かわいい孫から何と呼ばれたい?
2020.08.122021年07月02日
アジアを代表する歌手であり運動家のドキュメンタリー
せめて知っておこう。香港とデニス・ホーとリンゴ日報
コロナ禍で海外渡航が難しい状況が続きますが、世界情勢は動いています。おすすめのエンタメ作品を紹介する矢部万紀子さんの連載、今回は映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」です。自由を奪われまいと抗う香港の問題に目を向けます。
デニス・ホーさんとはどんな人物か?
ドキュメンタリー映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」を見ました。デニス・ホーという香港のスター歌手を追ったドキュメンタリーです。音楽には疎く、彼女のことは全く知りませんでした。それでも見にいったのは、香港のことを知ろうと思ったからです。
まず、彼女のプロフィールを簡単に紹介します。1977年に香港で生まれ、11歳で家族とカナダに移住、19歳のときに香港の歌謡コンテストで優勝しました。2001年にデビューし、人気は中国本土にも広がりましたが、今はインディーズで活動しています。
2014年、学生らが中心となり民主化を求める雨傘運動に参加、逮捕されたからです。スポンサーは離れ、大きな会場を借りることもできなくなりました。
監督・脚本・制作はニューヨークで30年にわたってドキュメンタリー映画を作ってきたスー・ウィリアムズさんという女性です。撮影開始は18年だったそうですが、過去の映像もふんだんに使っています。デニス・ホーさん、彼女の友人へのインタビューだけでなく、香港の元官僚や元政治家、国外にいる学者へのインタビューが、中国と香港とデニス・ホーさんの関係を浮かび上がらせます。
つい目を背けてしまっていた香港情勢
最近の香港情勢から、目を背けていました。きっかけは、政治活動家・周庭(アグネス・チョウ)さんらの逮捕(20年8月)でした。周さんは「香港民主の女神」と言われ、19年には来日しました。彼女の人となり(アニメから日本語を学んだetc.)も好ましく、応援していました。それが翌年に逮捕されてしまったのです。
逮捕の2か月前に「香港国家安全維持法(国安法)」が施行され、香港の高度な自治を認める「一国二制度」が事実上崩壊したと報じられていました。これで香港はおしまいだと思い、連行される彼女の姿を最後に、香港情勢をシャットダウンしたのです。
それから約1年。飛び込んできたのが映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」の情報で、一人の歌手を通して香港の今が見えると紹介されていました。これは行かねば。香港にもう一度目を向けるための一歩にしよう。そう思いました。
スター性を感じるカッコよさと強さ!でも後味は苦い
デニス・ホーさんの強さが、ひしひしと伝わってくる映画でした。モントリオールで過ごした学生時代が自分に大変な影響を与えたと語っていました。自分たちのことは自分たちで決める、つまり民主主義が骨身に染みている。そういうことだと理解しました。
香港のアニタ・ムイという歌手に憧れた9歳までさかのぼり、アーティストとしての歩みが詳しく描かれていました。歌手として社会とどうつながっていくか葛藤し、少しずつ動いていきます。雨傘運動への参加は、彼女にとって必然だったとわかります。
雨傘運動より前に、彼女は同性愛者であることを公表しています。12年、香港プライドパレードに参加、壇上で「私は同性愛者だー」と叫ぶ姿から吹っ切れた様子が伝わってきました。自分の心を偽らない。そういう人生を選んだ彼女はさらに魅力を増し、欧米の名だたるブランドが次々とスポンサーになりました。でも、雨傘運動でみんな消えていきます。
それでも彼女は、へこたれません。デモに参加し、「冷静に、冷静に」と参加者たちに声をかけます。知名度を生かし、国連などで香港の窮状を訴えもします。デモではTシャツにジーパン、国連ではスーツ。どちらもすごくカッコよく、「ああ、この人はスターなのだ」と思いました。
とはいえ、見終わって残る感情は、明るいものではありません。むしろ暗く、苦いです。中国がますます強権を発揮し、香港情勢は改善されないどころか悪化している。そのことがはっきり描かれているから、彼女の強さがわかってもなおつらいのです。
「リンゴ日報(蘋果日報)」が最終号、自分には何もできないけれど
映画を見たのは6月24日でした。家に帰り、夕刊を開きました。1面は「リンゴ日報最後の夜」(朝日新聞)という記事でした。香港の民主化を支持し、中国共産党指導部を厳しく批判してきた新聞が、24日付け朝刊で最終号となったのです。香港国家安全維持法によって廃刊に追い込まれた、とありました。95年に私財を投じて創刊した黎智英(ジミー・ライ)さんは周庭さんと同じ20年8月に逮捕され、21年6月には編集トップら幹部6人も逮捕されたそうです。
刷り上がったばかりの最後の新聞を手に、記念撮影する社員の写真が載っていました。みなが若く、笑っていました。私も若い頃、新聞記者をしていました。だから彼女、彼らの笑顔がつらく、涙がこぼれそうになりました。
以来、香港に関するニュースは毎日、きちんと読んでいます。何もできないけれど、知っておかねば。デニス・ホーさんの強さと、リンゴ日報の社員の笑顔が、私にそう迫るのです。
6月5日(土)よりシアター・イメージフォーラム他、全国で順次公開
監督・脚本・制作:スー・ウィリアムズ
製作総指揮:ヘレン・シウ
配給・宣伝:太秦
deniseho-movie2021.com
矢部万紀子(やべ・まきこ)
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)、『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔 生きづらさを超えて』(ともに幻冬舎新書)
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