幸せとは、運命を受け入れるとは?

佐々木常夫|うつ、自閉症、自殺…家族再生の歩み

公開日:2020.11.23

更新日:2023.08.14

「私の人生は、一体どうなっているんだ!」自閉症の息子やうつ病の妻、娘の自殺未遂という、崩壊寸前の家族を再生させた体験をつづったベストセラー『ビッグツリー』の著者、佐々木常夫(ささき・つねお)さん。壮絶な体験から見えた、幸せの本質とは。

幸せとは、運命を受け入れるとは?
幸せとは、運命を受け入れるとは?

佐々木常夫さんのプロフィール

佐々木常夫さん

ささき・つねお マネージメント・リサーチ代表取締役。1944(昭和19)年、秋田市生まれ。東京大学経済学部卒業後、東レ入社。自閉症の長男の育児と、肝臓病・うつ病を患い入院と自殺未遂を繰り返す妻の介護に追われながらも、同期トップで取締役に就任。2003年より10年まで東レ経営研究所社長。主な著書に『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』(WAVE出版刊)。

息子が3歳になった時、自閉症と診断される

「何のために結婚したのか。がんばってもどうして、こうなってしまうんだ」。今、講演会で「逆境の乗り越え方」をテーマに語っている私にも、かつてこんな悩みを抱えた時期がありました。人生とは、自分の思い通りにならないことがいろいろと起こるものです。まずは私の家族に起きた“いろいろ”からお話ししましょう。

私は大学を卒業後、東レに入社しました。生まれつき喉が弱かったものですから、会社の保健室によくお世話になり、そこに勤務していた浩子と26歳で結婚。翌年、長男・俊介が生まれました。難産の末の3750gの大きな赤ちゃんで、すくすくと育っていく我が子を「この子には素晴らしい将来が待っているだろう」と、いとおしく見つめたものでした。

3歳の息子が自閉症だとわかって

しかし、しばらくして俊介が「ちょっと普通ではないな」と気付いたのです。赤ん坊なのに、親がいなくても泣きません。いろんなおもちゃを与えても、ミニカーにばかり執着します。おんぶしても私の肩につかまろうとしないし、言葉も遅れているようでした。

病院を回りましたが、原因は不明。3歳になってようやく「自閉症的傾向」と診断されました。自閉症とは、社会性やコミュニケーション能力などに困難が生じる先天性の脳機能障害の一種です。原因は解明されていませんが、発症率は1000人に約3人といわれています。

信じられないかもしれませんが、俊介の障害がわかったとき、私は特別ショックを受けたり、落ち込んだりはしませんでした。世の中に障害のある人はたくさんいましたから、正直なところ「あぁ、うちが当たったんだな」と思った程度でした。当時はすでに年子で次男と長女が生まれていましたし、打算的ですが「一人くらいは」という思いがあったのだと思います。

私がそういう考えに至ったのには、母の影響が大きかったように思います。私が6歳のとき、父が結核で他界。母はわずか26歳で未亡人となり、子ども4人を女手一つで育てなければなりませんでした。

そんな母がよく口にしていたのが「運命を受け入れる」という言葉でした。生きていれば、思いもよらない苦難が突然降ってくることもある。でもそれも自分に与えられた運命。それを乗り越えるよう、神様が自分に与えた試練なのだ、と。

苦難を受け入れるなんてもちろん容易なことではありませんが、私は小さい頃からそうやって教えられてきたので、俊介のことも「これも運命」と気持ちをスイッチすることができたのです。

妻が入院。“戦友”だった娘は崖から身を投げ…

しかし、妻にとってはそれは大きなショックだったはずです。私は仕事に追われ、会社が大変になると残業時間は月に200数十時間。家に帰るのは日付が変わっている時間で、土日もほぼ出勤するような生活を送っていたため、妻には想像以上の負担がかかっていたのでしょう。

私が課長になった頃、過去の手術で注射針からB型肝炎に感染していた妻が、急性肝炎で倒れたのです。私の生活は一変。仕事と家事、そして俊介の面倒をみながら、看病をこなす毎日が始まりました。

“戦友”だった娘は崖から身を投げ…

朝5時半に起きて子ども3人分の朝食とお弁当作り。子どもたちに登校の準備をさせて7時過ぎには家を出ます。効率よく仕事が回るよう、ちょっとした隙間時間も仕事をこなし、午後7時には帰宅。夕食を作って9時までに翌日の朝食とお弁当の準備をすませて、寝るまでに残った仕事を片付ける。土日は妻の見舞いと掃除・洗濯、1週間分の買い物と献立作成……。この生活は妻が退院するまで3年間続きました。

そんな生活の中で、私にとって長女・美穂子は共に家を支えてきた、私にとっていわば“戦友”でした。しかし、事件が起こります。美穂子が21歳のとき、崖から投身自殺を図ったのです。幸いにも一命を取り留めましたが、私にとって心から信頼していた美穂子の自殺未遂は、本当に衝撃でした。

