文筆家・入江 杏さん|悲しみとともに生きる#1

悲しみは乗り越えなくていい――被害者遺族の心の軌跡

公開日:2023.12.28

年齢を重ねると、悲しい経験をすることも増えていくもの。世田谷事件の遺族で、悲しみを抱える人を支える「グリーフケア」と関わり続ける入江杏さんは「悲しみは誰の心の中にもある、自然な感情」「悲しみを抱いていても、前を向くことはできる」と話します。

悲しみにフタをしない。胸に抱いたまま前を向く

悲しみにフタをしない。胸に抱いたまま前を向く

私は、悲しみを抱えた人を支える「グリーフケア」の活動をしています。グリーフとは、喪失に伴う悲嘆のこと。喪失と聞くと、家族や大切な人との死別を思い浮かべるかもしれませんね。けれど悲嘆をもたらす喪失の経験は、それだけではありません。

例えば大切な仕事、居場所、人間関係、目標や計画、自分自身の体、ペット、所有物などなど……。私たちは日頃、ありとあらゆること・ものに愛着を持って暮らしています。ですからそれらを失うことはすべて、悲嘆の原因になりうるのです。

私がみなさんにお伝えしたいのは、悲しみは日常の中に、そして誰の心の中にも、当たり前にあるということです。

考えてみれば、人は生まれた瞬間から死に向かっているのですから、生きることと悲しみは切っても切り離せないのです。それなのに、「悲しみを抱き続けるのはよくないこと」とする世間の風潮があります。

悲しみは「乗り越えるもの」で、いつまでも悲しみに浸っている人は情けない、というふうに。

そんな風潮からか、心の中にある悲しみにフタをしている人も多いと感じます。

私も含め、60代以上の女性には、特に多いのではないでしょうか。子ども、夫、両親と、家族のケアを一手に担ってきた世代ですよね。家庭でなにか悲しいことがあっても、のみ込んで、じっと耐えることが美徳と考える方もいらっしゃるでしょう。

私の母も、そういう人でした。責任感が強く、幼い頃から家族のためによく働いていたそうです。今の私に至るまでには、そんな母と、精神的に訣別する必要がありました。

世田谷事件……世間の偏見や差別の目にさらされて

私は、2000年の年末に世田谷区で起こった事件の遺族です。

犠牲になったのは、私の妹の宮澤泰子、夫のみきおさん、長女のにいなちゃん8歳、2つ違いの礼くんの4人。何者かによって、自宅で命を奪われました。事件から23年がたちますが、いまだ犯人は捕まっていません。

私と夫、息子、そして母は、妹一家と壁一枚を隔てた隣の家で暮らしていました。大晦日の朝、妹一家を呼びに行った母は、事件の第一発見者になってしまったのです。

娘や孫の亡骸(なきがら)を抱いた母は、「本当の悲しみは言葉にできない」と言いました。そして、「事件のことは誰にも語ってはいけない。世間に知られれば偏見や差別の目にさらされる」と、私に沈黙を強いました。

実際、仲がよかった人の中からも、

「恨まれるようなことをしたのでは?」

「もう関わり合いになりたくない」

「あの家を見るのも怖い」

といった声が聞かれました。私は心が血を流しているのを感じ、母の言いつけ通りに、6年もの間、口を閉ざしました。

私らしく生きるために「私自身」を取り戻したい

捜査に協力する中で、警察から「恨みを買うようなことが何一つない家族」と言われました。そうだとしても、「凄惨な事件にあった被害者とその遺族」という、世間が持ってしまった負のイメージから自由になれるわけではありません。

悪いことは何一つしていないのに、誰からも後ろ指をさされないよう、細心の注意を払って暮らさなくてはいけないのです。それまで私自身が持っていた人格が消えて、「被害者遺族」という一つの枠組みだけに当てはめられてしまうような感覚でした。

妹のやっちゃんは、生きることを愛していました。発達の遅れを指摘されていた礼くんの子育てに悩みながらも、「礼は私を成長させてくれている」と、懸命に前を向いていました。そんな家族のいきいきとした姿は、あの事件によって一瞬にして消え、「被害者一家」というストーリーに回収されてしまいました。

「地域に支えられながら、ごく普通の暮らしを営んでいた妹一家の実像を伝えたい。そして自分自身も取り戻したい」

犯人が捕まらないまま年月が過ぎる中で、私の心に、そんな思いがふつふつと湧き上がりました。私は沈黙を強いた母と精神的に訣別し、「自由に悲しみ、悲しみを自分らしく語る」ことに、導かれていったのです。

きっかけは、妹一家が逝ってしまってから6年後、『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』という絵本を出版したこと。悲しみの中で、妹一家の実像を伝えたいという一心で描き始めた水彩画の絵本が、出版社の目に留まったのです。

にいなちゃんと礼くんがかわいがっていたくまのぬいぐるみ、ミシュカに、私自身を投影した物語です。

ミシュカ
くまのぬいぐるみ、ミシュカ(写真提供=入江杏さん)

悲しみは、誰の日常の中にも当たり前にある

この絵本を読んでくれた人の中には、大きな悲しみを抱えている人もたくさんいました。私は読み語りの会などでの出会いを通じて、世の中にさまざまな悲しみがあふれていることに、あらためて気が付いたのです。

絵本を出版したその年、事件の起こった12月に、悲しみに思いをはせる「ミシュカの森」という集いを始めました。それから毎年開催するようになりました。

この集いは、犯罪被害者や遺族のみでなく、あらゆる人が訪れることのできる場に、と考えてつくりました。なぜなら、悲しみは誰の日常の中にもあるものだから。

毎回さまざまな分野からゲストを招いて「悲しみ」について語っていただきますが、私は当事者として、悲しみを抱えている人の気持ち、それを口にできない理由、聴くことの大切さなどをお話しし、みなさんと共有しています。

「未解決事件の遺族なのに、犯人への憎しみが一番に来ないのはおかしい」と言われることもあります。もちろん犯人逮捕を望まない日はありません。けれど私は被害者遺族だから、語り続けているわけではないのです。

生きていればさまざまな悲しみを抱えることは当然なのに、それがないもののようにされている社会。そして悲しみを抱く人に対するケアがあまりにも不足している現実への怒りや悲しみも、社会を変えたいという気持ちにつながりました。負の感情も、前向きなエネルギーにすることができるのです。

悲しみを自分らしく語れる、耳を傾けられる社会に

私はみなさんに、「悲しみは乗り越えなくていい」と伝えています。「悲しみを抱いたまま、前を向いていいんだよ」と。

悲しみからは立ち直るべき、というストーリーは、強さばかりを求め、人間らしい弱さを認めない、無責任な押しつけに過ぎません。悲しみに暮れているときは、悲しみの対象と深く結びついている時間でもあります。そして悲しみを通じてこそ得られる、経験の次元があるのです。

心をひらいて悲しみを語れる、耳を傾けられる社会になれば、もっとみんなが生きやすくなる。そう信じて、私にできることを続けていきます。

次回は、私を変えた、にいなちゃんが描いた一枚の絵について、お話ししたいと思います。

入江杏(いりえ・あん)
1957年(昭和32年)、東京都生まれ。ケアミーツアート研究所代表、「ミシュカの森」主宰。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師。世田谷事件の遺族の一人。著書に『悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ』(岩波ジュニア新書)他、編著に『悲しみとともにどう生きるか』(集英社新書)。2022年6月に『わたしからはじまる 悲しみを物語るということ』(小学館刊)を上梓した。

取材・文=田島良子(ハルメク編集部)

※この記事は、雑誌「ハルメク」2023年1月号に掲載された内容を再編集しています。

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