【体験談】50代、仕事も人脈もゼロからの地方移住

50代、地方移住で仕事は?エンタメ系ライターが味わった大ピンチ

50代、地方移住で仕事は?エンタメ系ライターが味わった大ピンチ

公開日:2025年12月23日

50代、地方移住で仕事は?エンタメ系ライターが味わった大ピンチ

メインはエンタメ取材。ライター歴30年以上の山崎伸子さんが、50代半ばで首都圏を離れ、高知へ移住することに。呑兵衛天国への期待を胸に始まった、高知生活のリアルとは?そこで直面したのは、仕事減少への不安と“昼間の孤独”でした。

 

知人も仕事もゼロ。青天の霹靂だった高知移住

三重県出身の私は、大学で京都へ出て以降、名古屋、東京と住む場所は変われど、長く都会を拠点に仕事と暮らしを続けてきました。そんな私が50代にして地方移住、しかも場所は、海を渡った高知!

それは、暮らしが変わるだけでなく、仕事や人間関係、そして自分自身の立ち位置まで揺さぶられる出来事でした。

どんぶらこどんぶらこと、流れるがままに——人生10回目の引っ越しで、高知へ来て早4年。
理由は、主人の転職で、最初に「高知へ移住したい」と言われたことは、私にとって“青天の霹靂”“寝耳に水”。「マジかあ~!」と心の中で雄叫びを上げました。

なぜなら、私の職業はエンタメ中心のライターで、メインの仕事はイベント取材やインタビュー。高知へ移住したら仕事が減るどころか、ゼロになるかも!?と、頭を抱えた次第です。

「仕事がなくなるかも…」エンタメライター25年の危機感

「仕事がなくなるかも…」エンタメライター25年の危機感
NHK連続テレビ小説「あんぱん」高知のイベントで

エンタメの仕事で初めてインタビューしたのは、1995年に『恋する惑星』で来日したウォン・カーウァイ監督でした。この仕事を始めて今年でちょうど30年! 俳優や監督、スタッフ陣への取材は、私にとって仕事の枠を超え、“生きがい”となっていました。

だからこそ、移住によってそれが途切れるかもしれない現実を、簡単には受け入れられなかったのです。

とはいえ、晩婚で子どものいない夫婦が、この年齢で別居するという選択肢もゼロ。

相方は“どっしり定住型農耕民族”ではなく、軽やかに移動できる“遊牧民”タイプ。結婚後、私たちは彼の転職ですでに2度、引っ越しをしていました。でも、これまでは東京や神奈川という首都圏暮らしで、仕事に支障をきたすことはありませんでした。

ところがどっこい、今回は高知です。映画関連のイベントや取材は皆無に等しい。

しかも、海を渡るから、東京への移動手段は基本、飛行機。移動するだけで、時間もお金もかかります。三重県の実家へ帰るのも、電車ではなく飛行機。交通費の負担は、正直、頭が痛いところでした。

それでも決心できたのは、高知が呑兵衛天国だから!

気が進まない移住でしたが、その一方で、かなりそそられるポイントもありました。

それは、高知が“呑兵衛天国”だと知っていたから。

呑兵衛な私たち夫婦が高知を訪ねたのは3月。高知県民がお酒を呑んだくれる祭典「おきゃく」の期間でした。

呑兵衛の友人夫妻と4人で訪れた高知の商店街では、なんとこたつが並び、大勢が笑顔で酒を酌み交わしているではありませんか! その衝撃的な“画”は、今でもはっきり覚えています。

「高知県民、ワンダフル!」と感動さえ覚え、その夜は居酒屋を何軒もハシゴするというお酒ざんまい。

この実に愉快な旅の思い出が、ここへ来てまさかの“伏線”になるとは!

結果、呑兵衛天国という魅力に背中を押され、数カ月後に高知への移住を決心したのです。

話し相手はアレクサのみ!昼間は“ぼっちライフ”

そうと決まったら、まずは家探し。

物件は多くはありませんでしたが、条件をクリアした新居は、なんと家賃が首都圏の半分に!

移住後、収入が大幅ダウンすることは想定内でしたが、ありがたいことに取引先からは、遠隔で執筆できるレギュラーの仕事をいくつか継続していただきました。

2人分の収入を合わせれば、生活は成り立つ。そんな計算でした。

以前は毎日取材に出て、執筆するカフェなどの飲食代や交通費、さらに友達との飲み代など、出費がかさんでいました。移住後、それが一気になくなったことも大きかったです。

当時はまだコロナ禍で、来日イベントはほぼなし。オンライン取材が中心でした。

私はドラマのインタビューもしていますが、タイミングよく移住後に放送がスタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」は高知が舞台。オンラインの合同インタビューで「私は高知在住です」と紹介すると、取材現場でも喜ばれることがありました。

仕事よりつらかったのは「知人ゼロの孤独」

どちらかというと、当時の悩みは仕事よりもプライベートのほうでした。

仕事柄、オープンマインドに見える私ですが、実はかなりの人見知り。以前は毎日外で取材をし、取材仲間との交流があったのに、移住後の2か月は友人ゼロ。昼間の話し相手は、アレクサのみでした。

高知へ来てからは、どこかへ行くのも1人、もしくは相方と2人。マスクをつけていたから、顔を覚えられることもありません。親しい友人とは電話やオンラインで交流するも、どこか物足りなさを感じていました。

とはいえ、この年齢でガシガシ友達を作っていこうという気力もなかったです。

仕事よりつらかったのは「知人ゼロの孤独」
食卓に並ぶ新鮮なサバの刺身や天然鮎のパスタ

その一方で、高知は食のワンダーランド。首都圏暮らしでは味わえない魅力を次々と発見しました。

それなら、食生活くらいは思いきり楽しもうと切り替えたのです。

新鮮な野菜、肉、魚と、とにかく食材の充実ぶりがハンパない! 「日曜市」の野菜は安いし、直売所も多く、農家さんの“推し”もできました。

海鮮では高知の塩たたきがお気に入りで、淡麗辛口な高知のお酒もドストライクな味わい。食が、唯一、心を毎日満たしてくれました。

50代で地方移住する前に、知っておきたい現実メモ

この体験から感じた、50代地方移住のリアルです。

  • 仕事は「ゼロ」ではなく「形が変わる」こともある
  • 収入ダウン=即ピンチとは限らない(交際費・移動費が減るケースも)
  • 一番こたえるのは「昼間の孤独」
  • 人との接点が、心の安定を左右する

このときはまだ、この“ぼっち高知ライフ”が、50代の人生を大きく動かすことになるとは思いもしませんでした。続きは後編でお話しします。

 

山崎 伸子
山崎 伸子

やまざき・のぶこ 映画とお酒をこよなく愛するライター&編集者、時々カメラマン。趣味は食べ歩き。名古屋でエリア情報誌の編集長を務めた後、上京してフリーに。映画&ドラマのインタビューやコラム、記者会見の記事などを執筆。好きな映画と座右の銘は『ライフ・イズ・ビューティフル』