離婚、借金…すべて書く糧に #1

佐藤愛子さん|呆れられても、書き残したいもの

佐藤愛子さん|呆れられても、書き残したいもの

公開日:2023年10月26日

佐藤愛子さん・95歳|呆れられても、書き残したい

92歳で出版したエッセー集『九十歳。何がめでたい』がミリオンセラーとなった作家の佐藤愛子さん。以来、あまりの忙しさに体調を崩し「死を身近に感じるようになった」と言います。そんな佐藤さんのこれまでの歩みと、95歳当時のインタビューです。

ミリオンセラー『九十歳。何がめでたい』は過去の話

※このインタビューは2019年1月に行われました。

東京・世田谷の静かな住宅街にあるご自宅。きもの姿の佐藤さんは「どうぞ、お口に合うかどうか。今日は私が煮たんです」と、リンゴのコンポートをすすめてくださいました。

佐藤さんといえば、エッセー集『九十歳。何がめでたい』(小学館刊)が2017年の年間ベストセラーになったことが記憶に新しいですが、ご本人は「あれはもう過去の話」ときっぱり。痛快でユーモラスな筆致は唯一無二で、世間からますますご意見番として求められているのでは?と問い掛けると、

「私は自分の思うことを好き勝手に書いているだけで、求められているから書いたってことはいっぺんもないんです。こういうことを心掛けよとか、こうするべきだとは言わない。『私はこう思う』と言うだけですよ。賛成してもらえるとうれしいし、そうでなければ、それでいいんです」と歯切れよく語ります。

ミリオンセラー『九十歳。何がめでたい』は過去の話
お手製のおやつ。朝食はオートミールとトマト、昼は基本的に食べず、夕食は自炊しているそう。

とにかく力いっぱい、妥協せず、迷わず、思うままに生きて

とにかく力いっぱい、妥協せず、迷わず、思うままに生きて

――佐藤さんは、作家・佐藤紅緑(こうろく)と元女優・三笠万里子(みかさ・まりこ)の娘として大阪で生まれました。戦争が激化する中、20歳で見合い結婚。もともと作家になるつもりはなかったといいます。

戦争中に結婚した相手が、戦地から復員してきたらモルヒネ中毒になって、別居しているうちに、彼は死んでしまったんですよ。夫の出来不出来で女の一生が決まるなんてごめんだ、と思ってね。

私は自分の力で自分の人生をつくるなんて偉そうなことを言ったのはいいんだけど、では、何をして生きるかということになると、できることが何もないことがわかりましてね。何しろ協調性がないから、会社勤めなんかしても10日と持たないだろうし、何か手仕事ができるかといえば、不器用で何もできない。働く気持ちはあるけれど、無能なんですよ。

私より先に母が気付いて、「おまえのような女は、小説でも書くしかない」って言いました。父が生きていた頃、私が出した手紙を読んで「愛子は文才がある」と言って感心していたことを母が思い出した。それだけの根拠なんですからね。書くことが好きでもなければ、才能があると自負していたわけでもないんです。

――佐藤さんは32歳で同人誌の仲間だった田畑麦彦(たばた・むぎひこ)氏と再婚。長女が誕生するも、夫は事業に失敗して莫大な借金を作り、その一部を佐藤さんが背負うことになりました。

よせばいいのにまた結婚して、夫が行き当たりばったりで会社を立ち上げて、見事に倒産してね。家なんか四番抵当まで入っていて、当然、借金取りが押しかけてくる。そのとき夫は、こう言ったんです。偽装離婚をしよう、離婚して家の名義を私の名にすれば、抵当で取られることはなくなるって。そういうものかと思って、籍を抜いたんですよ。

すると、籍を抜いた後に、夫はチャッカリ別の女の籍を入れていたんです。その上、家の名義が私になったということは、四番抵当の金額を私が返済しなければならないというわけです。まったく見事なだまされ方をしてね。

そんなアホと思わなかったでしょう?だから、私に生き方についてインタビューしたって、無駄なんですよ。でもまあ、そういうアホだから、強く機嫌よく生きてこられたんだと思いますね。ものは考えようですよ。

