枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.26
出会いと縁(えにし)
「縁」という言葉は、私たちの日常生活に深く浸透している言葉ですね。「縁」は本来、仏教用語で、条件や働きかけを意味する重要な言葉のようです。
仏教用語でない語義としては、きっかけ、動機、しかるべき理由、由来、来歴、ゆかり、関係などを意味するようですが、今回「縁」について感じていることをお伝えしたいと思います。
私の人生は、たくさんの方との出会いで変化してきたように思います。
中には良い出会いではなかったものもありますが、その中から学ぶことで、次にはもっと良い出会いがやってきたように感じています。幸運をもたらしてくれる人との縁がたくさんあって、今の私がいます。
現在のお仕事も、たまたま以前の職場での出会いの中から芽生えた縁でいただくことができました。
あの時の縁が、こうして良い結果に結びついたのだと肯定的に受け止められるのは、一期一会という気持ちで、その時その時を精一杯、真面目に真摯な気持ちで過ごしてきたからだと感じています。
血縁より尊いもの
ところで我が家には、4人の孫がいます。私にとってはもちろん血縁のある子ども達です。私たち夫婦は終活婚ですから、当然ながら夫と子どもや孫との血縁は全くありません。
それでも、孫たちは私よりじぃじが大好きで、じぃじによくなついています。みんなじぃじに抱っこされたがります。なついて甘えてくれたら可愛いのでしょう。夫はいつもにこにこしながら、孫たちに大サービスしています。
そしてじぃじは、孫たちを抱っこで寝かしつけるのがとっても上手です。夫の本来の優しさが伝わっているのねと思いながら、一方ではちょっとジェラシーを感じるくらいです。
こうして血縁がなくとも、(私との縁から始まった)孫たちとの縁を、大切に紡いでくれている夫の優しさが、血縁より尊いと感じる日々でもあります。
縁を大切に
袖振り合うのも他生の縁といいますから、夫とはきっと前世でも「縁」があったのかもしれません。
いったいどんな「縁」だったのでしょう。考えてみましたが何だか不思議ですし、面白いですね。
「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」『歎異抄』の言葉のように、ともなう縁とはなれる縁があり、悲しい出来事もまた「ご縁があって」のことだと気付かされました。
たくさんの「縁」に支えられて、60余年間を過ごしてきたのだとしみじみ感じています。
友人との「縁」でいただいたお仕事も、細く長く大切にしていきたいですし、夫との「縁」も大切に育てていこうと思っています。
夫にとってこの終活婚が楽しく、実り多きものでありますことを願いながら、これからも「縁」を大切に、自分の人生を紡いでいきたいと思っています。
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