【ラジオエッセイ】だから、好きな先輩47 緒方貞子
2024.12.172023年12月17日
随筆家・山本ふみこの「だから、好きな先輩」44
「人間の安全保障」と唱え続けた緒方貞子さん
「ハルメク」でエッセイ講座を担当する随筆家・山本ふみこさんが、心に残った先輩女性を紹介する連載企画。今回は、元国連難民高等弁務官の「緒方貞子」さん。日本人初の国連難民高等弁務官として活躍した緒方貞子さんが、「救う」と決断をし続けた理由とは。
好きな先輩「緒方貞子(おがた・さだこ)」さん
1927-2019年 元国連難民高等弁務官
東京都生まれ。幼少期を米国、中国、香港で過ごす。米国の大学で政治学を学び、76年日本人女性初の国連公使となり、特命全権公使などを歴任。1991~2000年国連難民高等弁務官、2003~2012年国際協力機構理事長を務めた。
国家の、ではなく、人間の安全保障が最優先
緒方貞子。日本人として初めて国連難民高等弁務官を務めた国際協力機構(JICA)元理事長です。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の役目とは何か。冷戦時代、共産圏から逃げてくるひとたちを保護する目的で開設された組織です。そのミッションは、自国で、政府に守られないから国を出る人たち=国境の外に出てきた人の保護でした。
1991年に着任した緒方貞子は、冷戦が終われば、そのミッションも終わるだろうと考えていました。
ところが、ところが。大きな決断を迫られる事態がつぎつぎと襲いかかったのです。
- イラク国内におけるクルド難民の問題
湾岸戦争収束後のイラクで4日のあいだに180万人もの難民が流出。140万人は国境を越えましたが、トルコ政府が国境を閉ざしたため、国境から外に出てきていない人(残りの40万人)を保護すべきかどうか、という問題。 - 旧ユーゴの問題
旧ユーゴの崩壊がはじまり、激しい戦闘が繰りひろげられるなか、サラエボで40万人の市民が「国内避難民」となりました。 - ルワンダ難民の問題
1994年、100万人の規模で生まれた難民。同じキャンプのなかには、たくさんの人を殺しながら逃げてきた兵士やその家族がいるのです。
緒方貞子の判断の基準は常に、「救う」であり、「生きてもらう」でありました。
国は難民を救えない…国際社会が救うしかない
この資質をどこで身につけたのでしょう。外交官を父に持ち、3歳から8歳までアメリカと中国で育ちました。途中で日中戦争が、帰国後は日米戦争が、はじまります。このときの異国での経験は、もしかしたら、のちに弱者としての難民を考える元となっているのかもしれません。
国や政府が壊れたため、国をはじき出されるのが難民です。しかも国内に閉じこめられる難民もじつは存在しています。どちらにしても、国は難民を救えない……。国際社会が救うしかないわけです。
2019年10月、緒方貞子の死が発表された日、彼女が訴えていた「人間の安全保障」に思いをめぐらしていました。
国家の、ではなく、人間の安全保障です。このことがSDGs(持続可能な開発目標)とつながってゆくのではないかなあ。……つづきはまた。
随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
1958(昭和33)年、北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。ハルメク365では、ラジオエッセイのほか、動画「おしゃべりな本棚」、エッセイ講座の講師として活躍。
※この記事は雑誌「ハルメク」2020年2月号を再編集し、掲載しています。