小説を書くということの基本は、人間について考えることですからね。いろんな波瀾や不幸は、作家になったことですべてマイナスではなく、プラスに働いたと思っています。いい人生だったと思います。とにかく力一杯、妥協せず、迷わず、思うままに生きてきましたから。

95歳になった今は、私がそんなふうに生き抜いたために、困らされたり、悲しんだり、我慢してくれた周りの人たちへの謝罪と感謝があるわけですね。

私をだました元夫の気持ちも、今はわかります。私はむやみに気の強い、手に負えないわがまま者ですからね。元夫の方も我慢することがいろいろあったと思う。すると、だまされても仕方がないか、という気になってね。

あんな目に遭った後も、落ちぶれた彼が金を借りに来ると、言うままの金額を出す気になった。「客観的になる」というのはこういうことです。客観的になろうと努力すれば、恨みもつらみもやがてなくなっていきます。

不良の兄弟、だました元夫…人間の奥底を理解したい

不良の兄弟、だました元夫…人間の奥底を理解したい

――佐藤さんの代表作といえば、60代から70代にかけて書いた長編『血脈』(文春文庫)があります。異母兄で詩人のサトウハチローをはじめ佐藤家をたどった大河小説です。

若い頃は勢いに任せてユーモア小説を乱発していた時代もありましたが、少しはマトモなものを書きたくなりましてね。小説の基本は人間を書くことだから、現象だけを書くのではなく、現象の奥底にあるものを見つけようと考えて書き出したのが『血脈』です。

私には4人の兄がいて、全員不良でした。そのため父母が毎日苦労しているのを見て私は育ったんです。なぜ兄たちはこうなったか、と少女時代から思い続けていました。でも、小説に書くとなると「親を苦しめ、社会に迷惑をかける悪い兄たち」ではいけない。

我々の目に見える現象を足掛かりに、見えない部分へ肉薄していかなければならないのです。そうして書くうちに、少しずつ見えてきたこと、わかってきたことがあります。この作品は特別に評価されることはなかったけれど、私には大きな意味のある作品です。

その後、80代の終わりから90歳にかけて書いたのが小説『晩鐘』。元夫を「理解しよう」という気持ちから書いたもので、70年の作家生活の最後の作品にするつもりでした。

『晩鐘』

『晩鐘』

あなたは何者なのか――。かつて夫であった一人の男の姿をとことん追究した長編小説。文春文庫/上 693円・下 737円

書き上げて、ほっとして気が抜けて、アホのようになっていく気がしていたとき、女性週刊
誌に頼まれて、アホ防止のために気楽に書いた『九十歳。何がめでたい』が、どういうわけかミリオンセラーに。その騒ぎでアホになるのは止まったけれど、毎日のようにインタビューやらテレビやラジオの出演があったりして、断ればいいものを、勢いづいて片っ端から引き受けたもので、ヘトヘトになりました。

不良の兄弟、だました元夫…人間の奥底を理解したい
書きつぶした原稿を入れるかご。「捨ててしまって、後からあっちの方がよかったとなると困るので」

40代や50代の人がするような毎日を、90過ぎたバアサンがやるのだから、ヘトヘトになって当たり前とばかり、誰も同情しない。そんな日々の中で、どうしても書かなければならない事件が起きたのです。

まだ書くのかと呆れられても、これが私の使命だと思う

かいつまんで言うと、私の長年の親友であるお医者さんのところへ、交通事故で死んだ女子高生から月に一度か二度くらい電話がかかってくるという事件です。

「えっ、ひろみちゃん?君、死んだんじゃなかったの!」と先生が驚いて言う。すると彼女は「ええ、私、死にました」と平然と答える。先生は、死んだ者は死後の世界に行かなければならない、とお説教するのですが、彼女は「でも、私はここにいたいんです」と言うばかり。

「ここ」というのは、彼女のお父さんの家です。そんな電話が2年余りも続いたのです。

この話を信じる人は少ないでしょう。多くの日本人、特に知識人を自負している人たちは、死んだら無になると思っているからです。

私は40年前に北海道の山荘で、壮絶な超常現象を経験しています。人間が死ぬと肉体は灰になるけれど、魂は死なずに死後の世界に行く。この世に恨みつらみや思い残すことを持って死ぬと、その情念のために成仏できず、三次元(この世)と四次元(死後の世界)の間をさまよわなければならない。そういうことを、私は経験から信じているのです。

