50代からの英会話学習を続けるコツとは?(7)

アメリカへ単身渡航。娘の出産手伝い予行練習

公開日:2020/10/28

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52歳から本気で英語を学び始めたharumatiさん。アメリカに住む娘さんの出産の手伝いをするために、現地で10日間予行練習をすることに。アメリカでの運転や慣れないキッチンでの料理にチャレンジします。さあ、お腹の子の性別はどちらでしょうか?

10月中旬にはハナミズキが優しく色付き始める
10月中旬にはハナミズキが優しく色付き始める

ゆっくり流れる時間からの贈り物

体が不自由になったためか、コロナ禍で用心してあまり出掛けなくなったためか、とにかくゆっくりと時間が流れていきます。もう34年にもわたってこの家に住んでいるというのに、今頃になってこんなことに気付きました。

我が家の庭で1番に秋の訪れを告げるのは、柿の落葉。暑い暑いと夏バテしそうな頃、色付いてきたなと思う間もなく、気付けば庭一面がその落葉で埋め尽くされている。永遠に続くかと思われるほど暑かった今年の夏もやがては終わり、ちゃんと秋は訪れるんだとホッとさせてくれます。柿の葉は、樹上で静かに色付き、木を離れた途端、宝石色に変化するのかと思えるほどに、地上でこそ美しいのです。

2番目は、ハナミズキの優しい紅葉。こちらは、日当たりのよいところから順々にゆっくりと桃色に色付いて、深まりゆく秋をしみじみと味わわせてくれます。

そして、圧巻は、なんといってもカエデの紅葉。11月も中旬になる頃、門灯のほのかな明かりにライトアップされてより赤さを増し、晩秋を飾り、冬がすぐそこまで来ていることを知らせます。

現地での英会話レッスンと珍しい体験

三度目のアメリカ行きを初めて単身で決行した翌日、まだ、時差ボケが強くある中、早速、インターナショナルハウス(※)での英会話教室中級クラスに参加しました。担当は70代に見える男性でしたが、当時54歳だった私には、随分おじいちゃん先生に見えました。NOVAの若い先生たちと比べて、テンポがゆっくりしていること、何かにつけて説明が詳しいことなどが、決して若くはない私にはぴったりでした。

※「インターナショナルハウス」とは、外国人に英語を話せるようになってもらうために、ボランティアの方が、英語レッスン、編み物教室、絵画教室などを無料で提供してくれる施設のこと。

1日置いて、火曜日は、インターナショナルハウス恒例の「potluck lunch(持ち寄りランチ)」の日だそうで、私たちも、お手製のたらこスパゲッティと、日本茶、日本から持参していた和菓子を持って出掛けて行きました。ブラジル人学校の先生、中国人の学生、観光で来ているイタリア人などが、お互いの料理に対して説明したり感想を言い合ったりしながら、食事をしました。ホームパーティが好きなアメリカでは、「potluck」はごく日常的な用語。「おもてなしをしなければ」という意識の高い日本とは対照的です。

午後からは、2つのレッスンがありました。どの国の人にとっても、母語にはない発音があって、英語の自然な発音はなかなか難しいようでした。日本語は、特に音が少ない言語なので、ネイティブの先生の言葉の聞き分けも難しいのです。その日のレッスンは、pronunciation(発音)でした。

  1. Put the been in the bin.  (豆をビンに入れます)
  2. The chip is cheap. (チップは安いです)
  3. The dip in the street was deep. (通りのくぼみは深かった)
  4. He feels he can fill the bills. (彼は、お札でいっぱいだと感じています)
  5. Knit a neat sweater. (ちょうどよいセーターを編んでください)   etc.

 

インターナショナルハウスに行った日の日記は、こんな風に書かれています。

There was jet lag, but my daughter took me to the International House to learn English. I took an English class. 
They have a Potluck lunch there every Tuesday. We participated too. We brought some Japanese food such as Tarako-spaghetti, green tea and traditional Japanese sweets.

