その気になれば、人はいくつになっても変われる

見事に主夫に変身した夫~固定観念から脱して~

公開日:2021/03/01

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2月3日のJOC(日本オリンピック委員会)臨時評議員会での、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長(当時)の森氏の女性蔑視発言が問題になりました。この機会に、我が家におけるジェンダーロールの変遷について振り返ります。

見事に主夫に変身した夫―固定観念から脱してー
主夫に変身した夫が作った夕食

ジェンダーとは、そして森発言の意味することとは

ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、社会的・文化的に作られる性別のことを意味する言葉です。そこから派生した「ジェンダーロール(gender role)」は、男女の性別による役割のことで、「女らしさ」「男らしさ」のイメージの多くが、これによって固定観念化してきました。

私自身、頼りになる男性と結婚し、子どもを産み育て、温かい家庭を築き上げることこそが、女性の幸せだと思い込んで成長しました。

私たちの世代の多くは、生まれてくる子どもが女の子だとわかれば赤やピンクの、男の子だとわかれば青や水色の、ベビー服やベビー布団を用意し、女の子なら優しくかわいらしく、男の子ならたくましくかっこよく育ってほしいと、願っていたのではないでしょうか。

そんな、固定観念に縛られてきた私でさえ、2月3日のJOC評議員会での森発言には驚きました。

(YAHOO!JAPANニュース)森発言全文から
「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさく言うんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います」―「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」―「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます」―要約すれば、「わきまえない女性は、たくさん発言して会議に時間がかかるが、文科省が女性理事を増やせとうるさく言うのでね……」と、言っているのです。

そしてその後の、なぜそんな発言が出てしまったのか、過去から尾を引いている古い自分の意識と向き合うことのまったくない、形だけの謝罪。

何のために女性を増やし、何のために会議をするのか、ジェンダー問題に限らず、物事の多様性(Diversity)という点において、世界から後れをとっている日本。多様性の本質は、異質な意見、多様な価値観を巻き込み、議論を活性化させることにあると思うのですが。これは、森発言にとどまらず、日本社会の問題と、とらえる必要があると思います。

我が家におけるジェンダーロールの変遷

我が家定番の朝食と優しい音色のベル

私が育ったのは、当時としては珍しい共働き家庭でした。父と母は、共に教師で経済的には対等でした。親としても対等で、子どもの教育や進路、結婚についても、夫婦でよく話し合っていた記憶があります。明治生まれの父と、大正生まれの母は、4歳違いの夫婦でした。

当時としては、開けた夫婦の関係であったと思います。けれども、家庭での生活振りはといえば、父は帰宅すると和服に着替えて、新聞を読みながらテレビで相撲を見ている一方で、母は帰宅すると座る間もなく割烹着を着けて、6人分の食事の支度に取りかかっていました。(我が家は7人家族でしたが、私がこういうことを認識できる頃には、長兄は既に大学生で、下宿生活でした)。

母は料理が得意で、夕食には、当時はまだ一般的な家庭料理ではなかったオムライスや、手作りコロッケなどに、畑で育てたトマトや庭から摘んだパセリが彩りよく添えられた大皿が、手早く食卓に並びました。そして、父の「いただきます」を合図に、私たち子どもの「いただきます」が続き、食事が始まるのでした。「男子厨房に入らず」で、後片付けもすべて母がしていました。

末っ子の私は、小学校中学年になるまで、父と一緒に入浴していました。両手の組み合わせ具合でお湯を飛ばす水鉄砲、タオルを湯船にフワリと浮かせて作るクラゲ、蛸入道、ブクブクなど、父との楽しい思い出です。その間に母は、父と私の着替えを脱衣場の乱れかごにきちんと畳んで用意していました。

私にとって、それが当たり前の家庭のあり様(よう)でした。5人兄弟の中でただ1人、両親と同じ共働きの道を選んだ私は、その当たり前の家庭生活をしようとしましたが、母のようにはできませんでした。食器洗い、ゴミ出しなどを夫に助けてもらいながら、「母にできたことが私にできないのは、女性としての能力が劣っているから」と、劣等感にさいなまれました。「女性ならできて当たり前」という固定観念にとらわれていたのです。

転機は、突然訪れました。2016年11月3日、66歳にして脳出血を発症。右半身麻痺の後遺症が残ってしまった私は、今でもリハビリを続けているのですが、身支度や入浴など、これまでの倍以上の時間を掛けて、どうにか人の手を借りずに身辺自立するのが精いっぱいという状態です。

固定観念に縛られていたのでは、我が家の生活の質を保つことは到底できません。試行錯誤の末、主婦の座を、夫に明け渡すことにしました。

それから約4年。夫は見事に主夫に変身しました。朝は1番に起きて、私が自然に目覚めるようにカーテンを開け、ヒートショックを防ぐためにエアコンのスイッチを入れると、私を起こさないように静かに階下へ移動し、朝食の準備に取りかかります。ゴミ出しのある日は、息子がゴミ置き場へ運べばいいように、部屋中のゴミを集めて玄関先に出します。そして、優しい音色のベルを鳴らして、息子と私を起こします。

見事なのは、昼食のやりくり。仕事をしていた頃の私は、家で昼食の用意をすることはほとんどありませんでした。育った家庭もそうだったので、退職直後、昼食に何を作ればいいのかが一番の難題でした。ところが夫は、前日の夜のおかずを多めに作っておいて、納豆ご飯や、温野菜などとバランスよく組み合わせて、いとも簡単に昼食を整えるのです。

夕食は、週に5日は夫が、2日は息子が作ります。夫が作る日のメニューは、私が考え、書字訓練も兼ねてホワイトボードに書いておきます。1週間に必要な食材の準備も私に託された数少ない主婦業の一つ。基本はネットで注文する週に1度の生協の個配です。お気に入りの調味料やワインなどは、楽天や工場直販のお取り寄せ。

体が不自由になってから4年が過ぎ、私自身やっと、「女性がしなければ」という強迫観念から解き放たれ、新しいスタイルの生活を楽しめるようになりました。夫の主夫としての生活もすっかり軌道に乗り、今日も、朝食の後片付けを済ませると、手早く洗濯物を干してから、ゴルフの打ちっぱなしに出かけました。

そんな我が家の生活に、今や雑誌「ハルメク」はなくてはならない存在。メニューや片付けの仕方の参考書になっているのです。

朝の主夫業を終えてゴルフに向かう夫、雑誌ハルメクのある暮らし

 

森発言は思いがけないほどの波紋を広げて

この記事を書き始めたその日に報道された森発言。思いがけないほどの速さで波紋は広がりました。ツイッターでの#Dont Be Silentの広がり、スポンサー企業の「容認できない」の明言、ボランティア1000人・聖火ランナーの辞退。それは、二階氏が8日に発言した、「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えも変わる」と言う予測を超えて、1週間後、森氏の辞任にまで至りました。そして、辞退するボランティアの人数も増える一方です。

森発言は思いがけないほどの波紋を広げて

「声上げることこそ重要」という世論がこの日本で広がっていることを、私は歓迎します。

 

■もっと知りたい■

harumati

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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