なぜ?乗り物が好きになったのかを考える

「乗り鉄」の理由

公開日:2024.11.27

「乗り鉄」についてのコメント

ハルトモ倶楽部の私の原稿の中に何度も「乗り鉄」という語彙が出てきますが、ある方がコメント欄に「乗り鉄になったきっかけは何ですか?」と書き込んでくれました。

はて、私は何で鉄道が好きなのだろうと考えてみました。

夜汽車を見送ったことがありますか?

窓の明かりが一筋の光の帯になり闇を切り裂いて、振動と共に走り抜けていきます。

あの列車にはだれがどのような目的で、どこまで乗っていくのだろう。

急いでいく人もいるのだろうか、のんびり揺られている人もいるのだろう、大きな荷物を運んでいる人もいるのだろう、家族のお土産かな、収穫したお米かな、野菜かな、運んだ先の人の喜ぶ顔を思い浮かべて荷棚の上に置いたのかな、はたまた恋人と別れて遠い街に行くために心を抱えながら乗っているのだろうか……。

私の空想癖は無限大に広がります。

鉄道好きになった根っこはどこだ?

あれこれ思い起こすと……。

幼いときに蒸気機関車が廃止になるという時期に、父親が千葉県・安孫子(あびこ)まで蒸気機関車に乗車させてくれました。あの煙の臭いとワクワク感と、安孫子の街を歩いて名産の落花生をお土産に買ってもらったことを、今でもはっきり覚えています。

小学5年生になった夏、父から「千葉県・安房小湊(あわこみなと)の民宿まで行き、5日間宿泊して来い」と言われお金を渡されました。

安房小湊がどこにあるのかまるで未知の世界で不安でいっぱいになりながら、どうやらあちこちの駅員さんに聞きながらその日の午後遅く目的の安房小湊にたどり着き、地図を頼りに農家の民宿に到着しました。

父からの電話連絡を受けていたそうで、「よく一人でここまで来たねぇ~」とねぎらわれ手厚いもてなしを受けました。毎日海水浴をして帰るころには全身真っ黒に日焼けしていました。

また、当時住んでいた場所は都内の早稲田でした。早稲田は都電の車庫があり、毎日都電が走るのを見ていました。小学1年生の頃には、大塚、神保町、神田、江戸川橋、巣鴨辺りまで一人で行くことができました。確か、子供料金5円か10円でした。

父の勤務場所は神保町にあり都電に乗って出かけ夕方到着し、給料日には待ち合わせて古本街で本を買ってもらえるのが楽しみでした。

そして、ミルクホールという場所でホットミルクを注文してくれると白いエプロン姿の女性がカップに入ったミルクを捧げ持って運んでくれるのが、なぜか大人になった気分になりうれしかったのを覚えています。

鉄道好きになった根っこはどこだ?

一人旅の根っこ

こうして思い出してみると、父から受けた影響が大きいことだったのだと改めて思います。

どこまでも一人で出かける、なんでも自己責任でやってみる、分からないことはお巡りさんや駅員さんに自分の言葉で質問してみる、などのひとり行動ができるように幼いころから仕込んでくれた賜物なのだと思うのです。親の影響力ってすごいですね。

一人旅の根っこ
エストニア・タリンから路面電車でバルト海を見に行った

世界の鉄道

日本国内にとどまらず、自由時間のあるツアーや個人旅行では必ず海外の鉄道に乗ってみます。

イギリスからドーバー海峡の下を通り抜け、ユーロスターでパリまで行きました。シベリア鉄道をロシア・ハバロフスクから少しだけ乗り、今年の夏はモンゴル・ウランバートルから少しだけ乗ることができました。

世界の鉄道

世界の鉄道
シベリア鉄道の車窓から

韓国の新幹線にも、台湾の列車にも、マレーシアでも、イギリス国内でもライやカンタベリー、ブライトンまで。ウィーンでもバーデン温泉まで乗ったり、いろいろ楽しんでいます。

世界の鉄道
台湾での乗車

さてさて、この先どれくらい旅ができるか分かりませんが、判断力と足が動く限りまだ未知の国々の列車に乗ってみたいと思っています。

■もっと知りたい■

富士山の見える町で暮らす元気なアラウンド70歳。半日仕事をし、午後はジムで軽く運動。好きなことは絵画を見ることと針仕事。旅先の町で買い求めた布でポーチやバッグを作っています。雨の土曜日は映画を観て、晴れた土曜日には尾根道を3時間ほど歩く。楽しいことが大好きです

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