何度も帰りの車の中で、声を上げ泣いた

介護はとても大変で大きな不安に身動きできないことも

公開日:2018.10.11

心強い存在だった母が80代で認知症発症。また、難聴とリウマチを患う父。両親の介護を通じ、苦労したことや学んだこと、嬉しかったことなどを綴ります。今回は99歳になった父にも、いろいろなことが。病院へ不信感を抱く出来事が起こります。

99歳になった父にも、いろいろなことが

若いころから体の弱かった父ですが、自分の病気を治すことには積極的だったように感じていました。ところが、90歳を過ぎたころから入院を嫌がるようになり、体の不調を自分から訴えることはしなくなりました。

リウマチが悪化して入院したときも、ずっと受診することを拒み続け、入院したころには深刻な状態になっていました。回復して退院できたことが不思議なくらいです。

そしてある晩父は、胸の痛みと39度を超える高熱で、夜間の救急外来を受診しました。レントゲンや血液検査など、一通りの検査をした結果は異状なし、そんなはずはないと訴えましたが、このまま帰るように言われ、渋々帰宅しました。

このとき担当した若い医師が女性スタッフと楽しそうに談笑する姿に、私は不信感を覚えました。

翌日もう一度この病院の外来を受診すると、昨日とは別の医師が、昨晩なぜ入院しなかったのかと私に尋ねました。意味が分からず、緊急外来での出来事を話すと、レントゲンは誰が見ても間違いなく肺炎なのにと言って首をかしげ、即入院となりました。

病院選びの重要性を実感……。

数日後、担当の医師から、かなり悪化しているので、あと一週間もつかわからないということと、心の準備をしておくようにということを言われました。これまでの経過を説明しても、そんなことは大きな大学病院でも普通に起こりうることだと言われ、私たち家族は激しい憤りを感じました。

当然納得できるはずもなく、私たちは病院の相談窓口に不満を訴えました。そのことは担当の医師の耳にも届いたようで、私は医師からつらく当たられるようになりました。

父は奇跡的に回復し退院することができましたが、退院するまでの間、私はこの医師の冷たい態度、心無い言葉に傷つきました。父もすっかり体力が衰え、この出来事をきっかけに体調を崩すことが、さらに多くなりました。

前回の入院で、父はますます病院に行くことを敬遠するようになりました。ところがある日、ちょっとしたけがから、皮膚を移植するほどの大けがになり、入院することを余儀なくされました。渋々入院した父でしたが、改装されたばかりのきれいな病室で、医師や看護師から親切な対応をしていただき居心地がよかったようでした。

入院する前は手押し車を押しながらやっと歩いていた父でしたが、2か月間の入院で杖だけで歩けるまでに回復し、不思議なことにリウマチもよくなって、ステロイド剤の服用さえ不要になりました。

励ましの言葉にはいつも感謝!

介護は先が見えずとても苦しい日々です。私も両親が長生きしてくれることはとてもうれしいことですが、私自身が更年期まっただ中ということもあって、うつ状態と隣り合わせの危険な状態にあるような気がします。特に前回の入院のときのような、医師からの冷たい仕打ちには逃げ場もなく、とてつもない孤独感に襲われます。病院から帰る車の中で声を上げて泣いたことも一度や二度ではありません。

そんな孤独なわたしを救ってくれるのは、意外な人の何気ない言葉だったりします。父の薬を薬局に取りに行ったとき、薬剤師さんからの、大変ですね、あなたは大丈夫ですかという言葉、実家の近所の人から、いつもご苦労様、よく頑張るね、などといった何気ない一言に、もう少し頑張れるかもしれないという気持ちになり、なんとかやってこられているような気がします。

次回は、老人保健施設に母を入所させることになった苦渋の選択、こんな私の究極の気分転換などについてお話ししたいと思います。

栗原理代

主婦です。両親の介護を通じていろいろなことを学びました。いずれは自分も通る道だと思うと、考えさせられることも多いです。趣味はサスペンスドラマを見ることと、スポーツクラブに行くことです。ほかに10年日記もつけていて、もうすぐ3冊目になります。どうぞよろしくお願いします。

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