病気、人間関係…50代からの変化を乗り越えるヒント

看護師・僧侶の玉置妙憂さんに聞く負の感情の手放し方

公開日:2019.04.13

更新日:2023.08.26

イライラする、どうして私ばっかりと不のスパイラルに陥っていませんか。「苦難には意味がある」と現役の看護師であり、僧侶の玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん。グリーフケアにも取り組む玉置さんがたどり着いた、心軽やかに生きるためのヒントとは?

看護師と僧侶、2つの資格を持つ理由とは

更年期、子どもの独立、大切な人との別れ、病気、離婚――。50代を過ぎた女性たちには、さまざまな“変化のとき”が訪れます。

ハルメクは、そんな“変化のとき”を乗り越えるためのヒントを、数々の看取りを経験してきた看護師であり、僧侶の肩書をもつ玉置妙憂さんに、教えていただきました。

法律事務所に勤務していた玉置さんが、なぜ「看護師」と「僧侶」という2つの肩書をもつようになったのか――。多くの人に生きる力を与えてくれる玉置さんの「言葉の力」の背景には、ある“壮絶”な体験がありました。

玉置妙憂さんが、看護師と僧侶の2つの資格を持つ理由

私の肩書をご覧になって「どうして2つの資格を?」と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。まずは、私がなぜ今の道を歩むことになったのか、お話しさせてください。

私はもともと法律事務所に勤務していました。カメラマンの夫と結婚し、男の子を二人授かりましたが、長男には重度のアレルギー症状があり、親として専門知識を持ったケアが求められたため「もう息子専属の看護師になるしかない」と思うようになったのです。一度決めたら、猪突猛進。看護の勉強を始め、長男が6歳のときに看護師資格を取得。「せっかく取得した資格を生かしてみよう」と、30歳から看護師として働き始めました。

その数年後、今度は夫が大腸がんと宣告されました。一度は快方に向かったものの、その5年後に膵臓に転移していることが判明。当然、夫は私たち家族のために治療をがんばってくれると思っていたのですが、「もう治療はしたくない」と言いだしたのです。「家族を愛しているなら、治療してよ!」。夫の考え方が理解できず、言い争いが続く毎日。しかし、夫はどんな言葉をかけても折れてくれません。結局、夫の意思を尊重し、在宅での看取りを選択しました。

夫の看取りを期に、仏教の道へ

夫の看取りを期に、仏教の道へ

私が僧侶の道を選ぶきっかけとなったのは、この夫の看取りにあります。夫は延命治療をしない「自然死」を選びましたが、誤解を恐れずに言えば、それは感動すら覚えるほどの美しい死に様でした。私は仕事柄、数百人の看取りに立ち会ってきましたが、患者に過剰な点滴や水分補給をする病院では、どうしても痰や体にむくみが出ます。ですが、治療を選択しなかった夫は最期まで穏やかに呼吸を続け、枯れ木のように命を燃やし尽くして旅立っていきました。夫が身をもって示して逝ってくれた美しい死に様に、私は魂を揺さぶられ、開眼。出家を決意したのです。

こんなふうに私の半生をお話しすると「困難を乗り越えて、強いですね」と言ってくださる方もいますが、いえいえ、とんでもない。修行を終えて僧侶となった今だって、イライラもメソメソもクヨクヨもします。ただ、こういった〝負の感情〟に対して、仏教の道に進む前と後でとらえ方は変わりました。自分の身にふりかかることには、何かしらの意味がある、ということがわかったからです。

うまくいかないことも決してマイナスのことではない

うまくいかないことも決してマイナスのことではない

「カルマ」という言葉があります。この言葉は「前世で悪い行いをしていると、今生の自分に返ってくる」というようなネガティブなイメージを持たれがちですが、仏教では「カルマ=課題」。自分の中でうまくいかないとか、不運に感じることは、今生の自分に仏様が与えたカルマである、という考え方をします。うまくいかないことも決してマイナスのことではなく、魂のレベルを上げていくために課せられたカルマ。達成できないと、何度でもまた同じようなことが繰り返し起きます。