私は事件の夜、美穂子にこんな手紙を書いています。

「お父さんがさまざまな戦いをしていたとき、いつも美穂子がそばにいました。これからもずっといてほしいし、お父さんが大好きなあなたの生き方をこれからも演じてほしいのです。あなたの人生は自分が決めていくものです。それは以前から決められたものでは決してありません。都合が悪ければ軌道修正しましょう。お父さんは最大限の努力を惜しみません」(一部抜粋)

美穂子は、何もなかったようにまた私の“戦友”となってくれました。それから数年後、美穂子がこの手紙を手帳の間に挟んでいるのを知り、驚きました。「私はお前を心から愛し、必要としている」というメッセージが、一つの支えになっていたのかもしれません。

私の人生は、一体どうなっているんだ!

この頃から妻の肝炎は悪化し始めました。7年間で43回も入退院を繰り返し、うつ病にも。私が転勤を繰り返す中でうつ病は悪化し、家にいるときは私が帰宅すると、毎日毎日何時間も同じ話で私を責め続けました。私は「心の病だからしかたない」とそれにただ耳を傾けるだけ。「これなら入院していてくれたほうがどれだけ楽か」とも思いました。

そんな妻は、これまでに3度も自殺未遂を繰り返したのです。私が人生に自暴自棄になったのは、この頃です。「これが運命だとしても、もう受け入れられない。私の人生は、一体どうなっているんだ!」。正直いって限界でした。

私の人生は、一体どうなっているんだ

病気とはいえ、妻がどうして死にたがるのか、私にはまったく理解できませんでした。しかし当時の心境を、妻が回復してから初めて、手紙につづってくれました。

「(前略)それなのに、あなたは平然として時に嬉々として仕事のみならず家事までこなし、私の世話もしてくれました。それは何もできない私にとってどんなにつらいことであったか、あなたは理解できるでしょうか。(中略)どうして(家族以外の)他の人たちにまで手をさしのべるか、私には理解できませんでした。そういうあなたを見ていると、私のことはあなたにとって多くのことの一つと考えているのではと思い始め、なんだかとてもみじめな気持ちになっていきました」

私は、運命を引き受けて家族を支えるのがリーダーとして当然のこと、そう思って仕事と家事を両立させてきました。しかし、実際のところはどうだったのか。病気の妻と障害のある息子を抱え、家事をしながら激務もこなす“悲劇のヒーロー”のように自分のことを思っている部分があったのではないか。妻の手紙を読んでそう自分を振り返り、反省しました。

3回目の自殺未遂の後、妻が病室で私に「ごめんね、お父さん。迷惑ばかりかけて」と、とても悲しい顔をして言いました。そのときようやく、一番苦しんでいたのは私ではなく妻だということに気付いたのです。

大切なのは、置かれた状況の中で幸せを感じる心を持つこと

そして、私は家庭のことを社内ですべて話しました。家族の命を守ることが何よりも大事なことなのだから、体面なんて関係ない、と。それ以降は周囲の協力を得ることができ、以前よりもずっと「妻のため、俊介のため」に動ける時間ができました。その安心感が妻を次第に快方に向かわせたのだと思います。

置かれた状況の中で幸せを感じる心を持つ

我が家のエピソードをお話しすると、「どうやってつらい時期を乗り越えたのですか」とよく聞かれます。私が大切にしている作品に、強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人精神科医、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』があります。彼が絶望的な収容所生活で、人間は生きる強さをもった動物であることや「人生はどんな状況の中でも必ず意味がある」ということを見出していく、その様子を描いた作品です。

大病をしたとき、大切な人を失ったとき、私たちはともすると人の幸せをうらやんだり、自分の不幸を嘆いたりしがちです。しかし、周りには、自分より過酷な状況というのは、いくらでもあるものです。それぞれが置かれた環境の中で、たくましく懸命に生きています。人生を切り開くのに大切なことは自分が今置かれた状況の中で幸せを感じる心を持つことだと思います。

私にとってのこれまでの幸せは「何もないこと」でした。妻が体調が良くて穏やかに過ごしている日、長男がトラブルを起こさずに一日を終えた日、食事を作らなくていい日。それが私の幸せだったのです。

今、妻は一人で外出できるようになり、キッチンにも立てるようになりました。長男も安定し、週に数回作業所に通って、家では大好きな本を読んで過ごしています。夕食は妻、長男、長女と一緒にテーブルを囲み、料理好きな長女はたまに「今夜はパーティーか!」というくらいのごちそうを振る舞ってくれます。

私は今日も思うのです。本当にあきらめないでよかった。そして、この“何もない毎日”が私にとってのいちばんの幸せであると。

取材・文=小林美香(ハルメク編集部)
※この記事は雑誌「いきいき(現ハルメク)」2014年2月号に掲載した記事を再編集しています。


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