怒られて、悪態をついてそれでも足腰を鍛え続ける理由
2024.06.01
公開日:2024年06月01日
シリーズ彼女の生き様|草笛光子 #3
死のうと思い詰めた苦悩の日々 女優人生を掛けた挑戦
「バカ!」と母に叱られて がんばり過ぎている自分に ようやく気が付きました
いきなり役を降ろされ失意のどん底でニューヨークへ
――ミュージカルが日本で知られるようになったのは1960年代。東宝の菊田一夫さんがブロードウェイの名作「マイ・フェアレディ」の上演権を獲得し、日本の舞台で成功させたのがきっかけでした。
私は、菊田先生から声をかけられて、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の日本版に出ることになっていたんです。ところが、本場の舞台を見て勉強してこようと張り切っていた矢先、菊田先生から「あれは別の女優に決まったから」と、いきなり役を降ろされて……。悔しくてショックなんてものじゃありませんでした。
失意のどん底でニューヨークへ行った私は、ブロードウェイでミュージカル「ラ・マンチャの男」を見て、“こんな舞台があったとは!”と大きな衝撃を受けました。この作品を日本でも絶対にやらなきゃダメだと思い、帰国後すぐ東宝へ。「上演権を獲ってください」と菊田先生にお願いしたんです。
そして“この作品こそ絶対に私がやりたい”と思って、体力づくりのために毎朝自宅のまわりを走って体を鍛えるようになりました。
心身ともに傷だらけになり死んじゃおうかな”と
――草笛さんの熱意が通じ、1969年、日本版「ラ・マンチャの男」の公演が実現。主人公のセルバンテスとドン・キホーテを歌舞伎役者の市川染五郎さん(現・松本白鸚さん)が、草笛さんは安宿の娼婦アンドンサを演じることになりました。
私が演じるアンドンサは、強姦シーンで荒くれ男に髪をつかまれて体ごと振り回されたり、肉体的にすごく馬力のいる役でした。さらにきつかったのは、アンドンサ役が私ひ...