写真=中西裕人
構成=長倉志乃(ハルメク365編集部)
【シリーズ|彼女の生き様】
草笛光子《全5回》
草笛光子
くさぶえみつこ
1933(昭和8)年、神奈川県生まれ。50年松竹歌劇団に入団。53年に映画デビュー。日本のミュージカル界の草分け的存在で「ラ・マンチャの男」「シカゴ」などの日本初演に参加。その後数々の舞台・映画・テレビドラマに出演。その演技が認められ、芸術祭賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀女優賞・芸術栄誉賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞・会長功労賞など受賞多数。連載コラムをまとめた著書「きれいに生きましょうね」(文藝春秋刊)が5月28日に発売。作家・佐藤愛子さんのベストセラー『九十歳。何がめでたい』を原作にした映画で(2024年6月21日公開)で主演。
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©2024『九⼗歳。何がめでたい』製作委員会
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