枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262024年04月11日
老いの成長―共に楽しむ⇒独りででも愉しむにシフト―
春は終わりと始まりの季節
春風に乗ってやって来たのは突然の「終わり」。年を重ねる毎にできる事の容量も減っていくのは当然のこと。ならば、何かを終わらせないと次を始められない。突然の「終わり」も次を始めるチャンスと受け止めて歩を進めたい。
桜前線と共にやって来た突然の「終わり」
2024年4月3日、Aさんから届いた1通のメール「Speakingへの参加を終了させて頂きたいです」。
終の棲家に越してきた2021年秋から2年半続けてきた3人での「オンラインSpeaking」が、この1通のメールで終わりの時を迎えることになりました。
Aさんとは2011年「生涯学習センター」での英会話クラブで出会いました。それから13年。互いの家を行き来して一緒にランチをしたり、三重県のログハウスへ来てもらったりと、たくさんの楽しい時と学びを共有してきました。
けれども、13年も経つと家庭状況も身体的条件も変わってきます。その最たるものが私の脳出血発症。車を運転してどこへでも出掛けて対面で楽しんできたけれど、できなくなってしまいました。
Aさんはと言えば、お嬢さんが近くに越して来られてお孫さんとのお付き合いの時間が増えました。そんな中でも私のことを慮り「オンラインSpeaking」を続けてくれていたのでした。
私はすぐにメールをしました。「Aさん、貴重な時間を美しいこと楽しいことに費やし、幸せ感を持って過ごしていきたいですね。Bさん、二人だけで続けるのは難しいと思います。突然の終わりとなりますが、小集会場でのSpeakingから4年間ありがとうございました」と。
小集会場でのSpeakingは、英語が全く出なくなっていた私でも参加しやすいようにと数名のメンバーで始めてくれたものでした。そこに加わってくれたBさん。海外生活経験もある彼女が話すFluent Englishは、英語を思い出す上で大きな刺激となりました。
Bさんからはこんなメールが届きました。「突然の終了、とても残念です」「これでプッツリ縁が切れたのではなく、これからも気軽にお話しできる関係でいたいです。Millions of thanks!!!☆」
今始まりの時―独りででも愉しめる読書―
Aさんからのメールが届いた頃、私は、講談社現代新書『老いと創造 朦朧人生相談』を読んでいました。
―横尾流「老い」てなお、愉しく生きる方法を教えてください―という問に答えて「老いを恐怖の対象のように考える風潮がありますが、僕はそうではないと思っています」「それは老化現象だと思って受け入れるべきです」「若い頃の気力体力を思い起こして、取り戻そうとすればするほど、その落差に悩んだり苦しんだりすることになります」と書いています。
私は66歳で脳出血に倒れ、身体的な自由は基より思考力や言葉も一旦失いました。言い換えれば健康な人より一足先に「老い」を経験した格好です。その時、(できないことをがむしゃらに取り戻そうとするのではなくできることを伸ばしていこう)と言う考えに至り、嘆いたり悩んだりせずに済んだのでした。
続けて、「社会的な名誉や地位に無関心になり、妙な欲望や自我意識が少なくなっていることに気付きます」とあります。さらに「すると他者とか社会とのストレスがなくなります。徐々に欲求不満の対象も消えていきます」と。
私は、「老い」と「障害」を受け入れることによって自我意識から解き放たれ、かつてない程自由にあるがままの自分を生きられるようになってきたと実感しています。
そして、気付きました。「老い」て、たのしむは、「楽」ではなく「愉」が相応しいということに。
今期は、このような気付きをもたらしてくれる読書と「ハルメク365」のコンテンツを中心に、記事を書いていこうと思います。
■もっと知りたい■