別れから出会いへ、60歳目前に開けた新しい道
2022.04.142022年03月16日
「60の手習い」始めました(3)
60歳の姿が想像つかないまま、介護生活の50代
セカンドライフとして、50歳からの着物生活を実現できないまま2年。介護はいつまで続くのか……。60歳の自分の姿を思い浮かべる事もできないまま、日々が過ぎていきました。着物生活は挫折してしまうのでしょうか。
介護する者、される者の覚悟
父は、施設に入って半年足らずで亡くなりました。
梅を漬けようと、黄熟させて一日目ぐらいだったと思います。葬儀が終わってから帰宅すると、ざるの中で梅は少ししぼんでいました。それは私の後悔の象徴のように、今も深く心に刻まれています。自身の誕生日を目前に、私は泣きながらその梅を漬けました。
母が元気なら、私たちに覚悟があったなら、家で静かに老死を迎えることができたかもしれません。しかし今にして思えば、父にも覚悟が必要だったのだと思います。
介護する者、される者。両者に死に対する覚悟がなければ、穏やかな老死は難しいものなのかな……と。
けれど、当時は、そんなことを考えている余裕はありません。なぜなら、今度は母の介護が始まったのです。
つかの間の着物ライフ
母の介護が始まりました。その時はまだ、病院や買い物に連れて行ったりの通い介護でした。母自身が着物好きで、私が着物を着ると喜ぶので、なるべく着物を着るようになりました。
普段着でしかなかった着物は、ちょっぴりお出かけする着物に……。もっとも帯はまだ半幅帯で、着付けに時間がかかるし、下手っぴですが、なんとなく新しい自分がそこにいるようでした。
その頃、漠然と60歳になったら、「60の手習い」というのをやってみようと思うようになりました。
介護しながらでできるかどうかはわかりませんが、それでも、このまま終わってしまうよりは、人生のラストステージに今までやった事のない何かに挑戦してみたいな……と思ったのです。
やっぱり着物生活はムリ~?
父が亡くなってから、少し元気になった母です。私も54歳にしていよいよ着物……のはずが、今度は息子が大学を卒業して戻ってきました。
だいたいにおいて世の父は、「いやー、おめでとう。よかったねえ」とおっしゃるが、世の母は「そりゃ、大変だね、お疲れ様(クスっ)」となります。お弁当に、朝食、夜ごはん。ばたばたとした日常に、再び着物は縁遠くなっていきました。
着物を毎日着てらっしゃる方々は、どんな生活をされているのだろうかと不思議でした。私はといえば、なにせ着物の所作というものがまったくできてなかったのですから、着にくいのも道理だったわけです。
着物を着こなしたいという思いと、やっぱり無理なかのかなあという思いの交差する50代半ばでした。
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