大人の手帳術1:夢や目標を叶える人の「手帳の使い方」と5つのメリット
2024.12.292021年04月15日
私の生き方に繋がる言葉との出合い
ここがロドスだ、ここで跳べ!
羽生結弦選手が出場する世界フィギュアスケート選手権の中継に釘付けになっていました。今回は3位に終わりましたが、有頂天になることもなければ、言い訳をすることもないその姿勢に、私の好きな言葉「ここがロドスだ、ここで跳べ」が重なります。
ショートプログラムでの力強く華やかな演技
世界フィギュアスケート選手権2021の羽生選手のショートプログラム(SP)の曲は、イギリスのポップシンガー、ロビー・ウイリアムスの「レット・ミー・エンタテイン・ユー」でした。パンデミック下での世界選手権だからこそ、いつものピアノ曲ではなく、「let me entertain you」(君を楽しませてあげる)という歌詞が繰り返されるポップな曲の選択。これぞ羽生結弦だと目頭が熱くなりました。
伸びやかな演技、正確なジャンプ。音楽と動きがピタッと合ったとき、人の心は感動に震えます。
解説の小塚氏の評は、こうでした。「3つめのトリプルアクセルの降りた瞬間に『ジャンッ!』という音と合わせる。これはものすごく難しい。ジャンプに集中して、音を全然聞かない選手もいる。あそこまで合うのは羽生選手のすごさ」だと。
二日後のフリープログラム(FP)にいやが上にも期待が高まります。けれども、順番待ちをしながら調整をしている姿がチラッとテレビに映ったとき、いつもとは違う表情・顔色の悪さが気になりました。果たして、最初のジャンプから手をついてしまい、その後の立て直しも充分には図れませんでした。
FP後のコメントはこうでした。「すごい疲れました。まあ、すごく自分のバランスが一個ずつ崩れていってたので、なるべく転倒しないようにというふうに頑張れたと思うんですけど、一つ一つ自分らしくないジャンプが続いていったので、大変だったなと思います」と。
ぜんそくの持病もあり、コーチとも会えない長い期間を経ての厳しいシーズンだったにも関わらず、一切の言い訳もなく、静かに今を振り返ったのでした。
大きなことをいっていばる男の話
「世界文学全集」(講談社)全50巻が、我が家の本棚に並んでいます。随分古い本で、奥付を見ると、1959年~1962年の発行とありますから、私が小学4年生から中学1年生の間に買いそろえてもらった全集ということになります。第1巻に、1000年以上も昔から語り継がれてきた「イソップ物語」が載っています。その中に、「大きなことをいっていばる男」という話があります。
簡単に紹介するとこうです――運動競技が盛んなギリシャのある町に、五種競技をする若者がいました。あまり成績がよくないために悪口を言われ、それを気にしていました。あるとき、この男が旅に出て帰ってくると、旅先の方々で立派な成績を上げたこと、ことにロドス島では、オリンピック選手もかなわないくらいの幅とびをしたと得意気に話しました。もしロドス島に行くことがあったら、見ていた人たちに聞いてみるといい、喜んで証人になってくれるだろうとも。すると、そこにいあわせた内の1人が、「証人なんていらないよ。ここだってロドス島と同じだ。ここで今すぐ跳んで見せてくれ」と言いました――
ここがロドスだ、ここで跳べ!の深い意味
大人になってから知ったことですが、ヘーゲルは『法の哲学』で、また、マルクスは『資本論』で、それぞれにこの言葉「ここがロドスだ、ここで跳べ!」を引用しているのだそうです。そして2015年には、AKB48のアルバム名に「ここがロドスだ、ここで跳べ!」が使われているのだそうです。
小学高学年だった頃の私は、鼻が低いことと、足が太いことにコンプレックスを持っていました。そして、「もう少し鼻が高かったら○○だったのに」とか、「もう少し足がすらっと長かったら○○だったのに」とか思い悩み、鬱々(うつうつ)としていました。
高校生になると、「もし○○だったら」と考えるのはやめることにしました。どんなときでも、「今を精一杯生きる」ことが大切。「今ある条件を活かして頑張る」ことが大切だと考えられるようになり、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」が、大好きな言葉となったのでした。
今ある条件の中で精一杯演技しきった、世界フィギュアスケート選手権2021での羽生選手は、正に、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」を体現して見せてくれたのではないでしょうか。
再拡大の気配を見せる「コロナ禍」。そんな中でも、自然は美しく移ろい、「今を精一杯生きる」ことの大切さを教えてくれているかのようです。
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