身をもって生きざま、死にざまを見せた樹木希林さん

樹木希林さんが心友・浅田美代子さんに残した教えとは

樹木希林さんが心友・浅田美代子さんに残した教えとは

更新日:2025年09月15日

公開日:2022年09月10日

樹木希林さんが心友・浅田美代子に残した教えとは
浅田さん、希林さんの二人でバリ島へ旅行したときのお気に入りの一枚。「格安キャンペーンの航空券を希林さんが手配してくれて7万円くらいで行けました」(浅田さん)

樹木希林さんが亡くなったのは、2018年9月15日。今もなおその生き方は、私たちに勇気を与えてくれています。45年間親交を深め、亡くなるまでの1か月、傍らに寄り添った女優・浅田美代子さんが、二人の思い出の日々を振り返るインタビューです。

自分の命を生き切り、物の命を使い切る

自分の命を生き切り、物の命を使い切る

※インタビューは2021年10月に行いました。

浅田美代子さんと樹木希林さんの深い交流は、浅田さんのデビュー作であるドラマ「時間ですよ」(TBS系、1973年)での共演以来、希林さんが亡くなるまで続きました。

「希林さんはよく我が家にやってきて、私が作る“ありもの料理”を『おいしい』と食べてくれました。それから『洗い物係は私だから』と言って洗い物を全部してくれるんです。時にはワインを飲んでソファで眠り込んでしまったり。そういう希林さんを見るのは、うれしかったですね」

「お互い嘘がなく、気を使わず、相手の毒も知っていて、一緒にいて楽だから仲良くいられたのだと思います」

希林さんは “こうしなさい、ああしなさい”と口出しする人ではありませんでしたが、「美代ちゃんが死んだらまわりの人が迷惑だから、物を減らしておきなさい」ということだけは最後まで言い続けていたそうです。

「“余計な物を持たない、買わない”を希林さんは貫いていました。靴は3足だけ、服も数着しか持たず、ほとんどおさがりでした。『今日の服は也哉子(ややこ・娘の内田也哉子さん)のおさがりで、首元が寒いから、長い裾を切って襟にしたの』とか『男性用のズボンを切って、脚の部分を袖にしてみたの』とか、いつも奇妙な格好をしていましたね(笑)」

「けれど、それが希林流になっていて、何だかかっこよくて。きものを作り変えてドレスにしたり、着倒したセーターはほどいてパッチワークのベッドカバーにしたり。物を持たないことはもちろん、物の命を使い切ることを希林さんは大事にしていました」

「私もそれを見習って、着古したTシャツなんかは全部切ってまとめておき、台を拭いたり、鏡を磨いたり、犬のお世話に使ったりしているんですよ」

60代後半を迎え、希林さんほど思い切りよくはいかないものの、物との付き合い方を見直すようになったと浅田さん。「ハルメク 古着でワクチン」(不要になった衣類等をまとめて送ることで開発途上国の子どもたちの支援につながるしくみ)も活用しているそう。

「物を減らしたいけれど、私は“捨てる”という行為が嫌なんです。古着でワクチンは、服でもバッグでも靴でも大きな袋にボンボン入れて送るだけでしょう。捨てるのではなく、何かのお役に立てるというのが気分的に楽で、ずいぶん断捨離させていただきました」と浅田さん。

老い方も死に方も、希林さんは自分で選んだ

老い方も死に方も、希林さんは自分で選んだ

希林さんは、物の命ばかりでなく、自分の命も使い切る覚悟と自覚のある人だった、と浅田さんは振り返ります。

「2004年に乳がんが見つかったときも、希林さんは淡々としていました。自ら選んだピンポイントで放射線をあてる治療法が合っていたのか、がん転移後もその都度治療して、『私、死ぬ死ぬ詐欺って思われてないかしら』と笑ってましたね。その間も精力的に映画に出て、普段通りに暮らしていました」

常々「がんは死ぬまでの準備期間があるところがいいよね」と話していた希林さんが優先したのは、仕事と普通の暮らし。しかし、18年夏に大腿骨を骨折すると、最後の1か月はほとんど入院生活となりました。

「私はほぼ毎日お見舞いに行きました。希林さんは気丈で、痛い、苦しいという泣き言は、家族にも私にも一切言わなかったですね。だけど、日が暮れると寂しかったんじゃないかな。いつも夕方『もう帰りなさいよ』って言うんですが、私が病室に残っていると、ちょっとほっとしたような顔をしていました」

次第に衰弱して声が出なくなったある日、医師が処置を行うため、浅田さんに病室から出るよう告げると、希林さんは筆談で「美代ちゃんはここにいて。この子も役者のはしくれだから、全部見せるの」と伝えたといいます。

「ひえーと動転しましたが、希林さんは身をもって、最期に向かうまでの生きざま、死にざまを見せてくれようとしていました」

昔から自分の家で死にたいと希望していた希林さんは「そろそろ退院する」と自ら医師に伝え、自宅療養できる環境を整えて退院。その日の夜中に息を引きとりました。

「たぶん自分の死にどきをわかっていたのでしょうね。生き方も老い方も死に方も全部、自分で選んで決めた希林さんは、見事でした」

浅田さんの心に残る、樹木希林さんの教え

不必要な物をたくさん持っていると、病気になっちゃうよ

「物への執着が捨て切れない私に『美代ちゃん、知ってる? 癌っていう字は、病だれの中に品の山って書くのよ。こんなに物を持っていたら、病気になっちゃうよ』と希林さんはいつも言っていました」

人として普通に生きていることが大事

「出会った頃からずっと言われていたのが『人として普通でいなさい』ということ。希林さん自身も特別扱いを嫌がり、一人で車を運転し、電車やバスに乗り、普通の生活を大切にしていました。」

年を取ること、変化することを面白がらなきゃ

「『人間って年とともに変化していくから面白い。50歳を過ぎたら50歳を過ぎたなりの、60歳を過ぎたら60歳を過ぎたなりの、いい意味での人間の美しさがある』が希林さんの持論。私も老いるのはそう悪くないと思えるようになりました」

浅田美代子さんのプロフィール

あさだ・みよこ 1956(昭和31)年、東京都生まれ。73年ドラマ「時間ですよ」でデビュー。劇中で歌った「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も「寺内貫太郎一家」「釣りバカ日誌」など人気ドラマや映画に多数出演する他、「さんまのからくりTV」などバラエティ番組でも活躍。2019年には樹木希林企画による映画「エリカ38」に主演。21年映画「朝が来る」で日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞。近年は、捨て犬、捨て猫、動物虐待防止など、さまざまな動物愛護団体への支援にも力を注ぐ。

取材・文=五十嵐香奈(編集部) 撮影=中西裕人
※この記事は雑誌「ハルメク」2021年12月号を再編集、掲載しています。


浅田さんが希林さんとの日々を綴ったエッセー『ひとりじめ』

2021年9月に「母であり、姉であり、親友でもあった」という樹木希林さんとの日々を綴ったエッセー『ひとりじめ』(文藝春秋刊)を刊行した理由を、浅田さんは「希林さんが亡くなって2021年9月で3年がたち、私自身も65歳(取材当時)になって希林さんに乳がんが見つかったときの年齢(63歳)を超えたこともあり、“書くなら今だな”と思いました」と語ります。

雑誌「ハルメク」
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