こんなに大変な手術だったの!?

乳房切除と再建が初回の手術で完了する一次一期再建術

公開日:2021.05.05

更新日:2021.05.02

56歳で乳がんの告知を受け、治療を始めた あ・らかんです。今回は、私が選んだ手術(一次一期再建術)の体験とそのメリット・デメリットについて私の感じたことをお伝えします。 

お腹の脂肪を乳房へ、自家組織移植って自給自足 

術前抗がん剤が終わり、いよいよ手術の日を迎えることになりました。私が選んだのは、一次一期再建術で自家組織移植です。

抗がん剤治療は苦しい日々でした。骨髄抑制によってあらゆる不調が現われました。髪どころか眉・まつげ・全身のうぶ毛まで脱毛しましたし、全身の肌がただれて痒く、痺れやむくみ、爪の変形・変色もありました。熱が出て入院もしました。

前向きに過ごしながらも不安に押しつぶされそうになったり、一人になると涙が溢れて止まらなくなったりすることも度々ありました。

手術の2週間ほど前に、胸の型取りをしました。これは、歯科でする歯の型取りを胸で大がかりにするというもの。これによって再建の仕上がりの型を作るとのことでした(全額自費負担で5万円+消費税を支払いました)。

手術の前日に入院。入院中の説明などを受け、術前の検査をし、センチネルリンパ節生検(リンパ腺に転移しているかを調べる検査)の注射をします。その後、明日切る場所に黒色油性マジックで印を付けられました。

鏡を見ながら「これで自分の左乳房とお別れだ」とセンチメンタルな気持ちになりながらも、おかげさまで、この乳房で子どもたちを母乳だけで育てられたことを思い、感謝の気持ちになりました。

再建術は、遊離深下動脈穿通枝皮弁法という手術です。自分のお腹の脂肪を皮膚、血管を含めて(深下動脈穿通枝皮弁)切り離し(遊離)、それを全摘した部分に移植。顕微鏡下で血管を繋ぐということらしいです。簡単に言うと、自分のお腹の脂肪を表皮と共におへそを中心に切り取って、全摘した乳房の皮膚だけ残ったところに入れるという感じでしょうか。表皮がない乳頭の患部には、お腹の表皮が使われていました。

肋骨も一か所切り取られ、そこから血管に繋いだとのこと。切り取った肋骨のかけらは、乳頭再建のために、自分のお腹の傷の中に保存されていました。おへそは切り取って、腹部に縫い直してありました。

私の場合は、抗がん剤による吐き気止めのステロイド剤の副作用で太ったことが幸いして、自分の腹部の脂肪で再建することが可能だったのです。

「自家組織移植って自給自足ですね」と言ったら、的を射った表現だと褒められ(?)ました。

まさかこんなに大変だとは思わなかった

まさかこんなに大変だとは思わなかった

まさかこんなに大変だとは思わなかったというのが、手術後の感想です。手術室に歩いて入って、手術台に上がり、恥ずかしいと一瞬思った途端に意識がなくなりました。目が覚めたら夜でした。13時間過ぎていました。娘・息子・現在の夫と執刀医の顔が見えました。

喉がからからで、顎が痛くて(術後、口腔外来の診察で治りましたが顎がずれていました)体が重くて、まったく動けませんでした。集中治療室(EICU)の個室で痛みに耐え、うとうとしながら、翌朝まで水分も摂れずつらい時間だったことを覚えています。

朝になって娘が来てくれ、一般病棟へ移動。診察の際に大きな絆創膏で覆われた胸を見ましたが、膨らみがあるので喪失感を感じることはなかったです。

患部の痛みよりお腹の傷が痛くて、ベッドは腰から上を起こしたままで一日中過ごしました。傷が開いてしまうので体をまっすぐに伸ばすことはできません。腹部に横一文字に30㎝ほどの傷があり、今までよりお腹の皮膚が縱方向に10㎝ほど短くなってるのですから当然のことですね。あとは脇腹のドレーンチューブが痛くて痛くて……(ドレーンチューブの傷も長い間痛かったです)。痛いところばかりでしたが、お腹の傷の痛みが強いので、それに比べるとあまり気にならずに過ぎたのだと思います。

