手足なくとも光あり・中村久子#第1回

四肢失っても「人生に絶望なし」中村久子72年の生涯

公開日:2023.05.03

更新日:2023.05.04

中村久子さん(1968年死去)をご存じでしょうか。3歳で病気のために両手足を失うも、すさまじい努力と強い精神で、家事も仕事も自分で切り開いて生き抜いた人です。苦しみを引き受け「人間としてどう生きるか」を求め続けた久子さんの生涯を紹介します。

没後約50年。生まれ育った街、岐阜・高山を訪ねて

〈来日したヘレン・ケラー女史が「私より偉大な人」とたたえた女性・中村久子さんを、多くの方に知ってほしいのです。〉読者の鎌宮百余(かまみや・ももよ)さんから届いた手紙をきっかけに、編集部は一路、岐阜・高山市へ向かいました。

飛騨の小京都と呼ばれる高山市。この街で120年余り前に生まれた中村久子さんは、幼くして両手足を失うという過酷な運命を背負いながら、72年の生涯を全うした女性です。

「料理も、裁縫も、掃除も、何でも見事にする人でした」

「明るくて、曲がったことが大嫌いな人でした」と振り返るのは、手紙をくれた読者の鎌宮さん。久子さんが幼少期に暮らした家と、鎌宮さんの実家が近所で親戚のような付き合いをしていたことから、「久子おばさんは、私を孫のようにかわいがってくださいました」と話します。

編集部に手紙をくださった鎌宮百余さん

「あれは小学3年の夏休み。久子おばさんが家に来て、短い腕でスイカをきれいに召し上がる様子をじっと見ていた私は、思わず『おばちゃん、どうしてスイカの汁がこぼれんの?』と聞いたんです。すると『最初に果汁を吸うのよ』と優しく教えてくれました。きっと、どうしたらきれいに食べられるのか、研究に研究を重ねられたのだと思います。料理でも、裁縫でも、掃除でも、手足のないことをこちらが忘れてしまうほど、何でも見事にする人でした」

久子さんは食事をするとき、短い右腕に巻いた包帯にお箸を差し、茶碗を左腕に乗せて、人の手を...

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長倉志乃

ながくら・しの  ハルメク編集部兼文化事業室所属。ハルメクに入社する前は、暮らしや住まいの雑誌の編集部に在籍。のんびりお茶を飲み、おいしいごはんを食べ、世界中を旅するのが大好き。現在、本誌編集と同時に、ハルメクの旅や講座、動画コンテンツを企画する新たな仕事に挑戦中。
 

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