50代からの英会話学習を続けるコツとは?(8)

単身で4度目の渡米、いよいよ娘の出産に立ち会う!

公開日:2020/11/13

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アメリカに住む娘さんの出産の手伝いをするために、52歳から本気で英語を学び始めたharumatiさん。仕事や家事、C型肝炎の治療をしながらも、コツコツと英語学習を重ね、いよいよ出産手伝いの本番を迎えました。

50代からの英会話学習を続けるコツ

C型慢性肝炎を抱えながらの英語学習&アメリカ滞在

2020年のノーベル医学・生理学賞は、C型肝炎ウイルス発見に貢献した3氏が受賞 
2020年のノーベル医学・生理学賞は、C型肝炎ウイルス発見に貢献した3氏が受賞 

2020年10月、ノーベル賞の自然科学分野での受賞者が順次発表されました。その中で、医学・生理学賞は、「C型肝炎ウィルス」の発見に貢献し、「(C型肝炎に)効果的な治療法と輸血スクリーニング検査への扉を開き、世界各地で人々の健康を守り、数百万人の命を救った」と称えられる3氏、ハーヴェイ・オルター氏(アメリカ)、マイケル・ホートン氏(カナダ)、チャールズ・ライス氏(アメリカ)に贈られました。

1972年、食べ物などで感染するA型肝炎でも、血液を介して感染するB型肝炎でもない、「非A非B肝炎」があることが判明。その肝炎を引き起こすウィルスの全遺伝情報(ゲノム)を解読した結果、新たな肝炎ウィルスが見つかり、C型肝炎ウィルスと名付けられたのは1989年のことでした。

研究が進められる中で、やがて、このC型肝炎ウィルスこそが、多くの慢性肝炎の原因となり、ひいては、自覚症状がないままに、数十年後に肝臓がんを引き起こす危険性があることが突き止められていきました。

折しも、ノーベル医学・生理学賞の発表が行われた直後の2020年10月8日、私は、C型肝炎の特効薬「ハーボニー」による寛解から4年目の追跡診断によって、画像で見る肝臓がきれいであること、血液検査の値がすべて正常であること、そしてもちろん、C型肝炎ウィルスが消えていることから、「完治」を告げられたのでした。1994年、44歳から始まった26年間にわたるC型慢性肝炎との付き合いが、これで完全に終わったのです。

今回のテーマ「50代からの英会話学習」は、今までのところ、2001年から2004年にかけてのこと。つまり、C型慢性肝炎という病気を抱えながらの英語学習であり、アメリカ滞在だったのです。

延々と続いたNOVA レベル5のレッスン

この頃、理屈抜きの実用書が役に立った
この頃、理屈抜きの実用書が役に立った

三度目のアメリカ滞在から帰ってくると、早速NOVAのレッスンを再開しました。2003年6月に契約した210回分の受講契約のうち、約半分の108回分までを消化して、レベル5のレッスンは、41回目からの再開です。

その内容は、受動態の学習でした。

Where was it made? (それは、どこで作られましたか)
Where were they made? (それらは、どこで作られましたか)
I think it was made in ~   (それは~で作られたと思います)
I think they were made in ~(それらは~で作られたと思います) 
I don’t know where it was made.(それはどこで作られたか知りません)
I don’t know where they were made. (それらはどこで作られたか知りません)

また、同じ日本語でも、いろいろな言い回しがあることも学習しました。例えば、「実際に」という言葉一つとっても、in reality、in fuct、in truth、actually、など多様な表現があります。

その他、こなれた言い回しも、折に触れて教えてもらいました。例えば、I always get lost. I have no sense of dilection. (私はいつも迷子になります。私は、方向音痴なんです)

このようなレベル5のレッスンは延々と続き、67回のレッスンを経ても、レベル4の推薦状をもらうことができず、私は、この頃から始まったレベルを落としての復習のレッスンを度々受けるようになっていました。面白いことに、復習のレッスンを3回受けると古いNOVA監修の本がもらえる仕組みになっていて、この本が結構実用的で役に立ったのです。

そうこうしているうちに長女の出産予定日が近づいてきました。2005年1月末、私は、24日間の休暇を取り、再び単身でアメリカへと飛び立ちました。

予定日を過ぎても……

出産した Women&Infants Hospital
出産した Women&Infants Hospital

出産予定日は2月3日でした。いつアメリカへ行くべきか考えあぐねた末、1月30日に決めました。出産当日と産後できるだけ長く助けてやりたいというのが、その理由です。

5か月前の予行練習でアメリカへ行ったときとは比べものにならないほど大きなお腹で、娘は、娘の夫と共に空港まで迎えに来てくれました。

(日記)
January 30, 2005
My daughter and son-in-law came to pick me up at the airport. I shouted “Oh What a big belly” She was near the time.
We chatted about her child birth and my son’s entrance exam for high school, over the dinner.

