通信制 山本ふみこさんのエッセー講座第9期第4回

今月のおすすめエッセー「母の手」サーリさん

今月のおすすめエッセー「母の手」サーリさん

公開日:2025年01月31日

「母の手」サーリさん
「母の手」サーリさん

随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から山本さんが選んだエッセーをご紹介します。第9期4回目のテーマは「不意のこと」。サーリさんの作品「母の手」と山本さんの講評です。

母の手

バスは走り出していた。
ここまで必死に走ってきたのに間に合わなかった。今日だけではない。そんなことが、それまで何度もあった。

誰もいなくなった東大病院の停留所の古びたベンチにわたしは座った。
膝の上に桜の花びらが落ちてきた。見上げると桜。満開だった。
これまで何度もこの停留所を使っていたのに、桜の季節も何度もあったのに、わたしは桜にまったく気がつかなかった。

同じこの停留所でバスを降りる時も乗る時もわたしは母の病状の厳しさを憂い、うつむいて歩いていたのだ。

しばらく桜を見上げていた。
すると突然涙があふれ、止まらなくなった。気がつくと小さな声をあげて泣いていた。桜があまりにも美しかったから? いやずっと胸の奥にあった何かあたたかいものがあふれてきたのか……。母が亡くなった時にも、わたしは泣かなかったのに。

母は自宅近くの病院で亡くなった。
最後は家族と毎日会える方がいいだろうという医者の計らいだった。母が亡くなった後はさまざまなことに忙しく、東大病院の主治医から「亡くなるまでの様子を書いてほしい」という書類をずっと返信できないでいた。今日はお礼も兼ねて主治医に会いに来たのだった。

はじめてこの停留所に降り立ったのは数年前のこと。先生は「もってあと2年」と言った。
でも母は7年がんばった。

病名は多発性骨髄腫。難病指定の病気だった。
治療は吐き気をともなう苦しいものだった。免疫力が低下し家族との面会もできないこともしばしばだった。母が何よりも辛いと訴えたのは食事ができない日が続いたこと。
通常の食事は比較的自由だったが、病院の食事に飽きて、わたしが持ち込む弁当を心待ちにしていた。平日仕事があったわたしは日曜日になると千葉から電車を乗り継いで東京・御徒町(おかちまち)で降りた。松坂屋の地下で母が好きな食材で彩りのきれいな弁当を買い、巡回バスで病院に行った。そして昼食を一緒に食べた。

別れる時、母はいつもわたしの手を握った。
入院してから母の手の柔らかさに驚く。グローブみたいだった手は柔らかい美しい手になっていた。

山本ふみこさんからひとこと

書きだしがうつくしいです。

バスは走り出していた。

泣けてよかったですね「サーリ」さん。
ことし桜が咲いたら、わたしはこの「母の手」を思いだして、ちょっぴり泣いてしまいそうです。「わたし」という主語の位置について、書いておこうと思います。わたしは……、と、アタマに置くと、ちょっと子どもっぽくなりがちです。

どこに置くかに正解はないけれど、さあ、どこに置こうかなという神経を働かせましょう。
 

通信制 山本ふみこさんのエッセー講座とは

全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は講座の受講期間の半年間、毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。


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ハルメク旅と講座
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ハルメクならではのオリジナルイベントを企画・運営している部署、文化事業課。スタッフが日々面白いイベント作りのために奔走しています。人気イベント「あなたと歌うコンサート」や「たてもの散歩」など、年に約200本のイベントを開催。皆さんと会ってお話できるのを楽しみにしています♪