中村桂子・悩みを抱える方に届ける生命誌のメッセージ
2021.12.062022年03月24日
生命誌研究者・中村桂子さんの半生(2)
中村桂子・見方を変えれば人生は少し生きやすくなる
生命の歴史を読みとく生命誌研究の第一人者として知られる中村桂子(なかむら・けいこ)さん。60年以上にわたる科学者人生の中で「心の中は、葛藤ばかりでした」と振り返ります。東大合格、子育てを経て、53歳で生命誌研究者に転身したきっかけとは?
女性は500人中3人!道を切り開けたのは両親のおかげ
幼い頃から読書、音楽、スポーツなど、いろんなことに興味がありました。当時は女性の進学先として珍しい理系に進んだきっかけは、高校時代のユニークな化学の先生に憧れて、という実に単純な理由でした。
1955(昭和30)年、中村さんは東京大学理科一類に進学します。入学者約500人のうち、女性は3人しかいませんでした。
楽しく自由な両親に育てられました。子ども時代、あれをしなさい、これをしなさいと言われた記憶は一切なく、私がしたいということに反対されたこともありませんでした。
企業で研究企画をしていた父は、新しもの好きで好奇心旺盛な人。まだカメラやテレビや洗濯機が珍しい時代に買ってきては家族を喜ばせたり、スキーや乗馬など何でもやる趣味人でした。
母は、はっきりものを言うタイプ。“三歩下がって”という古風な女性ではありません。自分がこれはと思う分野で道を切り開いていけたのは、両親のおかげと感謝しています。
人生を決定づけた二重らせんとの出合い
大学3年になって化学科に籍を置きましたが、プラスチックなどの物質ではなく、次第に生物に興味を持つようになっていきます。きっかけとなったのは、先生が「こんな面白い物質が最近、出てきたよ」と説明してくれた遺伝子(DNA)の二重らせん構造でした。
初めて見る遺伝子は、とても美しい形をしていました。外国の映画の中でロングドレスの美しい女優さんがスッと背すじを伸ばして下りてくる、らせん階段のイメージです。リボン状の線の上に、4つの物質が規則正しく並んでいる。こんなに正確で美しいものが、私たちの体の中にあること自体に驚き、大学院進学を決めました。
といっても、遺伝子は当時まだ海のものとも山のものともわからないものでした。両親に大学院に進学したいと話したとき、二人とも賛成してくれましたが、ポロッと父の口から出たのは、「桂子の嫁入り姿はナシか」という言葉。あんなに新しもの好きの父でしたが(笑)。
科学的育児法を実践するも、子育ては本通りにはいかないと実感
その後、結局、大学院時代に同級生と結婚し、2人の子どもに恵まれました。
当時は研究と子育てとを両立するのが難しい時代。私は研究をいったん離れ、翻訳をしたりしながら授乳時間に追われる日々が始まりました。
当時は「科学的育児法」と呼ばれるアメリカの育児が流行していました。授乳は3時間おき、泣いていても抱き上げないなど、今までの日本の育児とは逆の方法です。
その方法を実践した私でしたが、実際の育児は本の通りになんていきません。赤ちゃんには個性があるのに、みんな同じ時間間隔で授乳というのは無理があります。科学を生活者の側から見る視点も大切だと思いました。
長女がまもなく小学校入学という年、私は恩師に呼ばれ、民間の研究所で生命科学に関わることになりました。生命科学は人間と科学をつなぐ新しい学問です。70年代の日本は、高度経済成長の弊害として、海や川の水が工場排水で汚れて魚たちの命は奪われ、病気や障がいに苦しむ人も出てきました。
子どもを育てる母親として、環境汚染に対して何かができないか。自然が崩れ、生き物の命が置き去りにされていく違和感を感じつつ、私は自然と人間の関係性と生命科学を結びつけながら、自分の研究を進めていきました。
人間は自然の一員であるという謙虚さを失っている
80年代以降、科学はさらに進歩を重ね、医療に応用されていく時代に。人工授精といった不妊治療の技術も進み、遺伝上の親と生みの親が違う子どもが生まれるなどの倫理上の課題も出てきます。
科学の進歩で助かる人が出る一方、地球が生まれてから続いてきた命の自然な継承までもが姿を変えていく。
自然は人間が生まれるはるか昔から存在していたのに、人間の営みが突出して進み過ぎている。人間も地球や自然の一員であるという謙虚さが失われているような気がしてなりませんでした。
私は生命科学界の片隅に籍を置き、その科学のありように違和感を感じていきました。自分に何ができるのだろうかと、何年も悩み続けました。
見方を変えれば、世界も変わりもっと生きやすくなる
50歳を目前にしたある日のことでした。ふと、これまでの科学研究の枠組みにとらわれなくてもいいのでは? と、思ったのです。
研究というのは専門ばかといわれるくらい、一つのことに集中する狭さや厳しさがないと務まらないものです。新たに思いついたのが、命の尊さを伝える思いを込めた「生命誌研究館」という6文字。視点を変えることは大事だと思いました。
視点を変えるお話をしていて思い出しましたが、最近、富山県庁の方に、ユニークな地図「環日本海・東アジア諸国図」(通称・逆さ地図)をいただきました。
日本の中心を東京ではなく富山に置くと、ロシア、中国、韓国が仲よく円を描きます。関係が悪化している周辺諸国と日本がよい友好関係を築けそうです。そして、東京は太平洋の遠くにポツリ孤立しているように見えます。
見方を変えると世界も変わります。東京一極集中ではなく地方に軸を移してみれば、生き物は、もっと楽に生きられると思います。
中村桂子さんのプロフィール
なかむら・けいこ 1936(昭和11)年、東京都生まれ。大学で化学を学んでいたとき、人間の中にあるDNA(遺伝子)の不思議さに出合い、生きものに興味を持つ。いのちを機械のように扱う現代生命科学に疑問をもつようになり、53歳のとき、地球創生時からの生きものの歴史を読みとく生命誌研究を始める。2002年からJT生命誌研究館長を務め、2020年4月から名誉館長に。著書に『ふつうのおんなの子のちから』(集英社クリエイティブ刊)『おとなの目をこどもの目にかさねて』(青土社刊)など。
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取材・文=清水麻子 撮影=中西裕人 ※この記事は2015年3月号「ハルメク(旧いきいき)」を再編集し掲載しています