(以下、日本語訳)
娘と義理の息子が空港に迎えに来てくれました。私は、「なんて大きいお腹」と、叫びました。娘の出産はもうすぐです。
私たちは、夕食を食べながら娘の出産と息子の高校入試について話しました。

私は、20日後に高校の推薦入試を控えた息子のことが気掛かりでした。一方、娘は、C型肝炎の進行を抑えるために週2回打っていた注射を、24日間も受けられない私のことを心配していました。

(日記)
February 3, 2005
Even though today was her due date, nothing happened. At 3:30p.m, my daughter went to teach Japanese, I started cooking. The menu was sushi and teriyaki chicken. There weren’t enough ingredients to make sushi in the U.S. but I made it somehow.
They enjoyed it. I was happy to see that.

(以下、日本語訳)
今日は予定日でしたが、何事も起こりませんでした。午後3時半に、娘は日本語を教えに行き、私は料理を始めました。その日のメニューは、ちらし寿司と照り焼きチキンでした。アメリカではちらし寿司の材料は揃っていませんが、何とか作りました。娘たちはお寿司を楽しんでくれたので、私は幸せでした。

娘は、英語を身に付けるために、日本のアニメに興味を持ち、日本への留学を志している高校生の、日本語の家庭教師をしていました。 はち切れんばかりの大きなお腹になっていましたが、いつも通り車を運転して出掛けていきました。

(日記)
February 4,2005
My husband and son sent a long e-mail that let me know how they have been getting along. My son wrote whether he liked it or not there were only nine days. He was determined to do his best. It moved me to tears. 

(以下、日本語訳)
夫と息子は、彼らがどのようにうまくやっているかを私に知らせる長いメールを送ってくれました。 息子は、嫌でも高校受験まであと9日しかないので、最善を尽くしたいと決意を書いていました。息子のけなげさに感動して涙が出ました。

この間、私は、出産に関わる単語ばかりを覚えました。例えば、
due date(出産予定日)、delivery(出産)、pregnancy(妊娠)、contraction(陣痛)、
water breaking(破水)、cervix(子宮頸部)、infant(乳幼児)、などなど。

また、生まれたばかりにしか見えない赤ちゃんを、乳母車に乗せて買い物に来ている人がいたので、“How old is your baby?” と尋ねると、“She is 4days.”と答えたので、こんなに小さくても、普通に何歳かと聞けばよいのだと驚きました。 

この頃、ちょうど私の姪たちの出産ラッシュだったのですが、日本では、小さく産むことが推奨されていて、3000gを超えないように指導されていました。娘のお腹の子はどう見ても4000gを優に超えているとしか思えないのですが、担当の先生は、羊水が濁らない限り大丈夫だと言って、予定日を過ぎても一向に気にしませんでした。 

私たちも、既に決めていた名前で、「早く出てきてね」と、娘の大きなお腹に呼び掛けながらも、インターナショナルハウスへ行ったり、ミュージカルを見に行ったり、歩くためにデパートへ行ったりして過ごしていました(2月のボストンはマイナス10℃なので!)。

Push!  Push!  Beautiful (息んで!息んで!お見事)

4375gの元気な男の子が誕生
4375gの元気な男の子が誕生

2005年2月9日も、私たちはインターナショナルハウスへ行った後、娘の友人、日本人2人と韓国人1人の5人で中華料理を食べに行き、それから、いつものクリニックの検診に行きました。

さまざまな検査をした後、先生は、「明日、子宮頸部を柔らかくする薬を使いましょう」と言いました。それを聞いて、私たちの緊張感は高まりました。翌10日の夜、娘はシャワーを済ませてから、娘の夫の運転で、いつものクリニックではなく、出産の予約をしている病院へ行きました。

赤ちゃんの心音と娘の状態をチェックしてから、先生は、子宮頸部を柔らかくする薬を入れました。しばらくすると陣痛が始まりましたが、お産が始まる気配はありません。先生の指示によって、私たちは真夜中に車を走らせて、一旦家に帰ることになりました。  

本格的な陣痛がきたのは、11日の午前2時。娘はけなげにも、長丁場に備えて陣痛と陣痛の間に洗濯を済ませ、ベビーベッドも整え、私たちのために少しばかりの食料と温かい飲み物を用意してくれました。病院へと再び向かったのは午前3時半。雪が降る中を、はやる心を抑えながら、車をゆっくりと走らせました。

1時間後に病院に到着したけれど、何しろ初産。先生からあっさりと「まだまだですね」と言われてしまい、しっかり者の娘も思わず涙ぐんでしまいました。

病院へ着いてから8時間後、ようやくPush(息む)の、Go sign(ゴーサインが出ました)。そうして息み続けること2時間半。父親によってへその緒を切られ、元気な産声を上げたのは、4375gの見事な男の子でした。

こうして、アメリカでの娘の出産を見届け、産後10日間余りの手伝いを経て、52歳から始めた英会話学習の当初の目的は、終わりを迎えました。けれども、私の英語学習はまだまだ続くことになります。

 

 

harumatiさんの記事

harumati

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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