文筆家・入江 杏さん|悲しみとともに生きる#3
悲しみを分かち合える社会に――被害者遺族の心の軌跡
悲しみを分かち合える社会に――被害者遺族の心の軌跡
公開日:2023年12月28日
危機の経験が、大切なものに気付くきっかけに
2022年『わたしからはじまる 悲しみを物語るということ』という本を出版する機会に恵まれました。世田谷事件から22年、今に至るまでの心の変遷を、多くの人との出会いを交えて描いたものです。
この本を読んだ方から、「まるで”ヒッチハイクガイド”のよう」という感想をもらいました。
一つの目的に向かって行き方を示すものではなく、人との出会いや経験を経て次の行き先が拓かれ、思いがけないところにたどり着いている――。そんな私の歩みに触れて、ヒッチハイクの旅が思い浮かんだのだそうです。
うれしかったですね。目的を決めず、自分の時間軸で歩んできた道のりを受け取ってくださったようで。
危機を表す「エマージェンシー」という英語があります。それと同じ語源から生まれた「エマージェンス」という言葉には、「出現する・創発する」という意味があります。
創発とは、物事の掛け合わせによって、思いもよらない特性が現れること。危機が起こると悪い影響ばかりを考えがちですが、実は自分にとって大切なものが浮かび上がることもあるのだと教えてくれる言葉です。
何かを失ったときや、関係が絶たれたとき、なぜ喪失と感じたのか? 何に悲しみを感じているのか? そんなふうに自分自身に問いかけてみると、かけがえのない大切なもの、自分がしたかった何かが見えてくるように思うのです。
日々に行き詰まったら、無心に手を動かしてみる
けれど危機のただ中にいると、「この経験にも意味がある」などとはなかなか思えないものです。
大切な人を失うといった具体的な悲しみだけでなく、漠然とした生きづらさ、例えばコロナ禍によって日常が奪われ、ぼんやりとした悲しみを日々感じている人も、今はきっと多いでしょう。
悲しみから抜け出せず、「何かを始めなくちゃ」と焦りを感じることもあるかもしれません。けれど悲しみは乗り越えるものではなく、日常の中に当たり前にあって、時を経て変化しながら胸の中に抱き続けるものだと、私は感じています。
気持ちが沈んだら、自分が好きなこと、例えば編み物や縫い物をする、文章を書く、絵を描く、料理をする……そんな日常のふるまいに立ち戻って、手を動かしてみるのもいいと思います。
日常を大切にすることが、これからの自分を支えてくれる点になります。やがて点と点がつながって線になり、いつの日か自分らしい描写に出合うことができるでしょう。
忘れられない出会い――被害者遺族・中谷加代子さん

これまでたくさんの出会いに支えられてきた中で、私が大きな影響を受けた中谷加代子さんをご紹介します。
中谷さんは2006年、高等専門学校5年生だった長女、歩さんを突然失いました。同級生の少年に殺されてしまったのです。歩さんを殺害した少年は10日後に自殺しているのが見つかり、なぜ犯行に及んだのか、その真相は永遠にわからなくなってしまいました。
その悲しみの中、中谷さんは被害者支援に尽力します。そしてそこからさらに変容を遂げ、加害者の支援にも従事するようになりました。その背景にあるのは、命を絶った加害少年への思いです。
もし彼が、命について真剣に考えていたら……。
もし彼に、悩みを打ち明けられる人がいたら……。
そんな思いを胸に、中谷さんは刑務所や少年院で罪を犯した人たちに接し、穏やかに話しかけます。一方的に話すのではない、対話のための時間。一人一人と丁寧に言葉を交わしていきます。
「環境や生い立ちがあなたを追い詰めたのかもしれません」
「苦しかったですね」
「皆、弱いんだから」
涙ぐむ受刑者もいます。被害者遺族である中谷さんが、加害者とそんなふうに対話していることを疑問に思う方もいるかもしれません。未解決事件の遺族である私も、当初はとまどいました。
しかし、遺族の悲しみはひと色ではありません。それぞれが自分らしく悲しみに向き合えるよう、社会の意識を変えていく必要があると感じています。
誰かが悲しみや苦しさを抱えていたら、それをすくい取れる社会に。他者が抱く悲しみに対しての無関心を、関心に変えていくことができたら――。中谷さんとの出会いをきっかけにそんな思いを強くした私は、地域の保護司としての道を歩みだしました。
「大丈夫?大変だったね」その率直な声かけに救われて

絵本編集者である末盛千枝子さんとの出会いも忘れられません。
私が事件のことを公に語り始めて間もない頃、末盛さんが主催するイベントに伺ったことがありました。私に気付いた末盛さんが「大丈夫? 大変だったでしょう」と、当たり前のように声をかけてくださったことが本当にうれしく、その率直さに救われました。
よく「つらいことがあった人はそっとしておいた方がいい」といいます。確かに、その方がいい場合もあるでしょう。苦しんでいる人たちへの接し方にマニュアルはありません。
けれど「悲しいことは話題にしない方がいい」という一方的な決めつけは、悲しみが共有・分有(ぶんゆう)されにくい社会をつくり出す原因になっているのではないでしょうか。
共有・分有とは、共に分け持つこと。「当事者ではない自分が、その悲しみに寄り添っていいのか」と躊躇する人もいるでしょう。けれど大切なのは、同じ経験をしている者同士かどうかではありません。
それぞれに抱く悲しみを語ったその先に、違いを超えて共感できる「悲しみの共通の水脈」があると、私は感じています。それは誰の心の中にも流れていて、その水脈を通じて、人と人はつながれるし、悲しみを共有・分有することができるのです。
まずは他者に関心を持ち、その人への気持ちを素直に感じて、率直にふるまう――。そんな小さな意識が、悲しみについて語りやすい、誰もが生きやすい社会をつくり出すと思っています。

入江杏(いりえ・あん)
1957年(昭和32年)、東京都生まれ。ケアミーツアート研究所代表、「ミシュカの森」主宰。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師。世田谷事件の遺族の一人。著書に『悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ』(岩波ジュニア新書)他、編著に『悲しみとともにどう生きるか』(集英社新書)。2022年6月に『わたしからはじまる 悲しみを物語るということ』(小学館刊)を上梓した。
取材・文=田島良子(ハルメク編集部)
※この記事は、雑誌「ハルメク」2023年3月号に掲載された内容を再編集しています。




