50代からの英会話学習を続けるコツとは?(3)

仕事・家庭生活・英語学習のはざまで

公開日:2020.09.09

海外に暮らす娘さんのひと言で、52歳から本気で英語を学び始めたharumatiさん。仕事・家事をこなしながらも、真剣に英語学習に向き合っていきますが、アメリカで暮らす娘さんの所でゆったりと過ごした経験から、思うことがあったそうです。

教訓を生かしながら新しい生活を

「使わなくなったものは、ゴミにせず、有意義に処分する」。これは、1年前の「これからは、持続可能で有意義な生活を」の記事の中に書いた、「フリマアプリに挑戦!」で得た教訓です。その教訓は1年経った今も私の中に生きています。一度その気になったら、決して冷めないのが私。今回は、地元の人に直接譲ったり、売買したりするサイト、「ジモティ」に出品してみることにしました。

20年ほど前、腰痛と肩こりで悩んでいた頃、使っていた健康器具「ゆりっこ」。いつかまた使えるようになる日が来ることを夢見て、寝室の隅に置いていたのですが、半身麻痺の体にはやはり無理でした。かなり大きな物なので、フリマアプリ「ラクマ」に出して宅配で送るとすると、送料だけで2000~3000円はかかりそうです。

そこで、地元の人と直接受け渡しができるサイト「ジモティ」に、出品してみました。ところが何と、山梨県の方から連絡が入ったのです。

「掲載されている「ゆりっこ」につきまして、購入を検討していますが、当方は山梨県在住のため取りに行けません。よろしければ、料金の2000円は書留にて、受け取りは宅配便(送料着払い)にて、いかがでしょうか。ご連絡お待ちしております」

「ご連絡ありがとうございます。機能に問題はまったくありませんが、置きっぱなしだったため、日焼けしてやや変色しているので、取りに来てもらって見ていただいて……と、思っていました。もし、そちらがよろしければ、代金が届き次第、送らせていただくことは可能です。使っていただけるとうれしいです」

「お世話になっております。荷物を受け取りました。問題なく動作することも確認しました。ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました。それでは、これで、取引終了とさせていただきます」

こんな風なやり取り7回を経て、使わなくなった物を有意義に処分することができました。
ラクマでもジモティでも、気持ちよく話を進めることができたのは幸せなことでした。

ジモティに出品した「ゆりっこ」
ジモティに出品した「ゆりっこ」

 

NOVAの記録ノートから初期の英会話学習を振り返る

2001年の夏、初めてのアメリカ滞在でカルチャーショックを受けた私。でも、どんなに仕事や家事や親戚付き合いが気になったとしても、アメリカへ飛んでしまえば、もうそれらはどうしょうもないこと。それは、想像以上に開放感に満ち満ちた素晴らしい時間でした。また、娘の世話になりながら何泊もさせてもらって、一緒に暮らす心地よさを知ってしまった私でもあったのです。

2002年、娘からの「お母さん、妊活に入るから、そろそろ英語の勉強をしといてね」という電話を受けてからも、仕事の忙しさを理由に逃げ続けてきた英会話の学習を、いよいよ2003年から始めました。というのも、1998年、C型慢性肝炎に対する2回目のインターフェロン治療が無効に終わった後、新しいことにもチャレンジする生活へとシフトしていた私たちでしたが、夫が一足先に、2年間に分けて延べ4週間のチェーンソーの実習を経て、この年から自分のふるさとに、一人でログハウスを建て始めていたからです。

土曜日の早朝から日曜日の夜まで、喜々としてふるさとへ出掛けていく夫に、取り残された格好になった私は、これをチャンスと捉え、英会話教室の門を叩いたのでした。

2003年6月21日、下から2番目のレベル7Bの1回目のレッスンは、3回分のポイントを使って、マンツーマンのレッスンを受けました。その教室には同志社大学の学生が多く通っていて、とても若い人たちに混じってレッスンを受ける勇気が持てなかったからです。そのときのノートを見てみると、まずは、How much?と、How many?の違いについてのレッスンだったようです。

Q: How much water do you have?     A: I have 2 bottles of water.
Q: How many cars do you have?      A: I have 3 cars.

続けて、2レッスン目。初めてのグループレッスンでした。3~4人のメンバー。入室して、どこに座ればいいのだろう? 挨拶は? 自己紹介するのかな? と、わからないことだらけ。日本語で聞いてはいけないので、激しくうろたえたことを思い出します。
その回は、What time? Where? Who with?の学習だったようです。

1週間後の土曜日、6月28日に3回目・4回目のレッスンを受けています。ノートのレッスン記録の裏ページを見てみると、レッスン前日に、辞書を引き引き、質問したいことを英語でメモしていたことがわかります。例えばこんな風に。

☆発音の仕方を教えてください。
 ×How to read?    ○How do you pronounce it?
Chinese   Egyptian   ashtray   Exercise   shelf   towel

そして、3回目のレッスン、6月28日の記録はこんな風です。

What are they doing ?
  Are they?→They are 

Q: What is he dreaming about?
A: He is dreaming about becoming rich.
  動詞+ing=名詞  
1.person→people
2.child→children
3.man→men
4.woman→women

