「60の手習い」始めました(18)

舞台とは自分を開放するところ?

公開日:2022.11.19

いよいよ発表会当日がやって来ました。勢いで出演すると言ったものの、若い頃の舞台は遠い昔の思い出。過去をなぞりながら……と思いきや、今回は全く新しい世界の幕開けでした。

着付けとは、気分を付けると理解したり

着付けとは、気分を付けると理解したり

60の手習いで日舞を始めた私。ひょんな事から9か月にして舞台に立つハメに……。そして、いよいよ発表会の当日。

会場は25年ほど前、ダンスで何度か舞台に立った場所で、楽屋も慣れたものでした。日舞は全くの初めてですが、舞台とは同じようなものだろうと高を括っていたのですが。

先生にあいさつをして、順番に着付けの楽屋に向かいます。本衣装の先輩方は顔を白塗り中でした。次第に高まる緊張感。なんとか舞台に向かう気持ちを整えようと落ち着けと自分に言い聞かせながら、着付け師の方に着付けをお願いしました。

若い女性と年配の男性の二人がかりで、あっという間の着付けです。女性は無口で淡々と作業し、男性は関西弁でずっとおしゃべり。その語り口で、気分はどんどんほぐれていきました。まるで魔法にかけられたみたいに、舞台人が一丁上がり……。

まさに、舞台に向かう気分、心構えを気付けてくださった感じです。初めての経験でした。

舞台の神様

舞台の神様

着付けが終わり、自分の楽屋に戻っていると、「お祓いするよー。くわいさんもおいで」

全く右も左もわからぬ私に、先生が気を遣い声をかけてくださり、10人ほどで緞帳の下りた舞台へ。

ずらりと並んで正座します。簡単なお祓いをした後に、全員に清酒を一滴注いだかわらけが配られました。それを一気にあおります。

開幕前のお祓いは初めての事でした。たった一滴の清酒が喉を潤した瞬間、何かがすとんと腑に落ちたのです。初めての感覚でした。

これから舞台に立つという矜持? いえ、もっと清々しく軽やかな何か……、そう舞台の神様がふっと入ってきたような……。

「解放」じゃなくて「開放」なんです

「解放」じゃなくて「開放」なんです

練習で100%なら、舞台上では80%の力しか出せません。緊張してあがったら、パフォーマンスは下がってしまう、というのは経験上よくわかっていました。

とにかく、あがらない事! あがらない限りは、お稽古してきた事ができるはず!

ベルがなり、拍子木が鳴らされ、緞帳が上がります。最初の音出しから心臓の音が高鳴るかと思えば、意外に静か?? これならイケるかも??

途中からまさに無心でした。

それは解放じゃなくて開放。

自分が自由になるという感覚ではなく、自分自身が開かれて舞台やライトと融合していく感じです。

舞台に立ってこういう感覚は初めてで、まるで夢の世界にいるようでした。それは若い頃舞台に立ったのとは、全く別の感覚でした。

私が叩き開いたのは懐かしい思い出の扉ではなく、全く新しい世界の扉だったのです。これだけでも、60の手習い、大成功でした。

■もっと知りたい■

くわい

60歳になり、子育て・介護も終え、人生最後のステージへ。今まで想像できなかった60代!意外に楽しめる年代なんだと実感。今までやれなかったこと、いろいろと計画中。昔から考えいてた「60の手習い」は、ちょっとハードルが高い日舞を無謀と言われつつ選択。人生初は人生の終わりまでつきあっていけるでしょうか。

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