(以下、日本語訳)
時差ボケがありましたが、娘は私が英語を学べるように、インターナショナルハウスに連れて行ってくれました。 私は英語の授業を1つだけ受けました。

彼らは毎週火曜日にそこでポットラックランチをしています。 私たちも参加しました。 たらこスパゲッティ、緑茶、伝統的な和菓子などの日本食を持って行きました。

私がアメリカに着いた翌日、娘の夫は日本へと飛び立ちました。日本で夫のログ建設を手伝うためです。それは、彼にとってのサマーバケーションでもありました。

チャレンジ!右側車線通行と不慣れな食材台所での料理

クランストンストリートのロータリー
クランストンストリートのロータリー

アメリカ到着から5日後、時差ボケから回復した頃、初めて右側車線運転にチャレンジしました。これまで、日本で自分の車しか運転したことのない私。娘の車を運転するだけでドキドキでした。しかも、日本とは違って右側車線通行。いつも運転しているのはコンパクトカーで、1000CCのキューブ。娘の車は2500CCのムラーノです。恐る恐る車に乗り込むと、心の中で、(右、右)と唱えながらゆっくりスタート。交差点に差し掛かれば、(左大回り、右小回り)と自分に言い聞かせながらの運転でした。

幸い、アメリカは日本とは比較にならないほど高速道路が発達していて、家のすぐ近くまで来ています。高速道路に乗りさえすれば、後はまっすぐ走るだけ。人や車と交わることはありません。一般道にもほとんど信号がなく、先に交差点に差し掛かった車が優先です。

さらには、その交差点さえも少なく、ロータリーを回って方向転換する仕組みになっているのです。もちろん、道幅は日本の何倍もあり、脱輪や接触事故は起こしようがありません。予想外にすぐに慣れることができました。

次のチャレンジはアメリカのキッチンでの料理です。娘の家の台所の問題点は、すべてが大き過ぎること。冷蔵庫のドアは重くて開くのにも一苦労。電子レンジは、システムキッチンに組み込まれ、上の方に設置されているので、背の低い私には、中も見えなければタイマーやその他のスイッチにも届かないので、いちいち踏み台に上がらなければなりません。流し台や調理台の高さたるや、私の胸まであり、料理するたびに、ひじより先はずぶ濡れ。

そんな台所で、娘の好物のかき揚げうどん、日本のカレールーを使ったカレーライス、煮物などを作りました。驚いたことに、お米やお豆腐は、どこででも手に入れることができました。讃岐うどんの乾麺、カレールーなどは、日本から持参した物。芋類はスーパーに各国の物が取りそろえられているのですが、かき揚げ用のサツマイモ、煮物用の里芋そのものはなく、似ているかなと思える物で代用しました。牛乳、アーモンドミルクなどが一般的に飲まれていて、1ガロン(4L)ボトルが結構普通。重さにして4kg近くあるので、コップに注ぐのも大変でした。

It’s a boy! (男の子ですよ!)

妊婦イメージ
イメージ

 

(日記)
2004 August 31
My daughter had an appointment for ultrasound to check her baby.
We had been looking forward to that day, because we could know it was a boy or girl. We went to the clinic at 4:30 of the appointment time. As soon as we entered the room the radiologist started the exam, and she said everything was ok, it's a boy. We shouted, "As we expected!"
We called my family, including my daughter's husband, in Japan and told them about it.

(以下、日本語訳)
娘は赤ちゃんの健康状態をチェックするための超音波検査の予約をしていました。
男の子か女の子かがわかるので、その日を待ちかねていました。
予約時間の4時半に診療所に行きました。 私たちが部屋に入るとすぐに、放射線科医は検査を始めました。そして彼女は、「何もかも順調です。男の子ですよ」と、言いました。私たちは、 「思った通り!」と叫びました。
娘の夫も含めて、日本にいる家族に電話してそのことを話しました。

こうして、出産手伝いの予行練習は終わりました。10日ほどのアメリカ滞在で少しだけたくましくなれた自分自身を感じながら、トランクに詰めたアメリカ土産への息子の反応に思いを馳せ、まったく緊張することもなく帰国の途に就きました。

 

harumatiさんの記事

harumati

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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