女は50代がいちばんツライ?でも抜け道は必ずある
2024.10.132023年10月10日
【シリーズ|彼女の生き様】阿川佐和子#4
母の介護9年半…「看る力」と「笑う力」で乗り越えて
介護中、自分が楽しむことに "うしろめたさ”を感じる。 このうしろめたさが、母を思う 優しさにつながったのかもしれません
母の人生は何だったんだろう…
そう思うと胸が痛くて
更年期真っ最中の50代に、母の介護が始まりました。認知症の症状が出始めたのですが、進行はゆっくり。
しばらくは父と二人で暮らしていましたが、やがて父が自宅で転倒して緊急入院。さらに誤嚥性肺炎を発症したのをきっかけに高齢者病院に入ることに。母は実家で一人暮らしをすることになりました。
ありがたいことに、以前住み込みでお手伝いをしてくれていた女性が泊まり込みで母の世話をしてくれることになり、私はきょうだいとシフトを組んで週に1、2回実家に泊まりに行ったり、病院へ連れて行ったり。そうやって、みんなで協力して母の一人暮らしを支えていました。
我が家は父(作家・阿川弘之)が絶対君主で、母は亭主関白の父に長年仕えてきました。よく「私は誰のために生きているのかしら」と嘆いていたほどです。だから、父が亡くなったら、父から解放された母の元気で楽しそうな姿を見たい、一緒にヨーロッパ旅行にも行きたいと計画していたんです。
でも、父が亡くなるよりも先に母がぼけてしまって……。あのときは母がかわいそうで、悲しかったですね。
最初は、父も、息子であるきょうだいたちも、なんとか元の母に戻そうとがんばったんです。トイレの流し方を忘れないように繰り返し教えたりして。私も、がんばれば元の母に戻ってくれるかも、脳トレでもさせてみようか、なんて思うこともありました。
でもね、なっちゃったものはしょうがないんです。これから先、一緒にいられる年月はそんなに長くない。だとしたら、イライラしたり悔んだりしないで、母との時間をできるだけ笑って、大切にしようと思い直しました。
介護のしんどさは精神的なもの。
だから笑う、感謝する
あんなに好きだった母が何にも覚えていない、こんな母と今後、どうやって生きていけばいいんだろう……。そんなふうに途方に暮れるのは、どちらかというと男性じゃないかと思うんです。片や、女性は概して、そういう長期展望よりも、目の前の問題をどうやって解決していくかを優先するんじゃないでしょうか。
例えば、「巻き爪になっているから、まずはそれを治さなきゃね」「介護認定はどこに申請すればいいの?」「明日は仕事があるから、誰に頼もうか」「で、今日の晩ご飯はどうする?」などと。
毎日、次から次にトラブルが起こるから、それらを「よし、クリア!」「はい、次!」「こっちもクリア!」と、障害物ゲームをやっているように解決していくしかないんです。
そんなふうに母を介護しながら思ったのは、今日、今、この瞬間、笑えれば十分幸せじゃないの、ということでした。
家事か何かをしていて「できたの?」と母に聞くと、「できるわよ、ぼけたとでも思ってんの?」と返ってくる。よく言うなーと思いながら、おかしくてつい笑ってしまう。母はもともと明るい性格ですが、ぼけてますます素直に明るくなっていきました。
介護って、笑ったり、“ありがとう”と言ってもらったりすることがあると、それだけで疲れがとれるんですよね。
自分を満たす、そのうしろめたさが、
母への優しさに
発見というか、気付きもありました。母と話しているとき、ふっと手を見ると爪が伸びている、顔を見るとひげが生えている、髪の毛を染めたのにもう白髪が出ている。母は確実に生きている! そう思いました。
せっかく生きているのに、今の母を否定してどうするの? 昔のしっかりした母に戻ってほしいと思う方がおかしいんじゃないの? コミュニケーションがちょっと取りにくくなっても、取りにくいなりに楽しいこともある。笑えることだって、たくさんあるじゃないの、と。
そうは言っても、もちろん初期の頃は、このまま母が別人格になってしまうようなショックもあり、イライラして母を叱りつけたり、泣かせたりしたこともありました。そんなとき、介護経験の多い先輩から言われたんです。
「がんばっているみたいだけど、介護は10年以上かかるかもしれないからね。あんまりしゃかりきにならず、手を抜きなさい」と。
お世話になった親だから100%尽くしたいと思う人もいるでしょうけど、それをやっちゃうと自分が壊れてしまうと思うんです。「滅私奉公」って自分を殺してしまうことだから、そうなるとどんなに清い心でも、いつかはどこかで大爆発をさせないといけなくなる。
ぎりぎりまでため込むのではなく、小さな噴火をいっぱいつくって、その都度ぷんぷん怒ったり、周りに発散したりしていた方が長続きするように思います。
そして、自分を解放できる時間を守って、ちょっとズルして、誰かに頼めるときは頼み、その間にゴルフに行ったりする。介護がひと区切りついたら、「よーし、おいしいものを食べに行くぞ」と息抜きをしたりする。第1回でもお話ししましたが、そうやって楽しむ時間を持つことで自分を解放し、同時に“うしろめたさ”を持つ。このうしろめたさが、母を思う優しさにつながったようにも思うんです。
結局、母の介護は9年半ほど続きました。ショートステイのつもりで入った高齢者病院で、まさかの新型コロナの感染拡大となり、面会もできない事態に。それでも最期の時間はすぐそばで見守ることができました。父の臨終には立ち会えず、思いのほか狼狽して泣きましたが、母のときは予想に反して、さほど涙が出ませんでした。
母のそばで7時間あまり、命が失われていく過程を刻一刻と見届けることができたことで、自分を納得させられたのではないか、と思っています。
そして今年(2023年)11月、私は70歳になります。
ここまで、自分なりに精いっぱい生きてきて、年を重ねていくことは、失われるものがあるのと同じくらい、得られたものも大きいと思っています。最終回は、これから70代をよりよく生き抜くための心構えについてお話ししたいと思います。
取材・文=佐田節子 写真=中西裕人
ヘアメイク=大森裕行 スタイリスト=中村柚里 構成=長倉志乃
【シリーズ|彼女の生き様】
阿川佐和子《全5回》
阿川 佐和子
あがわ さわこ
1953(昭和28)年、東京生まれ。テレビの報道番組の司会を経て、エッセイスト・作家に。『ああ言えばこう食う』で講談社エッセイ賞、『ウメ子』で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』で島清恋愛文学賞を受賞。エッセイ『聞く力』はベストセラーに。バラエティーやトーク番組の司会のほか、最近は女優としてドラマ、映画にも出演。週刊誌の対談連載などインタビュアーとしても活躍。最新刊は『アガワ流生きるピント』(文春文庫)
【衣装】ワンピース6万4900円/フランコ・フェラーロ(フジサキ株式会社03‐3633‐7713)、ベルト1万2100円/アントネッロセリオ(チェルキhttps://cerchi.thebase.in/)、ピアス25万3000円/シンティランテ(イセタン サローネ東京ミッドタウン03‐6434‐7975)、ブラウス4万2900円/レストレーゲ(チェルキhttps://cerchi.thebase.in/)、ピアス25万3000円/シンティランテ、ネックレストップ4万1800円/レスピロ(ともにイセタン サローネ東京ミッドタウン03‐6434‐7975)