例えば、「なぜAさんは傷つくようなことばかり言ってくるのだろう」と悩んでいる人は、Aさんのような人に対応することがカルマであり、対応力がついたと仏様が判断されたら、今度はまた別のステージのカルマが降ってくる。カルマから解かれることを誰しも望むと思いますが、「カルマがない=死」であり、仏様が「今生でのカルマを達成した」と判断すると、死を迎えると考えられています。

とはいえ、嫌なこと、不運なことに遭遇してしまったとき「よしっ、これはカルマだからがんばって乗り越えよう!」なんて思える人はほぼいません。私もしかり。しかも、負の感情ほど執着しますから、くどくどと考えてしまいがちです。そんなときは、思考の連鎖を解いて止めるのです。

私たちの頭は暴走しがちで、次々と思考をつなげていく癖があります。さきほどのAさんの例ですと、「なぜAさんは傷つくようなことばかり言ってくるのか→他の人にもあんな言い方をするのだろうか→親の顔が見てみたい……」と次々と思考がつながっていく。でもこの思考の連鎖は単なる執着となっていくだけ。

思考の連鎖は、「そう思っている自分に気付くこと」で止められます。止め方は「『なぜAさんは傷つくようなことばかり言ってくるのか』と私は思っている」と事実のみを頭の中で確認したら、以上、それっきりにする。イライラしているときは「私、イライラしているな」と客観視し、それでおしまい。「あんなこと言われたな」などと余計なことは考えず、イライラしている自分を客観視することだけにとどめるのです。余計な思いが次々と矢のように飛んできたら、刀で次々と切っていく。そんなイメージです。繰り返すうちに負の感情は徐々に放れて、自分という軸がしっかり見えてくるはずです。

まずは自分の心のコップを幸せで満たしましょう

まずは自分の心のコップを幸せで満たしましょう

私は僧侶となってからというもの、患者さんから人生相談も受けるようになりました。仕事、介護、人間関係……。相談に耳を傾けていると、疲れきっている人の何と多いことか。みなさん誰かのためにがんばり過ぎているなぁとしみじみ思います。自分のための利益(自利)より人のための利益(利他)が美徳とされるこの国の風潮のせいでしょうか。確かに、利他の看板を掲げている限り、世の中から攻撃されづらい。でも、仏教では自利と利他を合わせて「二利」と呼び、いずれも同様に大事だと説いています。

私は、相談にいらした方たちに「まずは自分の心のコップを幸せで満たしましょう」とお伝えしています。自分のコップが満たされていれば、そこから誰かに水を分けてあげることができる。でも自分のコップが空だと、どれだけ人のために尽力しても「私のコップに水をちょうだい」というモードになってしまいます。「やってあげているのに相手から感謝がない」と不満を感じてしまうとき、きっとあなた自身の心のコップが空っぽなのです。

夫の最期の様子に魂を揺さぶられたお話をしましたが、亡くなった直後の悲しみはやはり深く、私の心のコップは空っぽでした。そんな私が向かったのは、ディズニーランド。夫の死後2~3か月の間で、子どもと6回も通いました。「夫が亡くなったというのに」とどなたかの気に障っていたかもしれません。でも、家族を亡くした者の悲しみは、計り知れないもの。悲しみからの逃避行を責める権利は自分も含めて、誰にもないのです。苦しみや悲しみから逃げること、距離を置くことは必要です。あのときの逃避行が心のコップを満たしてくれたからこそ、私は今こうして人のお役に立てている。今はそう思っています。

玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんプロフィール

東京都生まれ。看護師であり、僧侶。「一般社団法人介護デザインラボ」代表。夫の看取りをきっかけに、その死に様があまりに美しかったことから、開眼。高野山真言宗にて修行を積み、僧侶になる。現在、東京・小岩の榎本クリニックに勤務する傍ら、院外でのスピリチュアルケア活動を続ける。著書に『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社刊)。

構成=小林美香(ハルメク編集部)※この記事は、「ハルメク」2019年1月号連載「こころのはなし」を再編集しています。

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