お互いを思い合う理想の夫婦
母への想いが生きる力となった父
母への想いが生きる力となった父
公開日:2025年03月24日
老々介護は父の幸せ
70代後半で実母が難病を患い、運動能力も記憶力も早いスピードで衰えていきました。そんな中でも母がいつまでも歩けるようにと、日課の買い物を兼ねた散歩は欠かさない父でした。
やがて手足が自由に動かせなくなっていき、母の介護はどんどん大変になっていくばかり。そんな厳しい状況の中でも父が母の眉毛を左右均等に描き、ほんのり紅をさしている光景は強烈に残っています。母の笑顔は父への最高の恩返し、そして何よりの励みだったに違いありません。
毎日の家事に加えて、母にご飯を食べさせる、入浴、トイレへの付き添いなど高齢の父にとってはかなりの重労働だったはず。録画した好きな番組を見るのが唯一の楽しみも、見ている内にほとんど船をこいだ状態でした。
今ある環境の中で必死に見出した母との至福のひと時だったのではないかと思います。
生き甲斐を失って
母は難病ではありましたが、薬も服用していましたし、父はもう少し二人の思い出が作れると思っていました。心の準備ができていない状態で訪れた母との永遠の別れを、父はなかなか受け入れられなかったようです。
定期的な帰省で夕方弟が家に戻ったら、真っ暗な部屋でただ炬燵にうなだれて入っていたという父の姿が物語っています。
「あと2、3年は生けると思ったけどな……」の言葉を繰り返し言っていたのが耳に焼き付いています。
趣味の復活ならず
何とか楽しい時間を過ごして欲しくて、私の絵を描くお願いをしてみました。一旦は引受け、何枚も描いてくれたのですが、どれも満足いくものにならなくて……。
母の写真を模写した鉛筆画は本当によく描けていました。やはり自ら沸き起こる情熱がなければ、良い作品は生まれないのでしょう。
介護をきっかけに封印したヴァイオリン演奏やクラシック鑑賞も勧めてみたのですが、再開されることはありませんでした。
施設入りした父がこの上なく喜んでくれたのは、母とのツーショット写真でした。涙を目に浮かべて何度も何度も「ありがとう」を告げる父の姿が目に焼き付いています。
父に描いてもらえなかった写実画は、叶えられることのない永遠のお願いとなってしまいました。
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何時も蒲池さんの記事読むの楽しみにしていました。もう、読めないのですね。今まで有り難うございました。交流会で、ご一緒だった事良く覚えていますよ。・渡来夢