母の人生は何だったんだろう…
そう思うと胸が痛くて
更年期真っ最中の50代に、母の介護が始まりました。認知症の症状が出始めたのですが、進行はゆっくり。
介護中、自分が楽しむことに
"うしろめたさ”を感じる。
このうしろめたさが、母を思う
優しさにつながったのかもしれません
連載対談や小説をはじめテレビなどでも活躍している阿川佐和子さん。50代後半から始まった母の介護は9年半にも及びました。第4回は、積もっていく介護のストレスをも「優しさ」そして「笑い」に変えていく阿川流メンタルケアについてお聞きします。
更年期真っ最中の50代に、母の介護が始まりました。認知症の症状が出始めたのですが、進行はゆっくり。
しばらくは父と二人で暮らしていましたが、やがて父が自宅で転倒して緊急入院。さらに誤嚥性肺炎を発症したのをきっかけに高齢者病院に入ることに。母は実家で一人暮らしをすることになりました。
ありがたいことに、以前住み込みでお手伝いをしてくれていた女性が泊まり込みで母の世話をしてくれることになり、私はきょうだいとシフトを組んで週に1、2回実家に泊まりに行ったり、病院へ連れて行ったり。そうやって、みんなで協力して母の一人暮らしを支えていました。
我が家は父(作家・阿川弘之)が絶対君主で、母は亭主関白の父に長年仕えてきました。よく「私は誰のために生きているのかしら」と嘆いていたほどです。だから、父が亡くなったら、父から解放された母の元気で楽しそうな姿を見たい、一緒にヨーロッパ旅行にも行きたいと計画していたんです。
でも、父が亡くなるよりも先に母がぼけてしまって……。あのときは母がかわいそうで、悲しかったですね。
最初は、父も、息子であるきょうだいたちも、なんとか元の母に戻そうとがんばったんです。トイレの流し方を忘れないように繰り返し教えたりして。私も、がんばれば元の母に戻ってくれるかも、脳トレでもさせてみようか、なんて思うこともありました。
でもね、なっちゃったものはしょうがないんです。これから先、一緒にいられる年月はそんなに長くない。だとしたら、イライラしたり悔んだりしないで、母との時間をできるだけ笑って、大切にしようと思い直しました。