私の生き方に繋がる言葉との出合い

苦しいときにこそ、本当の自分が姿を見せる

公開日:2021/05/18

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「玉のよな 君が生まれて ビューティフル」……ハルメク4月号の「折り句」に応募した句。残念ながら選外となりましたが、これをきっかけに長女を出産したときのことを思い出し、続いて母から繰り返し聞かされてきた言葉を思い出しました。

苦しいときにこそ、本当の自分が姿を見せる
「全ての命を掬い上げる」コロナ禍の中 二条城での桜とマッピングのコラボレーション

娘の出産の感動を、初「折り句」に

「Beautiful!」孫が生まれ出た途端、助産師さんが発した言葉です。

“Beautiful”の意味として、「美しい」しか知らなかった私は、どんな意味で使われたのかしら、と強く印象に残りました。もちろん「美しい」という意味であるはずはありません。それは、「よく頑張ったね。見事な出産だったね」というニュアンスなんだそうです。アメリカ、ボストンの病院で、娘が出産した時のことです。

生まれてきたのは、正に「玉のような」赤ちゃんでした。体重4375gの丸々と太った男の子、待ち望まれてようやく生まれてきた、宝のような赤ちゃんでした。

その時のことを「折り句」に表現してみました。「折り句」とは、お題となる言葉の各文字を、各句の頭に据えた五・七・五の俳句のこと。ただし、季語は不要。その月のお題は、「たきび」でした。そこで作ったのがこの句。「玉のよな 君が生まれて ビューティフル」。

私が長女を出産したとき

私も45年前、玉のような子を生みました。分娩所要時間40時間。産みの苦しみを十二分に味わった末、体重4004gの丸々とした女の子が生まれました。そう、それが長女です。

私が長女を出産したとき
私の「玉のよな君」

私も長女も次女も、赤ちゃんにとってよほど住み心地のいいお腹をしているらしく、3人が3人とも、もう充分育っているにも関わらず、産気づかないままに出産に臨まなければなりませんでした。

私が長女を出産するとき、予定日を過ぎてもまったく生まれる気配がないので、入院して陣痛促進剤の点滴をすることになりました。入院に付き添った母が、まだ25歳だった私に言い聞かせました。「出産は、女性は誰でもすること。決して大声を出したりしないように。障子の桟も見えなくなるほど苦しくなって、やっと生まれるんだから、頑張りなさいよ」と。

点滴を始めると、少しずつ陣痛が起こってきました。けれども肝心の子宮口がまったく開いてきません。陣痛促進の注射が追加されました。もう息みたくてたまらないほど痛くなっているのに、ちっとも子宮口が開いてこないので、まだ息めません。

私は、母の教えを守って声を出さずに、ベッドから降り、足をどんどんと踏みならして、息みたくなるのをこらえました。丸1日経っても、子宮口はほんの少ししか開かず、その内激しい吐き気に襲われ、破水までしてしまいました。丸1日以上飲まず食わずのまま陣痛をこらえて、翌朝、車椅子でレントゲン室に運ばれ、帝王切開に切り替えるかどうかの検討がされました。「何とか胎児の頭の大きさに耐えうる骨盤の広さなので、普通分娩で行きましょう」。

母は、ずっと私の腰をさすりながら、「苦しいときにこそ、本当の自分が姿を見せるんだからね」と、黙って耐える私を励まし続けてくれました。夕方、もう一度レントゲンを撮りに行きました。その時です。母は急に泣き出し、叫ぶように先生に訴えました。「破水した状態で、こんなにも長く苦しんで、娘も赤ん坊も死んでしまいます。生きている内に出してやってください」。けれども先生は冷静です。レントゲンを見ると、「大丈夫。いけます。自然分娩が、母子共にとって1番いいのですから」と言って、また、点滴と注射を追加しました。

3日目になってようやく分娩室に移り、助産師さんが馬乗りになってお腹を押さえながら、上手く息めるように声かけをしてくれました。吸引の道具にも助けられながら、陣痛が始まってから40時間後、ようやく長女が誕生しました。お腹の中で赤ちゃんも苦しかったのでしょう。助産師さんに逆さ吊りにされ、お尻を何度も叩かれて数分後(もしかしたら数秒後だったのかも知れませんが)、やっと産声を上げたのでした。私は、「ありがとうございました」と、お礼を言いながら(最後まで、障子の桟が見えないほどにはならなかったなあ)と、妙に冷静でした。

苦しいときにこそ、本当の自分が姿を見せる

母に言われた「苦しいときにこそ、本当の自分が姿を見せる」この言葉は、私の生きる指針となりました。「楽なときには、だれでも人に優しくなれる。苦しいときにこそ、自分のことでいっぱいいっぱいになるのではなく、人への優しさを保てる人間になりたい」と。

そこで思い出すのが、民話『かさこじぞう』のじさまと、ばさま。たいそう貧乏な2人は、大晦日だというのに、年神様をお迎えするもちこの用意さえできません。何かもちこと代える物でもあればと見回すと、土間の隅っこに夏の間に刈り取っておいた菅が積まれていました。2人で菅笠を作り、5つできると、じさまがまちに売りに出かけていきました。年越しの晩に笠が売れるわけもなく、じさまは「もちこも持たんで帰ったら、ばさまはどんなにがっかりするだろう」と思いながら、とんぼり、とんぼりと薄暗くなってきた吹雪の野原を帰って行きます。その時、吹きっさらしの野っ原で、六地蔵様に出会います。じさまは、売り物になるはずだった菅笠を5人の地蔵様に被せました。6人目の地蔵様には、自分がしていたほっかぶりを取って被せました。

うちへ帰ったじさまは、ばさまにこのことを話しました。すると、ばさまは嫌な顔ひとつしないで、「おお、それはいいことをしなすった。さあさあ、じさまいろりにきてあたってくだされ」と、言うのでした。

​​文 ​​いわさき きょうこ  絵 あらい ごろう ポプラ社刊 より

今、コロナ禍の中で、たくさんの方たちが困っています。各地でその日の生活にも困っている人達に食糧や生活用品を配る支援の輪が広がっています。そんなニュースを見たり、読んだりするとき、「苦しいときにこそ、人への優しさを保てる」人々がいるのだと、心に花が咲いたような気持ちになります。そんな優しさが政治を動かし、一つの命をも取りこぼさない政策に、今すぐ取り組んでほしい願っています。

 

 

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harumati

定年退職・年金生活者。45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から1か月もせず、今度は脳出血に襲われました。1年半の闘病、リハビリ生活後、2018年、旅行・ボランティア・夏休みの娘母子とのプチ同居を3本柱にした、悠々自適のリタイア生活を取り戻すべく仕切り直して再出発しました。

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