複数形にするとき単に‘s’ や‘es’ を付けるのではなく、形が変わる単語もあるという学習だったようです。

how muchとhow many の違いにしても、現在進行形にしても、形が変わる複数形にしても、すべて、中学校1年生の学習内容なのに、私はそれらを見事に忘れてしまっていて、まるで、まったく新しいことを学んでいるかのような新鮮な気持ちでレッスンを受けていました。

 

写真とメールからよみがえった再びのアメリカ滞在

こんな調子で、13回のレッスンを受けた後、2003年7月29日に、再び、家族そろってアメリカへ飛び立ちました。

<出発直前の長女へのメール>
 2003 7/26
渡米前最後のレッスンで、'When are you going to the U.S?’ と聞かれて、
'I am going to the U.S July 29th.'と言ったら、
'Oh!  5days after.' と言われて、本当に、本当にもうすぐ行くんだという実感が湧いているところです。

引っ越してから2年目に入った娘夫婦が家を買い、庭でバーベキューができるようにパティオを作ってほしい、一緒にインテリアを考えてほしいという娘の希望を叶えるというのが大義名分でした。

娘はこの頃から妊活を考えていたのでしょう。同じロードアイランド州のクランストンという町の、小さい家ながら、アイランドのある真っ白なキッチン、敷地面積600坪の、いかにも子育てによさそうな家でした。家への進入路の入り口には、家庭毎の個性あるポストが設置されていたり、ゴミを回収日前日の夜から箱に入れて出しておいたりと、日本と違うことが随分ありました。白い玄関、芝生にスプリンクラー。アメリカのテレビドラマで見るような家でした。

クランストンの新居
クランストンの新居。芝刈りが休日の大仕事。数か月後には手押し芝刈り機からモーターで動く乗用芝刈り機に買い換えたそう

滞在前半は、まず家族としての仕事です。DIY(日本でいうホームセンター)へ行き、パティオを作るための材料を購入しました。規模が大きく、バスタブや便器が天井からぶら下げて展示されているのには驚きました。パティオを男性3人が作っている間に、娘と私は来客用のベッドカバーやタオルを買いに行ったり、ガレージセールで買った古いサイドテーブルに、ペンキを塗ったりしました。

何日目かに娘の夫の会社の社長さんの別荘で、社員の家族を招いてのガーデンパーティーが催されました。バレーボールコート、ボディペインティングやバルーンアートなどのイベント用テント、プライベートビーチまであって、当時の私たちにとっては、やはり、かなりのカルチャーショックでした。

面白かったのは、私たちが作っていったおにぎりが、「Oh Sushi!」と、大人気だったことです。初めてのアメリカ滞在のとき、ホームパーティで出会ったポーランドの人たちとの再会も、そこで果たしました。

別荘でのガーデンパーティー
娘の夫(son- in-law)の会社の社長(the president)さんの別荘でのガーデンパーティー

最後は、初めてのニューヨーク。またまたアメリカらしく、約300kmの道のりを高速道をぶっ飛ばして行きました。まず、ブロードウエイでミュージカルを見ました。「42ndストリート」というしんみりした内容のもののはずなのに、所々にジョークを挟んでいるらしく、客席が笑いであふれるのに違和感を覚えました。

セントラルパークのジョンレノンの記念碑を見て、続いて国連本部の英語のガイディッドツアー(ガイド付きツアー)に参加しました。最後に自由の女神像のあるリバティ島を訪れました。13回のレッスンを受けていたにもかかわらず、どこへ行っても聞き取れる英語はほとんどなく、いつかは聞き取れるようになるかも知れないとは、とても思えませんでした。

高速道が充実しているのもアメリカらしいところ
高速道が充実しているのもアメリカらしいところ

2001年に私たちが初めて訪れた後すぐの9月11日に、あの同時多発テロがあったので、訪れた先では、どこも厳しい持ち物検査があり、不穏な雰囲気が漂っていたのが印象的でした。私の想像が及ばないような状況下のアメリカで、専業主婦になった長女が、居心地のいい家庭を築いていたことが何よりもの喜びでした。

<一足先に東京へ帰っていた次女へのメール>
2003 8/13
予定通り、午後6時に関空に到着しました。
今、郵便ポストや留守電の処理、洗濯を終えて、ホッとしたところです。
本当に本当に、心身ともにリラックスした2週間でした。
明日からは、1週間高松です。
Rちゃん(長女)が私に味わわせてくれたのと同じような幸せを、
おばあちゃんに味わわせてあげられるといいのですが……。
最近は、それなりにいい仕事をしようとするだけで精一杯。
家庭生活を楽しむ感覚を、忘れてしまっていたなと痛感させられる2週間でした。
これを機会に、もう一度ゆとりある仕事の仕方を考え、
料理を工夫するなど、家庭生活を楽しむ感覚を取り戻したいと思います。 

メールからは、専業主婦となった娘のことも含め、カルチャーショックを受けるばかりで、英語を話せるようにならなければ……という気持ちにはまだなっていなかったことがわかります。そんな気持ちが、私の中で大きく膨らむのは、2004年6月、娘からの「妊娠したよ」という報告を受けるまで待たなければなりませんでした。

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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