9年経っても終わらない週末介護体験談1

【体験談】9年の週末介護に疲れた私・毒母でも介護しなくちゃいけないの?

【体験談】9年の週末介護に疲れた私・毒母でも介護しなくちゃいけないの?

公開日:2026年05月06日

【体験談】9年の週末介護に疲れた私・毒母でも介護しなくちゃいけないの?

59歳女性の介護体験談の前編。平日は仕事、週末は実家で母の介護。そんな生活が始まったのは、実母が倒れた日から。毒親だった母との関係に葛藤を抱えながらも、介護を引き受けることに。終わりの見えない介護の日々を振り返ります。

59歳女性の体験談。終わりが見えない週末介護9年目

 tom200 / PIXTA

介護生活も9年目に入りました。かなり疲弊しています。介護が終わるのが先か、私が潰れるのが先か……そんな気さえしてきました。

平日は会社員として働き、週末は泊まりがけで実家に行き、母の面倒を見る。そんな生活が続いています。

娘は大学進学と同時に家を出て、現在は仕事で海外へ。息子も就職と同時に独立し、今は夫とふたり暮らしです。

毒親だった母の面倒は、弟夫婦に任せたかったが……

 EKAKI / PIXTA

母はもうじき85歳になります。父の死後はひとりで暮らしていました。

正直に言えば、母は私にとって“毒親”でした。最初は介護する気などありませんでした。近くに住む2歳違いの弟一家に任せるつもりだったのです。

ところがある日、義妹から電話がありました。
「おかあさんが倒れた。でも私も足を骨折していて行けない」

弟は出張中、姪は旅行中、甥は模試で外出中。義妹が何気なく母に電話をしたところ、ろれつが回っていなかったため、近所の人に頼んで様子を見に行ってもらったそうです。すると、そのまま意識が薄れていったといいます。

その日、私はたまたま代休で自宅にいました。躊躇しましたが、どう考えても私が行くしかない。義妹に甘えてばかりはいられないと思い、急いで駆けつけました。

病院に着くと、母は目を開けていましたが、なんだか焦点が合っていない様子でした。診断は脳梗塞。

医師からは「それほど重症ではなく、早く運ばれたので、多少の麻痺は残るかもしれませんが、自力歩行は可能でしょう」と言われました。

約3週間の入院とリハビリを経て退院。杖を使えば歩ける状態でした。

地域包括支援センターには入院時から連絡していましたが、まだ介護認定は出ていませんでした。

今後について弟夫婦と話し合ったところ、骨折が少し回復した義妹が「できる限り面倒を見る」と言ってくれました。

一方で弟は「自分たちの母親だし、妻に負担をかけたくない」とも言う。

ひとまず様子を見て、介護認定がおりたらヘルパーの利用も検討しよう、ということになりました。

悲劇は続き…今度は腰椎を骨折

しかし数週間後、母は自宅で転倒し、こんどは腰椎を骨折。手術は不要でしたが、約1カ月の安静が必要になりました。

この頃から耳も遠くなり、会話がかみ合わないことが増え、認知症の症状も見られるようになりました。

すると弟が言い出しました。
「息子が受験を控えているし、妻も働いている。自分も出張が多いから、毎日の面倒は見られない」

介護認定は要介護2。ヘルパーの利用は可能でしたが、当時の母は他人を家に入れることを強く拒んでいました。

「平日の夜は様子を見に行くけど、土日はねえちゃんが来てくれると助かる」

そう言われ、義妹は実質的に介護から距離を置いたのだと感じました。

子どもたちが小さい頃、母は弟一家の育児をよく手伝っていたはずなのに……。そんな思いもよぎりました。

一方、私は出産後もほとんど母に頼ることはなく、そもそも関係自体が良好ではありませんでした。

母は、自分の果たせなかった夢を私に押しつけてきた人です。

子どもの頃から勉強を強いられ、友人関係にも口出しされた。高校時代、好きだった男子と帰っていたときも、母が待ち伏せして「うちの子を騙そうとしないで」と怒鳴りつけたこともありました。

そんな経験から、大学はあえて遠方へ進学。就職も東京で、帰省はほとんどしませんでした。

結婚の際に夫を初めて紹介したときも、母は開口一番「年収はどのくらいなの?」と聞いたのです。

だから私は、母とは距離を置いて生きてきました。

弟の大腸がんも発覚。自分ががんばるしかない状況に

Peak River / PIXTA

本来であれば「介護施設に入れる」という選択を提案するつもりでした。

しかし、そのタイミングで弟から電話がありました。
「検査結果が出た。俺、初期の大腸がんだった」
ここしばらく体調がすぐれなかったという弟。初期とはいえ、がんの手術が必要とのことでした。

母はまだリハビリ病院に入院中。まずは2人の治療を優先し、その後を考えよう……そう話し合いました。

ところが3か月ほどで、母は退院せざるを得なくなります。受け入れ先の病院も見つからず、何より母本人が「家に帰りたい」と強く望んだのです。リハビリにも懸命に取り組んでいたようでした。

仕事復帰した弟も「とにかく家に連れて帰りたい」と言い出します。

「助けてほしい」
そう言って頭を下げる弟の姿は、それまでとは違っていました。
どんな関係であれ、母は母。愛着はなくても、無関係ではいられないのです。

私は「わかった。できる限りのことはする」と答えました。そうするしかなかったのです。

こうして私は、平日は会社員として働き、週末は実家へ通う生活を始めることになりました。

そのときはまだ、これほど長く続くとは思っていませんでした。母への複雑な感情を抱えたまま、終わりの見えない週末介護が始まったのです。

>>後編へ続く

亀山早苗
亀山早苗

東京生まれ。明治大学卒業後、フリーランスのライターとして雑誌記事、書籍の執筆を手がける。おもな著書に『不倫の恋で苦しむ男たち』『復活不倫』『人はなぜ不倫をするのか』など。最新刊は小説『人生の秋に恋に落ちたら』。歌舞伎や落語が大好き、くまモンの熱烈ファンでもある。