岡田美里さん|還暦前の結婚、充実した日々と新たな夢
2024.09.132023年09月02日
“元祖カリスマ主婦”から50代後半での地方移住
岡田美里さん|離婚、母の介護、移住…想定外な人生に
10代からモデルとして活躍し、28歳で結婚後、“元祖カリスマ主婦”と呼ばれた岡田美里さん。離婚を乗り越え、娘二人を育てながら、料理や手芸を楽しむ教室を続けてきました。4年前からは母の介護のために山梨に移住。60代、今の暮らしを訪ねました。
岡田美里さんのプロフィール
おかだ・みり1961(昭和36)年生まれ。祖母はデンマーク人、父はE.H.エリック、叔父は岡田眞澄。聖心女子大学卒業。モデルとして活動後、22歳でキャスターとしてデビュー。28歳で結婚。99年に手作り教室「アトリエミリミリ」を開く。2008年にデンマーク「トロールビーズ」輸入総代理店の代表者に。日本紅茶協会認定名誉ティーインストラクター、DMC刺繍メンターとしても活躍。22年に幼なじみのパートナーと入籍。「ジャムオブワンダー」のWEBサイトでジャムなどを販売中。
母の介護のために都内から山梨へ…50代で迎えた転機
「母の介護、移住、還暦で結婚……人生は想定外なことばかり。時にはちょっと無理して
踏み出すことも大切です」これまでを振り返り、そう今の思いを語る岡田美里さん。
そんな岡田さんのご自宅は、山梨県の河口湖近く。富士山のすそ野に広がる木立の中にあります。東京で生まれ育った岡田さんがここに移住したのは2019年夏でした。
「きっかけは、当時87歳だった母がパーキンソン病と診断されたことです。実は2000年に亡くなった父(タレントのE・H・エリック氏)も同じ病気で車いす生活を送り、最後は寝たきりでした。
ですから母も近い将来、車いす生活になると覚悟したんですね。当時住んでいた家は高台にあり、玄関は階段の上、お風呂は2階。ここでは母を看られないと考えたとき、頭に浮かんだのが、何年も使っていなかった山梨の家でした」
都内には自宅の他、料理や手芸を教えるアトリエが2つありましたが、「生徒さんたちに事情をお話しして教室は閉め、一気に全部整理しました」
15歳のときに家出した母との同居、わかり合えるまで
こうして始まった母との暮らしは、決して順調ではなかったと言います。
「母はもともと子どもより自分が大事な人でした。実は私が15歳のとき、父との不仲が原因で母は家を出て、以来ほとんど一緒に暮らしたことがなかったんです。
山梨に引っ越して1週間目、荷物の整理に奮闘していると、『ミリちゃーん』と呼ぶ母の声がして、寝室、トイレ、お風呂と家じゅうを探したけれど、どこにも姿がない。慌てて外に出ると、母は玄関の段差から落ちて手を骨折していました。
長年一人で自由に生きてきた母は、病気で足元がおぼつかなくなっても、勝手に出掛けてしまい倒れていることがたびたびあり、私は『何かするときはちゃんと声を掛けてね。一人で生きているんじゃないのよ』と何度も伝えました。最初は何も言わなかった母も、次第に『ありがとう』と言ってくれるようになって。
どんどん歩けなくなることへの恐怖もあったと思いますが、家族やヘルパーさんに頼ってもいい、自分は一人じゃないとわかって安心したのか、今の母はとても幸せそうな顔をしています」
パーキンソン病が進行して車いす生活になった母は2年前、「そろそろ施設に入りたい」と自ら宣言。現在は山梨の家に近い特別養護老人ホームで暮らしています。
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「移住後は想定外な出来事の連続だった」と振り返る岡田さん。移住した冬に始まったコロナ禍を乗り越え、新たに描いた目標。一方で思いがけず、家族が増えることに…。【後編】では、岡田さんの、60代、これからの暮らしへの思いをお聞きします。
取材・文=五十嵐香奈(編集部) 撮影=天野伶
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※この記事は2023年9月号の取材を再編集しています。