『私の遺言』

『私の遺言』

北海道に山荘を建てたことをきっかけに、20年以上にわたって心霊現象に見舞われてきた体験を告白した衝撃の一冊。新潮文庫/693円

あの世での行き先は、その人の身に付けた波動の高低によって決まる、と私は学びました。私が学んだ古神道の霊能者は、今の日本を覆う低い波動を何とかして上げなければならないと心配していました。国の波動が下がっているということは、国民一人一人の波動が下がっているということです。それは、この国の人々、つまり我々が陥っている物質的価値観のためであるということでした。

こういう話には根拠がないので、信じる人もいれば、信じない人もいます。証明不能のことですから、それは仕方がない。

信じない人に無理やり信じさせることはできませんが、それにしても、現在の日本社会のありようを冷静に思うと、日本人が物質的なことに価値を置くようになり、損得に明け暮れ、金持ちや有名になることを一番の幸福だと思って、エゴイストになり、精神性について考えることをやめてしまっていることに気付きませんか?

その価値観が人の波動を下げ、死後の行き先に影響するそうですよ。どんなふうに影響するかまではわかりませんが、わからないなりに私は心配しています。

95歳になって、まだ書くのかと呆れられましたが、このことだけは書き残したい。書くことは私の使命ではないかとさえ思い、老いた頭にムチ打って書いたのが『冥界からの電話』なのです。一人よがりかもしれないし、間違っているかもしれない。そう思いながら、やむにやまれぬ力が働いて、書いたのです。今度こそ、これが私の最後の作品です。

『冥界からの電話』

『冥界からの電話』

死んだはずの少女から何度も掛かってくる電話は、何を意味するのか。佐藤さんが実体験から伝える渾身のメッセージ。新潮文庫/506円

佐藤愛子(さとう・あいこ)さん 95年の軌跡

佐藤愛子(さとう・あいこ)さん 95年の軌跡

1923年
大阪にて人気作家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として誕生。異母兄に詩人のサトウハチローなど4人

1941年
甲南高等女学校卒業

1943年
太平洋戦争が激しくなる中、見合い結婚

1945年
嫁ぎ先の岐阜で敗戦を迎える

1946年
復員した夫と千葉へ。夫のモルヒネ中毒に悩む

1949年
父が死去。夫と別居し、母と暮らす

1950年
同人誌「文藝首都」に北杜夫、川上宗薫、田畑麦彦らと参加

1951年
別居中の夫が死去

1956年
同人の田畑麦彦と再婚

1957年
夫、川上宗薫らと同人誌「半世界」主宰

1960年
娘を出産

1962年
小説『愛子』刊行

1963年
『ソクラテスの妻』『二人の女』で連続して芥川賞候補に

1967年
夫が経営していた教育教材販売会社が倒産。負債額2億円のうち3500万円を肩代わり

1968年
田畑麦彦と離婚

1969年
巨額の借金を背負い込んだ自身の経験を基にした『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞

1972年
母が死去

1973年
異母兄サトウハチロー死去

1975年
北海道・浦河に山荘を建てる

1979年
『幸福の絵』で女流文学賞受賞

1989年
『血脈』の連載開始

2000年
『血脈』で菊池寛賞受賞

2002年
『私の遺言』刊行

2014年
長編小説『晩鐘』刊行。翌年、紫式部文学賞受賞

2016年
エッセー『九十歳。何がめでたい』がベストセラーに

2017年
旭日小綬章受章

取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部) 撮影=安部まゆみ

※この記事は雑誌「ハルメク」2019年3月号を再編集、掲載しています。

作家・佐藤愛子の幸福論《全3話》

#1 作家 佐藤愛子・95歳|呆れられても、書き残したい
#2 もうすぐ96歳、佐藤愛子|苦労は不幸ではない理由
#3 まもなく99歳、佐藤愛子|逃げないことが自信になる

HALMEK up編集部
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