大人の手帳術1:夢や目標を叶える人の「手帳の使い方」と5つのメリット
2024.12.292024年12月05日
青田惠子作―『森の匂いは消えていった』―から2年
「ふるさと」とは、その土地らしい自然・食・つながり
青田さんの作品からは「ふるさとへの愛」が溢れてきます。「福島ならではの自然」「福島ならではの食」「深い人とのつながり」等々。3.11を境に多くが断ち切られ……と、思いを巡らせている時ふと気付いたのです。私には「ふるさと」がずっとなかったと。
思えばどこへ行っても「よそ者」だった
私は瀬戸内海の小島で、「男先生・女先生」の5番目の子どもとして生まれました。半農半漁のその島は無医村でした。
中学校の理科の教師だった父は、胴乱を持ってゲンノショウコ・ドクダミ等を採集して乾燥させ、薬草を作っていました。梅林に実った梅を煮詰めて梅肉エキスも作っていました。そんな父は、病気や怪我をした島の人たちから頼りにされていました。
縫い物や編み物が得意だった母は、女子青年(当時の言葉)に、機械編みを教えていました。
そんな両親でしたから、お風呂や釜土用の薪割りを中学生が手伝ってくれたり、捕った魚や蟹、畑の野菜が黙って玄関先に置かれていたりと、島の人々と良い関係の中で暮していました。
そんな我が家も、お祭りの時にはいきなり「よそ者」になります。100年以上の歴史を誇る「住吉神社大祭」は漁の安全や大漁を祈願する勇壮なお祭りで、船に見立てた「太鼓台」に選ばれた中高生の男子が乗り、「若い衆(し)頼むじゃ差してくれ~!!」ドンドコドンの合図で、大人の男性がそれを担ぎ上げ、激しく揺らしたり転がしたりしながら海に入っていくというものです。
未だ幼稚園児だった私でさえうっとりするほどカッコ良かったのですから、中学生になっていた兄たちも乗りたかったに違いありません。けれども「よそ者」だったため、決して乗り手に選ばれることはありませんでした。
私が小学2年生になる年、島の中学校が廃校となったので我が家は県庁所在地のある市の郊外に家を建てて引越しました。当時は(1950年代~1960年代)ほとんどが農業を営んでいて、辺り一面田んぼでした。
そんな土地柄から春と秋の2回お祭りが行なわれ、学校も半ドンになりました。家へ帰っておしゃれをし(中には振り袖を着てくる子も)お小遣いを持って露店が並ぶ神社の参道に三々五々集まります。
当時としては珍しい共働きの我が家には、家へ帰っても当然母はおらず、私はおしゃれもせずに神社へと向かったものです。
さらに結婚してから1番長く住んだ山あいの新興住宅地の我が家はどの神社の氏子でもなく、子どもたちも祭礼に加わることがありませんでした。
「ふるさと」の新しいあり方に出合って
毎土曜日、近くの農産物直売所に行きます。そこで「秋祭り」のチラシを受け取りました。見てみると地元の人にこだわらず、誰にでも開かれたお祭りのようです。早速終の棲家の友人にチラシを渡し一緒に行く約束をしました。
そこは仰木(おうぎ)と呼ばれる地域で、比叡山麓の標高200m前後の丘陵地には傾斜部分を利用した「上仰木棚田」があります。
起源は約1200年前、平安時代初期に比叡山延暦寺の荘園として棚田が形成され始めたことに遡り、その頃の形状を保った土塁の畦畔が並ぶ約780枚が現存しています。比叡山からの湧水と琵琶湖から100mの標高の寒暖差でおいしいお米が収穫できる地域です。
比叡山に連なる比良連峰を見晴るかし、里山を見下ろす高台の広場で「仰木大収穫祭」は行なわれました。神事から始まって、大津市長・仰木地区活性化委員長・各議員等の挨拶へと続きます。
各氏の目の前には餅撒きに備えて大きな袋を手にした子どもたちがズラリ。それでも長い挨拶が行なわれるのが常ですが、ここの挨拶は違いました。皆さん子どもたちに話しかけるように「たくさん拾えると良いね」「もう待てないだろうから話は終わり」等、かつて経験がないほどにご挨拶を短く終えられたのです。
私も車椅子に座って餅拾いに集中していたので、残念ながら餅撒きの盛り上がりを伝える写真はありません。その後は野菜や特産品売り場で新鮮で安い物を手に入れようと長蛇の列ができました。実はこれ、買い物だけが目当てなのではなく、回った店毎に押してもらうスタンプも大きなお楽しみ。
午後から3回に分けて行なわれる抽選会の抽選券になるからです。棚田米をはじめさまざまな協賛団体から提供されるかなり魅力的な景品が当たる可能性があるのです。
この高台のすぐ横には太鼓会館があり、大きな和太鼓が何台も置かれています。餅撒きの後には地元の小学生による和太鼓演奏も行なわれました。ベビーカーを押した若い親世代の方々が熱心に写真を撮りながら声援を送っています。ベビーたちにもこの和太鼓のリズムと響きが刷り込まれていくことでしょう。
「よそ者」を作らない、しかも「その土地ならではの自然・食・つながり」を守り広げていく新しい「ふるさと」のあり方を見た、心温まる秋の1日でした。
青田惠子 作『森の匂いは消えていった』は共感された方々が協力し合って出版された本です。
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