母を見送ったとき、一人でなくてよかった。
一緒にいてくれる伴侶がいて、
どれだけありがたかったか

連載対談や小説をはじめテレビなどでも活躍する阿川佐和子さんですが「思ったのとは違う方向に進んだ方がうまくいくことがある」と言います。第3回は、人並みの結婚を手放し、仕事と介護に大忙しだった阿川さんの、60代、思いがけない人生の選択について。

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得意なものもやりたいことも
特にない…から進めた道

私は小さい頃から、「これがすごく得意よね」と言われるものもないし、「誰が反対しても、これをやりたい!」という欲望もありませんでした。成績も、ごく普通。

父が男尊女卑で亭主関白だったからか、素敵な王子様が現れるのを待って、大恋愛をして、結婚をして、子どもを産んで、その王子様を支えるアシストの立場で生きていくのが、自分にとっては一番幸せなんじゃないか、と思っていました。

実際、お見合いも30回以上経験しましたが、ご縁はなく……。あ、もちろん、断ったり、断られたりです。

ところがいつの間にか、テレビや雑誌でインタビューの仕事を始めて、30年経っちゃった。本当はインタビューが好きなわけでも、自信があるわけでもないのですが、それでも「続けなさい」と言ってくれる方がいて。そう言ってくれる方たちに「お前は本当にダメだな」と言われたくなくて、必死になって食らいついて、そして「よかったよ」と言われると、調子に乗って次に次にと続けていった。そうしたら30年が過ぎちゃった、という感じなんです。

人生、自分の思い通りにはならないものです。自分が本当にやりたいことをやったから必ず幸せになれるものでもないし、反対に誰かが「こうやってみたら」ということにいやいやでも従ってみたら、道が開けることもある。私も自分が思っていた方向とは違ったけれど、人がすすめてくれた方向に進んでみたら、それが自分の道になっていった。今振り返ると、そんな気がしています。

63歳で結婚。
がんばりすぎない、求めすぎない関係で

結婚も、昔の自分が思い描いたものとはまるで違っていました。25歳を過ぎたらクリスマスケーキと同じで、買い手がつかない。そういう価値観の中で王子様を待ちわび、お見合いを繰り返していた自分が、あろうことか、60歳を過ぎて結婚することになりました。

若い頃に結婚していたら、時代も時代だったから、“いい嫁”に見られたいと一生懸命になり、そして一生懸命になればなるほど、煩わしい嫁になっていたんじゃないかと思います。

60年以上生きてくれば、ある程度仕事をして自分の生活のペースもできているし、好き嫌いや、できること・できないこともわかっています。もはや若くもありません。お互い、そういうところを認め合っているからなのか、「相手のことを完璧に把握したい」とか、「自分色にしよう」といった欲求は小さくなっています。

普段の生活もそうです。相方はあっちで本を読んでいる、私はこっちで原稿を書いている。といっても無関心なわけではなくて、ときどき生存確認するために顔を覗きにいったりね。もっとも、こちらがイライラして居間に出て行くと、それまで居間でくつろいでいた相方がスーッといなくなったりする(笑)。忙しいときは気が付いたら洗濯物を干してくれていたりもします。そういえば私、最近、洗濯をほとんどやっていませんね。

そうやって、ほどよい距離を保ちつつ、自然と互いに大変なときはカバーする、様子をみるというスタンスで過ごせるのは、若い頃に結婚していたのとは違っていたかもしれません。

両親を見送ったとき
「一人じゃなくてよかった」と実感

私は父に似てカッとなりやすいから、結婚した当初は爆発したこともあったんです。例えば私は黒コショウが好きなのに、あちらは白コショウがお好き。私はスクランブルエッグがいいのに、あちらは目玉焼きがいい。寒いと言えば、暑いと言う。趣味だってまるで違う。「えー、こんなに合わないのになんで結婚したの!?」と。

すると、相方がこう言ったんです。「趣味が2倍になっていいじゃないか」と。へー、そんな解釈の仕方もあるのかと、びっくりしました。

年をとると“一緒になる”の解釈が違ってきます。一心同体とか、そういうことではないんですよね。家庭内別居のようにお互いが別々のことをしていても、ご飯どきになったら顔を合わせて、「何、食べる?」と。そんなときに「ああ、いてよかったな」と思うんです。

50代から始まった認知症の母の介護、そしてコロナ禍で面会もままならぬ中、母を見送ったときも、そうでした。一人でなくてよかった、一緒にいてくれる伴侶がいて、どれだけありがたかったかと。よかったな、結婚して。そう思っています。

2020年5月、母がこの世を去るまで、介護は9年半に及びました。今はね、寂しいけれど、しょうがないや、そんな気持ちです。もちろん最初の頃は、大好きな母がボケて以前の母ではなくなっていくことに戸惑いも哀しみも、苛立ちも大きかった。でも、母のためにも自分のためにも、このままじゃダメだと”鈍感力”に次ぐ、新しい力を養うように努力しました。その”力”とは…。

取材・文=佐田節子 写真=中西裕人
ヘアメイク=大森裕行 スタイリスト=中村柚里 構成=長倉志乃

阿川 佐和子

あがわ さわこ

 

1953(昭和28)年、東京生まれ。テレビの報道番組の司会を経て、エッセイスト・作家に。『ああ言えばこう食う』で講談社エッセイ賞、『ウメ子』で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』で島清恋愛文学賞を受賞。エッセイ『聞く力』はベストセラーに。バラエティーやトーク番組の司会のほか、最近は女優としてドラマ、映画にも出演。週刊誌の対談連載などインタビュアーとしても活躍。最新刊は『アガワ流生きるピント』(文春文庫)

【衣装】ワンピース6万4900円/フランコ・フェラーロ(フジサキ株式会社03‐3633‐7713)、ベルト1万2100円/アントネッロセリオ(チェルキhttps://cerchi.thebase.in/)、ピアス25万3000円/シンティランテ(イセタン サローネ東京ミッドタウン03‐6434‐7975)

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