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- 内田勝康|NHK勤続30年。50代で医療福祉へ転職
元NHKアナウンサーの内多勝康さんは2016年にNHKを退職し、国立成育医療研究センター「もみじの家」のハウスマネージャーに転職。医療的ケアが必要な子どもとその家族のための施設です。52歳での大転身は、どのようにして起こったのでしょうか。
世界一赤ちゃんの命を救う日本で起きていること
こんにちは、内多勝康(うちだ・かつやす)です。数年前まではNHKのアナウンサーをしていました。「首都圏ニュース845」や「生活ほっとモーニング」のキャスターなども担当していましたから、覚えてくださっている方もいるかもしれませんね。
現在、僕はNHKを辞め、国立成育医療研究センターにある「もみじの家」で働いています。これは医療的ケアが必要な子どもたちとその家族が短期間滞在できる施設のこと。僕はここで管理業務を行うハウスマネージャーの仕事をしています。
実は、日本は「世界で最も赤ちゃんの命を救う国」であることをご存じでしょうか。
医療の進歩によって、体重が500gにも満たない赤ちゃんや重い病気を持った赤ちゃんも救命できるようになりました。日本は先進国の中でも特に高い乳児救命率を誇っています。これは本当に素晴らしいことです。
けれども、その一方で新しい問題も出てきています。
退院後も人工呼吸器の装着や痰(たん)の吸引、チューブを通した経管栄養などの医療的ケアが必要な子どもたちが年々、増えているのです。自宅でのケアは24時間、365日、休むことなく続きますから、ご家族、特にお母さんにとってはひとときも休まる時間がありません。
そこで、数日でもいいから自宅を離れ、第二の我が家にいるような気持ちで、お子さんと一緒にくつろいでいただきたい。そんな目的で2016年に創設されたのが、「もみじの家」なのです。
NHK勤続30年、未知の領域へ転身した理由
それにしても、どうしてNHKのアナウンサーから、そのような施設に転職を?と不思議に思われる方も多いのではないでしょうか。実は僕自身が、ここに至る道筋を振り返ると不思議でならないのです。まずはそのいきさつについてお話をさせてください。
NHKを辞めたのは、勤続30年という節目の年で、53歳になる直前のことでした。僕はもともと安定志向が強いですから、NHKでおとなしく定年まで勤め上げるつもりでいたんです。それが50歳を過ぎて転職をすることになるとは!しかも、未知の領域への転身です。本当に人生、何が起こるかわからないものです。
そもそも医療的ケアが必要な子どもたちのことを知ったのは、2013年、「クローズアップ現代」の取材でのことでした。
新生児集中治療室(NICU)が満床のため、ある程度状態が安定した子どもたちは医療処置が必要なまま、自宅に戻らざるを得なくなっている。医療的ケアを日々行う家族の負担は重い。救った命を今後、地域でどう守っていったらいいのか――。そんな問題を投げかける番組でした。
このとき、取材で訪れたのが国立成育医療研究センターでした。当時から、もみじの家の計画が水面下で進んでいたそうですが、もちろん僕は知る由もありません。ところが、この番組の放送から1年余りたった頃、以前から取材などでお世話になっていた社会福祉法人の関係者とお会いする機会があり、もみじの家ができることを知らされました。そして、さらにこんなことを言われたんです。
「内多さん、そこのハウスマネージャーになる気はありませんか?」と。病院のスタッフが管理者になると病院っぽくなってしまうので、外部から人材を招きたいということだったようですが、僕としては考えてもみなかったことで、本当にびっくりです。
思わず「えっ、NHKを辞めるってことですか!?」と返してしまいました。しかし、内心はうれしかったし、とてもありがたい話だとも思いました。というのも、僕はNHKの新人時代からずっと障害福祉に関心を持っていたからです。初任地の高松放送局で、地元のボランティア協会のお祭りの司会をしたことが、そのきっかけでした。
僕は子どもの頃から、正義の味方への憧れが非常に強く、特に悪を懲こらしめる“仮面ライダー”への執着は半端ではありませんでした。好きな言葉は、孔子の『論語』に出てくる「義を見てせざるは勇無きなり」。