1回で済む方が楽だろうと思って、軽い気持ちで一次一期再建術を選びました。実は私は、ほとんどの方が再建術を受けていて、自分と同じ手術も普段から頻繁に行われているのだと勝手に思いこんでいました。後から知ったことですが、この術式は年に3~5例だということでした。その時の病棟の中で、傷の大きさからいえば一番大きな手術で、重篤な方に入っていたようです。

それでも10日後に退院しました。帰ってから何もできなくて退院したことを後悔しました。大きな病気をしたことがなかったので、退院後の大変さを知らなかったのです。自宅は電動ベッドではありませんから、体を起こすこと一つをとっても、何10分もかかりました。腹筋が使えないと、こんなに何もできないんだなと実感しました。

メリット・デメリット/手術直後と3年後の気持ち

メリット・デメリット/手術直後と3年後の気持ち

お腹の傷はなかなかきれいにならず、目立たなくなった術後3年の今でも、お腹の突っ張り感はなくなりません。傷がケロイドになり、治りきるまでは半年以上かかりましたし、体を伸ばしてまっすぐ立つことも半年くらいできませんでした。当時は腰の曲がった老婆のようでしたし、一度に歳を取ったかのような自分の姿を直視するのが辛かったです。

そこから術後抗がん剤の投与に通い、先の手術で切り取った肋骨の欠片を芯にして、乳頭を形成する乳頭の形成術を外来手術で受けました。さらにその後、外来に通いタトゥーで2度色素を入れました。ここに写真を載せられないのが残念ですが、現在の私の胸は温泉に行ってもわからないくらいきれいに再建できています。

しばらくして、人工物での再建術の発がん性が問題になり、再建術が休止状態になっていた時は、自家組織移植にして良かったと思いました。

整理してみるとこの方法を選んで良かったこと(メリット)は、

  自分の組織だから安心であること

     1回の手術入院で済むこと

    術後の喪失感が少ないこと

デメリットは、 

   ドナーになった部分傷が大きく残り、つっぱること

  術後の回復期間が長く、辛いこと

このメリット・デメリットというのは、手術直後と現在では、少し感じ方が違います。

手術直後はひたすら痛く、自分のQOL(生活のクオリティ)がとても低くて悲しい気持ちになり、この術式を選んだことを後悔もしました。3年過ぎた今は、つらいことは過去の経験になっていますので、今でも突っ張るけれどこの方法を選んでよかったとの思いに尽きます。

学ぶことが術前・術後を乗り越える力の一つとなった

このような状態ではありましたが、大学を卒業しようと心に決めておりましたので、レポート・スクーリング・修了試験に追われることが生きる糧になっていたように思います。

そして、自分が乳がんであることを隠さずに話すと、周りには多くのサバイバーの仲間がいることがわかりました。これは私にとっては、新しい発見だったと思います。その一方で、複数の方から乳がんについてのご相談を受けたことは、ソーシャルワークを学ぶ立場として、とても勉強になる体験でした。

また、人間福祉学科ですので、医療とも深い繋がりがあります。ソーシャルワーカーとして、ケアする側としてどうあればよいかといった内容のレポートや死生学、生命倫理などの科目は、実体験からサクサクと書くことができました。そして提出した課題レポートがどれもよい評価で戻って来るのが大きな励みになりました。今思えば、これもメリットの一つだったと感じています。

次回は現在の状況、療養中の社会保険に助けられたことなどについてお伝えしますね。

 

 

あ・らかん

子どもの独立、大学入学、闘病生活など、波瀾万丈の人生ですが、残りの人生を悔いなく過ごしたいと思い、いろいろなことにチャレンジして、ポジティブに過ごしています。50代からの positive life。私のこの10年を振り返りながらお話したいです。

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