そんな背景もあってか、「困っている人や支援を必要としている人の一助になりたい」「社会をよくしたい」という思いが強くなったのだと思います。50歳を迎える直前には一念発起して専門学校に入学し、社会福祉士の資格も取りました。定年後は、この資格を生かして“福祉のおじさん”として活動しようなどと思ってもいたんです。
「キャリアを捨てる」か「一生後悔」を受け入れるか
ですから、もみじの家へのお誘いは願ってもないことで、これを断ったら一生後悔すると思いました。しかし、NHKを辞めるのは一大決心。給料も下がりますから、一人で決めるわけにはいきません。
そこで家族に相談したのですが、妻は私が言い出したら聞かないことをわかっているのか、「いいんじゃないの」と意外なほどすんなりと背中を押してくれました。3人の子どもたちも、同様に「いいんじゃない」と。息子はすでに成人して働いていましたし、娘たちも大学生で、ある程度先が読めるくらいに大きくなっていましたから、経済的にもなんとかなりそうでした。幸い、家のローンも終わっていました。
人との出会いでも、偶然が重なりました。ハウスマネージャーの声をかけてくれた方は、僕が社会福祉士の資格を取るときに実習先になってくれた福祉施設のトップでした。また、「クローズアップ現代」の取材で大変お世話になったドクターが、もみじの家の準備室へ異動になっていたことにも、ご縁を感じました。
まるでジグソーパズルのピースが一つずつ埋まっていくように、転職に向けて状況が整っていくかのようでした。振り返ると、NHKでの30年間は、ここにたどり着くための長い助走だったとさえ思うようになったのです。僕は本当に“ラッキーマン”です。
「人生は一生、勉強である」を痛感した最初の1年
そうして飛び込んだ、もみじの家ですが、正直に言うと最初の1年間はまさに苦行でした。僕は長年マスコミにいた人間として「発信力」を期待されていたようですが、ハウスマネージャーとしての仕事は他にもたくさんあります。
事業計画を立て、それをわかりやすく資料にまとめ、会議で報告もしなければなりません。しかし、僕は事務能力に欠け、パソコンでのグラフ作成もろくにできず、提案した計画内容もスカスカ。難解な医療用語にもアップアップでした。そして、ついには上層部から「ハウスマネージャーとしてもっと責任を持ってください」との雷まで落ちることに……。
53歳にして味わう屈辱的なひと言でした。ほんの2か月前まではベテランアナウンサーとしてそれなりの評価を得ていただけに、一気に打ちのめされました。凹みました。でも、仕方ありません、実際に役に立たないんですから。
自分の無力さを繰り返し味わいながら、できないことを一から学んでいく。「人生は一生、勉強である」と身をもって痛感した1年でした。目の前にぶら下がっていた、おいしそうなニンジンに食いついたはいいけれど、思ったほど甘くはなかったという感じでしょうか。でも今は、その苦さにも慣れ、「それもまたおいしい」と思えるまでになっています。次回は医療的ケアの必要な子どもたちについて、さらに詳しくご紹介します。
「もみじの家」のこと
もみじの家は、英国の「子どもホスピス」をモデルにした医療型短期入所施設です。100%民間からの寄付で2016年に完成しました。また、運営には医療や福祉、保育の専門職にボランティアが加わり、運営資金の多くも寄付によって成り立っています。しかし「
「もみじの家」を支援したい方は、ホームページの「ご支援・ご寄付について」をご覧ください。銀行振込またはクレジットカードで寄付ができ、寄付金は税制上の優遇措置が受けられます。
http://home-from-home.jp
内多勝康さんプロフィール
うちだ・かつやす 1963(昭和38)年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局。2016年3月に退職し、国立成育医療研究センター「もみじの家」ハウスマネージャーに就任。著書は『「医療的ケア」の必要な子どもたち』(ミネルヴァ書房刊)。印税は必要経費を除き、もみじの家に寄付される。
取材・文=佐田節子
※この記事は、雑誌「ハルメク」2019年7月号に掲載の「こころのはなし」を再編集しています。
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